DJネグリジェによる浜松クラブサーガその1
またジャジー・Bネタ思い出した。彼が「生涯の1曲」と呼んだのがコレ。あぁ、ロンドンに俺と同じ人間がいる〜!と震えが止まらなかった。 http://www.youtube.com/watch?v=osTOpbEUYMM
2010-10-16 00:00:34DJ与太話再開しま〜す♪…が、その前にまず昨日の分を読み返して気づいた誤字・脱字の訂正から。与多話→与太話、ポシティヴ・フォース→ポジティヴ・フォース、ほかにも助詞の抜けとかありましたが、そのへんは何となく察してやってください。大人なんだからw
2010-10-16 20:37:04あと、昨日ツイートした分の補足や記憶違いの訂正もいくつか。まず、大学生時代はディスコにあまり通わなかったと書きましたが、卒業後浜松に戻ってからはわりとよく行くようになって、浜松のクラブシーン幕開け前夜、87〜88年頃にはほぼ毎週通ってました。
2010-10-16 20:54:27その頃浜松にはディスコが何軒かあって、XERXES(クセルクセス)、ヤングアダルド、サンジェルマン、あとココパームスもまだやってたかもしれない。マハラジャができたのもその頃。俺が通いつめたのはXERXES。いま静岡でクラブJAKATAをやってるKATSUさんがいたお店ですね。
2010-10-16 21:11:08時代的には完全にユーロビート全盛期なんで、どこのディスコ行っても基本的にはユーロ一色。フィリス・ネルソン「アイ・ライク・ユー」とか完全に刷り込まれたなぁ。いまだに頭の中で間奏がループしだすことがある。でもクセルだけはなぜか毎回必ずビースティ・ボーイズがかかってたんですよ!
2010-10-16 21:21:25お客さんの中にも、デフジャムの黒いTシャツ着てる女の子が一人でポツンといたりしてね。だからそういう意味じゃディスコなんだけどクセルはちょっと尖った部分があったかもしれないですね。その頃、俺は完全にファッション中毒で、ODOB風(田舎なので)のエグい格好でクセルに通ってました。
2010-10-16 21:41:01レアグルーヴのコンピではチャーリーから出てた『ガット・トゥ・ゲット・ユア・オウン』とポリドールの『アーバンクラシックス』を書き忘れてました。特に後者はジャクソン・シスターズ「ミラクルズ」メイシオ「クロス・ザ・トラックス」ルーサー歌唱「ホットバタフライ」等が収録された究極の1枚。
2010-10-16 22:02:28「シティカフェ」のDJたちとは、たまに小遠征に出かけた。静岡にあったクラブで本家とは多分なんの関係もない「インクスティック」とか、豊橋は「アジト」ってクラブと、洋服屋さんのS.martの主催でいまもまだあるライブハウス「バークレー」にも行きました。
2010-10-16 22:20:40昨日のツイートでは説明が足りませんでしたが、マメ(豆)ちゃんというのは当時「シティカフェ」のスタッフだった浜松のクラブシーンの立役者で、その後自ら「トレンチタウンカフェ」というクラブを立ち上げました。20世紀が終わる頃に店をたたんで沖縄に移住しましたが、いまもお元気でしょうか。
2010-10-16 22:30:30レコ屋バイト時代、イサオという大物を釣ったエサはウィンドジャマーの1stだったと書きましたが、これは記憶違い。実際はシャドウというグループの3rdアルバムでした。シャドウはオハイオ・プレイヤーズの元メンバーが結成したグループで、本作のプロデュースはリオン・ウェア。みんなも買おう!
2010-10-16 22:46:15クワイエットストームDJ時代は、街中にあった「South」というレストランでもやったなぁ。俺と「ケチャップ・クラブ」マスターの松井さん、イサオ、そしてハウスDJのLIQUORさんが週替わりで、普通にワインとか飲みながらメシ食ってるカップルたちを相手に一人ぼっちでプレイしてました。
2010-10-16 23:01:19補足はそんなところ。こっからやっと昨日のつづきに入ります。と思ったら、そろそろ日付が変わりそうな時刻。こんな調子じゃ、明日になってもまだ本題→UKガラージたったいま!にたどり着けないかも。まぁいいや、どっからだ?98年、俺が浜松初のラウンジDJを名乗ってからの話ですね。
2010-10-16 23:17:49メスカリンドライヴで始めたラウンジのパーティーは、最初はソウルバラードをかけてたんだけど、そのうちソフトロックやボサノヴァ、フレンチポップスあたりが中心のガチでラウンジーな選曲になっていきました。フリーソウル時代にそのへんのレコードの集め方は習得してたしね。俺史上最も白い時代。
2010-10-16 23:32:53同時期にメスカリンでDJをしてたのがOSUGEEE。俺と初めて会った時は原田知世の「ロマンス」をかけてました。たまにOSUGEEを俺の弟子だと勘違いしてる人がいますが、彼の師匠は浜松のロックDJの重鎮プジャリさん。本人たちは否定するかもしれないが俺はそう思ってます。
2010-10-16 23:41:53メスカリンではAORもよくかけた。インスパイアされたのは、藤原ヒロシがビームス(だったっけ?)の店内BGM用に選曲したとかいうCD。聴いたこともないのに、雑誌で曲目リストを見てえらい興奮した。ボービー・コールドウェルの1stから「マイ・フレイム」を選ぶとはっ!みたいな。
2010-10-17 00:01:18メスカリンでは俺がUKガラージに目覚める2000年までプレイさせてもらった。店長だったTAOさんには、クラウデッド・ハウスの「ドント・ドリーム・イッツ・オーバー」が俺のテーマ曲だとよく言われた。しょっちゅうプレイしたせいもあるのだろうが、曲の内容が俺にピッタリということらしい。
2010-10-17 00:20:18メスカリンではHenry__01さんとOSUGEEEのバンドも見たんでした。あの時紹介されてたら、いろいろ情報交換できたのに! RT @Henry__01: 懐かしいです。あの頃は僕も含めみんないろんな意味でガツガツしてたと思います。ネットも情報も何も無い時代でしたから。
2010-10-17 00:45:2699年の春から浜松のコミュニティFM局FMハロー!で音楽番組のDJを担当することになった。番組名は『ピクニック・ジャム』、番組のテーマ曲は自分でスウィング・アウト・シスター「ユー・オン・マイ・マインド」のリミックスのインスト部分をサンプラーでエディットして作った。けっこう自信作w
2010-10-17 00:47:09ラジオは毎週日曜の午後1時から4時まで3時間の生放送。選曲は毎週楽しくできたけど、しゃべりがどうにも苦痛でさぁ。そのへん、きっといまラジオをやってる@Henry__01さんなら分かってもらえるかしらw
2010-10-17 01:09:44ラジオ番組では、4週連続でジャム&ルイスを特集したりとか、けっこう好き勝手やらせてもらいました。さっきの大友康平で思い出したけど、ジャム&ルイス特集ではシェリル・リン「イッツ・ゴナ・ビー・ライト」もかけたはず。俺はシェリル・リンの曲ではこれが一番好き。自分の曲のパクリだけどな。
2010-10-17 01:31:36あっ、またまた誤字訂正。ヤングアダルド→ヤングアダルトですね。失礼しました。昨年場所を変えて復活、いまも絶賛営業中です。
2010-10-17 02:00:38さて、バカサーガ再開。でもその前に予防線張っとこう。ここまでダラダラ書いてきた俺のDJ遍歴とUKガラージに一体何の関係があるのか?と疑問に思う人がいるかもしれません。まだ詳しくは書きませんが、もちろん多いに、肉体関係以上に深い関係があります。なので安心して読み進めてください。
2010-10-17 11:38:13FMハロー!さんとは実は『ピクニック・ジャム』以前からもお付き合いがあって、そもそもは開局2年目の95年に俺が番組の企画を持ち込んだのが始まり。毎週金曜日の夜10時から12時までオンエアされてた『ウィークエンド・スーパーフライ』がそれで、俺は構成と選曲を担当してました。
2010-10-17 11:48:51番組の初代MCは、その頃ゆりの木通りで「BASE」というセレクトショップをやってた吉川さん。そして2代目MCが昨日も名前が出てきたDJ LIQUORさん。彼は東京のディスコでDJデビューして、浜松に帰省してからは晩年の「シティカフェ」でメインを張ってたDJの一人。
2010-10-17 11:58:57俺がLIQUORさんと会ったのはたしか「ケチャップ・クラブ」で、そう言えば『ウィークエンド・スーパーフライ』では、同店マスターの松井さんにも「やるせなソウル」というコーナーで80年代のソウルバラードを選曲してもらっていた。松井さんとはK-MIXでもソウルの番組を一緒にやりました。
2010-10-17 12:06:05