自己認識と自己配慮をめぐる問題について-フーコーのデカルト見解、キリスト教VSグノーシス主義etc-

げしゅ☆ぺんすとさん(@Gespenst177)さんによる原和之氏の論考引用から始まった、「自己」をめぐる問題について、フーコーの説明と、アイコイシャイさん(@ikoishy)のツイートなどをまとめてみました。『安全・領土・人口』と『主体の解釈学』を横断して、キリスト教の釈義モデルVSグノーシス主義(プラトン主義)の想起モデルについてまとめています。
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アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

ソクラテスであれニュッサのグレゴリウスであれ、こうした霊性の歴史的な伝統やその仲介者たちとはもちろん全く無縁な形で、分析知そのものに属するような形で、ラカンは、歴史的に見れば、本来的に霊性に関わる問題を提起しようとした。

2010-10-30 19:23:09
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

真実を語るために支払わなくてはならない対価の問題と、主体が自身について真実を語ることができ、そして語ったということが主体に及ぼす効果の問題、これらを再び出現させることで、ラカンは精神分析の内部に、霊性の最も一般的な姿であった〈自己への配慮〉をめぐる最古の伝統を再出現させた。

2010-10-30 19:23:24
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

フーコーが講義の最後に行っていることも含めて鑑みるに、フーコーにおいてはハイデッガーの不可避と、ヘーゲルの復権が言われているともいえる。

2010-10-30 19:25:37
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