リベラルとソーシャルのあいだ
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@alicewonder113 これは単純な話で、封建的遺制は親の敵でござりまする、だったわけなので。そのかぎりにおいて区別する必要はなかった。
2014-01-18 23:37:06@alicewonder113 この場合、封建的遺制というのは、(大)家族主義(イエ思想)であるかぎりの団体主義であったり、主従関係(地主〜小作関係)であったりですから、これはもう近代=個人主義=西洋(まあおおよそ啓蒙思想風味)とは相容れないわけです。
2014-01-18 23:40:11@yeuxqui 封建的遺制はもちろん敵ですよ!するとオールド左翼にとっては、国家が封建制の象徴のように見えるのでしょうか?自分たちが作り上げているものではなく?
2014-01-18 23:40:19@alicewonder113 その辺はいろいろ混じっているわけです。啓蒙思想(とそれを受け継いだ19世紀の自由主義)にとっては絶対王政というのは大きな政府そのものであったわけで。封建制というのも古いとされたものなら何でも入るゴミ箱みたいな概念というところもあるので。
2014-01-18 23:42:58@alicewonder113 もちろん当時だって、戦略は二段階になっていたわけですが。まずは自立=自律した個人をつくることが最優先で、しかるのちに、旧来の地縁血縁的な共同体とは異なる、自律した個人の連帯として「社会」を形成すべし、だったわけです。
2014-01-18 23:46:46@yeuxqui それは、自律しない個人は見捨てられるという価値観だったんでしょうか?自律するしないにかかわらず、個人を社会の構成員とみなす価値観は、ずいぶん最近のものなんですか?
2014-01-18 23:50:36@alicewonder113 ただし、たとえば労働組合というのは、団体交渉しているということは、賃金にかんしてはあれはカルテルを組んでいるわけで、独占そのものなわけです。ことほど左様に詰めて考えると、二階建ての建物というよりは、相異なる二つの原理といったほうが適切なものです。
2014-01-18 23:50:46@alicewonder113 あと20世紀的なコンテクストでは、社会主義(共産主義)か、福祉国家かという二項対立だったわけです。ピュアな自由主義は、思想的にはともかく、政治的には主要な対立軸でもなかった。左派からすれば、福祉国家は不純な社会主義でしかなかった。
2014-01-18 23:53:40@alicewonder113 福祉国家をなんと呼んでいたかといえば国家独占資本主義、つまりは絶対王政をさらに非人格化した近代化版です。
2014-01-18 23:54:42@alicewonder113 そして社会主義にせよマルクス主義にせよ、西洋近代思想の最先端を自認する限りで、啓蒙思想の正統な嫡出子です。国家独占資本主義という名の絶対王政を批判する啓蒙思想家という図式は、やはりどうしても政治(政府)経済(大企業)両面の独占批判という傾向をもつ。
2014-01-18 23:58:31@alicewonder113 独占という言葉遣いは経済的には文字通りの独占ですが、政治的には政府による権力関係という意味に解される。つまりはパトロン=クライアント関係です。
2014-01-18 23:59:28@yeuxqui 北欧はそういう国家イメージから脱皮したように見えるし、アメリカはこれからもがき出ようとしているように見えます。
2014-01-19 00:01:09@alicewonder113 論理構成としてはひとつは生活保護批判がひとつ。フリーライダーあるいは「怠惰」は憎むべき悪徳なので、教育/刑罰によってなんとかしろというのがひとつ。戦間期になると怠惰に代わって、失業概念が出てくるのですが、これは事実上戦後になるまで正当化されない。
2014-01-19 00:03:22@alicewonder113 失業は個人の責任(怠惰)ではないということに立脚したのが社会福祉であり、ケインズ主義的な失業対策でありといったわけなので、まさにそれこそが福祉国家そのものということになる。
2014-01-19 00:04:36では社会主義(共産主義)において、国家はどうなるの? という話なんですが、そこは率直に言ってブラックボックスであって、イヤー考えないといけないよねーというのが西欧マルクス主義の後半の主題といってもまあそんなに。
2014-01-19 00:11:42ただそれが抽象的な「理論」にとどまっているかぎりで、具体的な提言に落とし込んでいくときに、ふときがつくとアレ不思議、自由主義(ないしはレッセフェール)になっているということは、そりゃ起こりえる。社会主義になればひとは新しき人間になっているとなればなおさら。
2014-01-19 00:14:46なるほど…昔国家はそう見えていた…昔といっても、せいぜい90年代だったり。《濱口:何で90年代からリベラルが人気になったか。60年代から80年代の日本はあまりにも「社会的」だった。欧州の広がりを持ったソーシャルとは違っていた。社会的なものは会社的であり、有難いとともにウザったい》
2014-01-19 00:18:21抽象的であるということと、概念がスカスカは違うと思うんですが、ラディカリズムの名のものとに、スカスカなものを放置したところはあったのではないかというのが、歴史学派風の側からの批判としては、一貫してあったのではないでしょうか。
2014-01-19 00:19:09