秋水はドイツのロケット戦闘機Me163コメートのコピーだと言われるが、実際はコピーではない。ドイツから設計図と資料を貰ったのは貰ったのだが、積んでいた潜水艦が沈んでしまったので一部の資料しか残らず大部分が手に入らなかったのだ。
2019-08-29 09:21:51その一部資料をもとに作られたのが秋水で、故にMe163とよく似ているが結構細部が異なっている。特に日本では先例のない無尾翼機であるということとこれまた前例がないロケットエンジンには苦労したらしい。
2019-08-29 09:23:41その秋水のエンジン特呂二号はとにかく難物で、燃料が劇物なので危なくてしょうがない上に燃焼がなかなか安定しなかった。審査部の技術者たちも交えて困っていると、燃焼実験を見ていたとある化学者が口を挟んだ。「ヒドラジンの濃度が高すぎる。水を混ぜて2割下げなさい」
2019-08-29 09:29:52この化学者こそ、女性としては日本で3番目の理学博士にして理研初の女性主任研究員、元祖「割烹着姿の女性化学者」「美人すぎる化学者」こと加藤セチ博士である。
2019-08-29 09:31:52「戦時中、東京大空襲の夜、アメリカのB29に対抗する日本のジェット機が1機も飛び立たないのを不思議に思い、当時、内閣戦時研究員を嘱託されていたという責任を感じて、立川陸軍航空研究所を訪ねました」 この「立川陸軍航空研究所というのが審査部と組んでいたところになる。
2019-08-29 09:40:19「ところが、松本市に移転したと聞かされ、その足で同市に行き、部隊長から、燃料の燃焼熱のため炉が熔融すると聞いて、すぐに燃料の一つヒドラジンの20%を水と交換することを提案しました」
2019-08-29 09:40:56「翌朝100人近くの所員のみまもる中で、エンジンテストが行われ、それが成功をみたとき、上司は、理研の蓄積は大きい、とほめて下さいました。その後、1機空に飛び立っただけで、終戦を迎えてしまいまし た」 これが秋水のことである。
2019-08-29 09:41:25多少俺の記憶違いがあったみたい。加藤博士は実験失敗を見ていたわけではなく、後で話を聞いてその場で改善案を出し、翌日の実験を成功に導いたということらしい。それにしたってすごい話だ。そもそも、あの状況下で立川から松本まで即座に出向いたのがすげえw
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