小宮友根著『実践の中のジェンダー』:堀田義太郎氏によるランニングコメンタリー

差別論に敢然ととりくんでいる倫理学の先生による社会学の先生の注目作の読解。 『実践の中のジェンダー』充実の紹介ページ:http://socio-logic.jp/em_komiya2011.php あまぞん:http://goo.gl/FWQhzo
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堀田義太郎 @yoshitarohotta

「差別の悪」に関する議論では、単なる「不当な区別」より差別の悪が「重く」考量される理由は、概ね「歴史的社会的に不利益ないし誤処遇を受けてきたカテゴリーに基づく不利益処遇だからだ」とされている。

2014-01-27 15:52:30
堀田義太郎 @yoshitarohotta

優先主義的な観点では(ルースな言い方だが)、個々の場面での不利益が、そのようなたカテゴリーに基づく場合、当該カテによって他の多くの文脈で不利益を被るという事実によって重み付け評価される、となる。

2014-01-27 15:55:25
堀田義太郎 @yoshitarohotta

@yoshitarohotta ↑「となる【はず】」。だとして、しかし計算のやり方はよく分からない。

2014-01-27 15:58:58
堀田義太郎 @yoshitarohotta

@yoshitarohotta とはいえ、小宮氏の議論が、ある被害や不利益が(広範な文脈での様々な被害不利益を上手く説明するような)属性によって上手く説明される場合には、件の被害や不利益はより重く見積もられる、というものだとすると、それは差別論に正接されうるだろう。

2014-01-27 16:08:46
堀田義太郎 @yoshitarohotta

@yoshitarohotta 仮にそうだとして、個別場面での被害や不利益の主観的経験に依拠せず(非帰結主義)、加害者の意図や動機にも依拠しない(非偏見論)とすると、差別論でも、行為の非主観的・文脈的な「意味」を問題にする(表現主義論と言われる)ような立場になるだろう。

2014-01-27 16:14:31
堀田義太郎 @yoshitarohotta

@akiradicalism しかも、『実践の中のジェンダー』でした。署名間違えてすみません。。

2014-01-27 16:41:24
堀田義太郎 @yoshitarohotta

@yoshitarohotta 表現主義的な議論というときの「表現」は、個別行為が蔑視や貶価や憎悪を表現しているとか害を与える表現なのだという話ではなく、差別の悪に関する一つの説明。

2014-01-27 17:03:06
堀田義太郎 @yoshitarohotta

@yoshitarohotta 差別の悪は、その行為が、ある歴史的社会的不利益カテゴリーの人を劣位化し、その不利益を看過しまたは正当とするような態度を表現していることに由来する、という説明です。【ひとまずここまでにします】

2014-01-27 17:04:23