大カトーは如何にしてカルタゴ滅亡を唱えるようになったか
- centurio_P
- 38942
- 18
- 7
- 3
@centurio_P 塩巻きする程の完全破壊はなかったのではないか?ということが考古学的調査から推測されている、というのは自分もものの本で読んだことがあります。 ローマが妄執じみた執拗さでカルタゴを破壊した、というのは、幾分か割引いて聞いた方がいい話ではあるのでしょうね。
2014-02-07 01:18:21@SPQR_RomeFan 私も地質調査などを含め、大火災の後はあっても塩が撒かれたかは疑問が残るという話があった記憶です。一部には存在してはいたでしょうけど、ローマ全体が共有してたかは疑問が残る、という感じで認識していた方が妥当でしょうね。>カルタゴへの感情
2014-02-07 01:20:30@SPQR_RomeFan それはそのとおりですw ただ、ラティウム時代からのカルタゴの圧力や不平等条約、豊かさにローマ人が嫉妬感情をはじめとして思うところがあったのはありますし、それがハンニバルでより凝縮されたとも言えると思いますw
2014-02-07 01:29:06@centurio_P 不平等条約時代から思うところはあったでしょうねぇ。その時代における「強大なカルタゴ」の歴史像が集団の記憶に残っていたのもあるのでしょうね。
2014-02-07 01:33:30スキピオ・ナシカがカルタゴを擁護したのは、アフリカで形成しているクリエンテラを考慮したから、なのかも。アフリカヌス由来のクリエンテスがいてもおかしくはないし。 まあ、想像に過ぎないけど。
2014-02-07 01:08:12カトーがカルタゴ攻略に積極的だったのも、スキピオ閥、というかコルネリウス閥に対する迂回攻撃的なものだった、とか。妄想でいいなら何とでも言えるな。
2014-02-07 01:10:54@centurio_P (・w・) そいえば、なんでローマ市は1985年になって改めて旧カルタゴの近郊都市の チュニスと改めて終戦条約だしたんでしたっけ?
2014-02-07 01:01:55@moltoke_Rumia1p そういえば何でなんでしょうね…?私も経緯は知りません。記念的なものだったのかもです
2014-02-07 01:13:10(・w・) たぶん、町おこし的なイベントなのでしょうね。文化交流の一環でかつての禍根を見ずに流すとカ RT @centurio_P: _Rumia1p そういえば何でなんでしょうね…?私も経緯は知りません。記念的なものだったのかもです
2014-02-07 01:17:38@centurio_P あの時代カルタゴの生産力は確かに凄いんだけど、ローマがあまり発展しなかったのって統治や政策のミスとかも絡んでいそうだよね
2014-02-07 00:13:26@camelus_ferus ぶっちゃけ第二次ポエニ戦争後の同盟格差や市民の格差、制度疲労の問題も大きいと思う>ローマの発展
2014-02-07 01:16:16@centurio_P なまじカルタゴに勝ったと言う事で周辺国からはより一層の警戒感も持たれただろうしなぁ カルタゴは交易面では縮小したが国内政治的には目が届く範囲に国が纏まって贅肉を落としたとも取れるだろうし
2014-02-07 01:22:47@camelus_ferus 第二次ポエニ戦争で交易主義派が壊滅して、農業主義との潜在的な派閥争いは立ち消えになったし、ハンニバルが去ってからは概ねハンノ一族が実権を握ったしねカルタゴ。市民と貴族の対立は残ったけど、まあ、それはどの都市国家でもあったものだし。
2014-02-07 01:27:19