『襞』をめぐって

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@borujiaya

この単純で不思議なおとぎ話が、『襞』終章の偉大なタペストリーで驚くべき開花を遂げる。ぼくは第1章の、さっき引用したおとぎ話なんかライプニッツの思考をモデルにした三文芝居くらいにしか思わないですけど、あれだけのしかけで壮大なフィナーレを作りだすドゥルーズの「形而上学」はすごい。

2010-10-26 13:14:03
@borujiaya

歴史やアートや科学は物語りだって言いますけど、それらをお子様相手の物語にあつらえるか、「理念」と呼びうる(不)定型、いいかえれば形而上学にあつらえるかが、構想力の分かれ道だと思います。なかなか歴史やアートや科学に形而上学をもたす人はいませんよ。

2010-10-26 13:21:10
鈴木創士 @sosodesumus

ただバロック論として考えた場合、ライプニッツを通しているから当然だとはいえ一つだけ不満があります。聖母マリアの神学的問題が無視されていることです。ない物ねだり@borujiaya ライプニッツを通してドゥルーズが説こうとしている眼目は「形相」をめぐる形而上学だとぼくも思います。

2010-10-26 13:25:25
@borujiaya

@sosodesumus ドゥルーズがもっと長生きしてスコトゥスやクザーヌスあたり本格的に論じてくれたらおもしろかっただろうと、思います!!ドゥルーズとマリアさまって、考えたことありませんでした。

2010-10-26 13:27:47
鈴木創士 @sosodesumus

余計なざれごとですが、僕はそういう点に関してはたぶんテルケル派のままだから仕方ないのさ。視覚的体験が形而上学の隘路にすみずみまで入り込んでいると感じて以来、それを宇宙突破するには神学的論拠がどうしても必要な気がいまだにするのです。ま、だからと言って何かを考えているわけじゃないけど

2010-10-26 13:31:03
鈴木創士 @sosodesumus

ドゥルーズが長生きしてもクザヌスやスコトゥスについてまとまった物を書くことはなかったでしょう。遺書とも言える最後の論文「内在性、ひとつの生」を読んで、ああこれはシャトーブリアンの「ランセの生涯」だと思った。なぜか?そこに示されていたのは「精神のモンタージュ」、自由の問題だったから

2010-10-26 13:44:16
@ttt_ceinture

"シモンドンによれば、質料形相論をはじめとする従来の思考が個体化の作用を十分に思考できなかったのは、平衡状態を思考するに際して、「準安定」(métastable)という概念を欠いていたからである。"

2010-10-08 00:35:00
@ttt_ceinture

"「準安定」とは、エネルギー準位がすでに一定の限界を超えているのに、かろうじて前の平衡を保っている過飽和状態のことをいう。従来の思考は、安定と不安定、平衡と非平衡を二者択一的に考えていたために、個体化の作用を捉えそこなってしまっていたのである。"

2010-10-08 00:36:20
@ttt_ceinture

"このことを説明するためには//ドゥルーズがしばしば借用している「結晶化」の例を検討したほうがよいだろう。結晶がはじめて生じる以前の溶液は、エネルギー論的には過飽和状態すなわち準安定状態にある。"

2010-10-08 00:38:57
@ttt_ceinture

"しかし結晶の生成は、このエネルギー論的な条件だけでは不十分であり、そこに「核」が導入されなければならない。このはじめの不連続性の導入が起点となって、結晶という個体が次々に生じていく。個体化は、個体とその媒体とのたえざる交換として現れてくるのである。"

2010-10-08 00:40:08
@ttt_ceinture

"したがって結晶という個体の生成は、つねにその「境界」においておこなわれる。このことを説明するためにシモンドンは、個体とは「有限な存在(étre fini)」ではなく、「限界づけられた存在(étre limité)」であるという。"

2010-10-08 00:42:37
@ttt_ceinture

"「有限な存在」とは、内部にポテンシャル・エネルギーを持たず、それ自体を限定してしまう存在である。たとえば質料形相論によれば、個体の成立は質料と形相の瞬間的な出会いとして説明され、質料は形相の中に押し込められてしまう。"

2010-10-08 00:43:54
@ttt_ceinture

"それに対して、「限界づけられた存在」としての個体化の作用には原理的には終わりがない。たとえば結晶の際限のない成長においては、生成の結果が次の生成の核となる。それはリレーのようにつながっていき、ますます多くの量の不定型なエネルギーを同化していく。"

2010-10-08 00:45:51
@ttt_ceinture

"このように、個体の内部と外部の境界は、いわば「構成的」で「能動的」な関係そのものである。それは外部を限りなく個体化すると同時にその部分的な成果として内部をますます複雑化していく。"

2010-10-08 00:47:59
@ttt_ceinture

"個体とは、連続的なエネルギー論的な条件(溶液)と不連続に生成するシステム(結晶)の無限の交換の場なのである。このことをシモンドンは、個体は「それ自身の境界において構成され、それ自身の境界において存在する」と表現する。"

2010-10-08 00:48:43
@ttt_ceinture

"個体は「質料」と「形相」といった二つの項の結合として説明されるものではない。むしろ両者の境界がまず能動的に作動しており、個体はこの作動の媒介者の役割を演じる。個体化とは境界の活動そのものなのだ。"

2010-10-08 00:50:05
@ttt_ceinture

"このことを別の角度から考えてみるならば、個体化とは単独の個体の成立のことではなく、むしろ個体とその「環境」のカップルの成立のことである。"

2010-10-08 00:52:40
@ttt_ceinture

"このような環境のことをシモンドンは「連合環境」(注11)と呼ぶ。「連合環境」とは、ある個体が成立するとき、同時にその個体に含まれている前個体的な領野のことである。"

2010-10-08 00:52:54
@ttt_ceinture

"この前個体的な領野は、一方では個体化の条件そのものであるが、しかし他方では個体に先立ってあらかじめ与えられているものではなく、むしろ個体によって発明されなければならないものでもある。"

2010-10-08 00:54:41
@ttt_ceinture

"したがって両者の関係は循環的だが、まさにこのような自己循環を媒介に、個体はみずからの境界を更新し、外部との新たな関係を創設する。個体のそれ自身への関係が、同時に新たな外部との関係となるのだ。"

2010-10-08 00:56:12
@ttt_ceinture

"したがって個体化の作用とは、個体がみずからの条件や規範をみずから創り出すような、自己媒介的であると同時に発明的な作用として考えられる。このことをシモンドンは、個体とはこうした能動的な関係の「舞台」でも、「動作主」でもあると表現する(IG, 60)。"

2010-10-08 00:57:32
@ttt_ceinture

"個体化の作用とは、前個体的な地平とすでに個体化された地平を内的に媒介し、そこに個体化という「出来事」を生起させる作用なのだ。" ――廣瀬浩司「個体化の作用からアナーキーな超越論的原理へ シモンドンとドゥルーズ」、『情況』2003年4月号

2010-10-08 01:00:35
護眠官 @yukiphilo

ああ、TLに「個体化の原理」とライプニッツのとても興味深くて勉強になるつぶやきが生成してるのに寝なくてはならない。ちょうど今読んでる、レッシャーと重なるし、スコトゥス、そして「ライプニッツの問い」とつながるのでもっと勉強したい。けど、明日の仕事が(涙)。残念。おやすみなさい。

2010-10-08 00:56:43
護眠官 @yukiphilo

@ttt_ceinture あ、書誌情報、ありがとうございます。私自身もとても関心のあることで、すごく勉強になります。普遍論争を(というよりはレアリスムを)「存在の機序」として捉える山内志朗氏の論考を思い出しながら、読ませていただきました。ありがとうございました。おやすみなさい。

2010-10-08 01:04:21
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