小宮友根著『実践の中のジェンダー』:堀田義太郎氏によるランニングコメンタリー
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「ある行動がどのような行為として了解されるかは、了解する側が、その行動が埋め込まれるべきと考えている文脈によって解釈される」という至極当たり前の事実を明らかにすることに、特記すべき認識利得があるのか。ないだろうな。
2014-01-23 21:32:13同じ「手を上げる」行動を別の文脈で理解する人がいれば別様の意図が帰属される行為(「挨拶」や「タクシーを止める」)として理解される。この単なる事実を、たとえば「行為と構造」とか言うことに何か発見的意義があるのか?
2014-01-23 21:43:25では、その文脈か構造かシステムかの適用が「適切か否か」を判断したり評価する基準は何か。より高次の判断基準からだろう。では、それは何か。
2014-01-23 21:59:31@yoshitarohotta 「複数のシステム【堀田注:解釈図式】が絡み合いながら進行する以上、それを記述するためには、一次の観察【注:解釈】と二時の観察を区別し、それらがどのシステムに帰属されどのシステムの作動に結実するかを腑分けし、関連づけなければならない」
2014-01-23 22:19:07@yoshitarohotta これは毛利氏の書評の265-6。腑分けして関連付けるとして、複数の解釈図式が競合していますね、という相対化で終わるのか。あるいは、相対化自体に何らかの社会的ないし規範的な意義を期待しているのか。
2014-01-23 22:22:12@yoshitarohotta トピックの選択自体ですでに規範的な判断が含まれていると思われるが、しかし社会学は「記述でよい」と言うのだろう。
2014-01-23 22:32:29そうか。(良質の)社会学者は道徳的な判断を前提にしていながらも、それを前提にしたりコミットしてはならない、というディシプリンの二重拘束によって複雑になってしまうのか。
2014-01-23 23:02:45@yoshitarohotta 注18(274)ポルノグラフィに対して「不当性の感覚をいだく女性がいるとき……その感覚の理由……が、この社会の中で女性が体系的に置かれた位置によるものであれば、それは「不平等」の問題であり、「性差別」の問題なのである。」
2014-01-27 15:13:26@yoshitarohotta ポルノグラフィによって被る被害の「重み」が男性と女性では違っていることが重要だ。だが従来の議論ではその違いは看過される。そしてその看過は従来の議論の無色の個人を想定した議論によって生じる。
2014-01-27 15:32:20@yoshitarohotta そうではなく、被害の重みを被害者の(また加害者もか?)属性や地位とセットで考量するべきだ、と。
2014-01-27 15:33:40また、そのことは、ポルノグラフィに実際に「不快感をおぼえない女性がいたとしても、まったく変わりがない」とされている(注18 274)。
2014-01-27 15:35:41@yoshitarohotta ということは理論的には、個々の場面では主観的に被害を感受する人がいなくても、ポルノグラフィには女性差別が含まれる、ということか。
2014-01-27 15:48:10@yoshitarohotta やはり、「ポルノグラフィ≒性差別」ということなのかな。「性差別の文脈で論じられるべきだ」だとすると弱い感じがする。
2014-01-27 15:49:47