山本七平botまとめ/【臨在感の歴史的裏付け③】歴史感覚を拒む日本の輪廻転生/「歴史を支配する神」という思想/「初めに秩序が立てられた」という思想/輪廻と旧約の混合――ヨーロッパ思想
- yamamoto7hei
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①【臨在感の歴史的裏づけ】日本人はこういうことを今までやらないて済んできたんてすが、彼らはこれをどういうようにやってきたか。 必ず一つの臨在感というものを一つの歴史観で裏付けて、裏付けがないものを価値がないとして捨てているんです。<『比較文化論の試み』
2014-02-13 07:08:57②これが、単に一つのものに対して、一つのものとしてそれをただ自分が感ずるというだけじゃなく、その感じ方の裏付けを見ている。 たとえば中東のような世界ですと、非常に古くから、二千四百年ぐらい前から、いろんな形で出てくるんです。
2014-02-13 07:39:16③例えば旧約聖書に「エズラ記」「ネヘミヤ記」というのがあります。時代は大体ソクラテスと同時代ですが、その中で、この二人が民衆を集めて、自分達がパレスチナの地に神殿を中心に生活するのは、(続
2014-02-13 08:09:10④続>いかなる歴史的根拠に基づくか、ということを、モーセにまでさかのぼり、歴史的順序に従って、順々と説いていき、歴史的に裏付けのないことを切り捨てていく場面があります。
2014-02-13 08:39:16⑤【歴史感覚を拒む日本の輪廻転生】問題を以上のように整理しますと、もうみなさんは気づかれたと思いますが、輪廻転生のような考え方には歴史という要素の入る余地がなくなります。
2014-02-13 09:09:48⑥なにしろ、人間の生涯が前世と後世の間にあって、前世で規定されて後世へ責任を負うのなら、人間は、血族的系譜はもちろんのこと、歴史的系譜からも切り離されてしまいます。
2014-02-13 09:39:08⑦そしてその人の規範が直接に宇宙の秩序にリンクするなら、人とは簡単にいいますと「引力に支配されている者」といったような規定しかてきなくなります。 そしてこう考えますと、人間の規範とは超時代的なもので、世の中が…変わろうと人間の倫理は…論理学のように基本的には一切無変化の筈です。
2014-02-13 10:09:13⑧インドというと、いわば「神秘主義」といった見方が強いわけですが、同時にインドは人類最初の論理学の国です。 これは人間のもつ二面性のようなもので、徹底的に論理的になりますと、その論理で把握できない面が抽出されたような形で神秘主義になっていきますから、当然の結果といえます。
2014-02-13 10:39:14⑨こういう点で日本に神秘主義がないのは当然ともいえます。 というのは、論理的探究の対象である秩序が、「自然」に還元されてしまえば、秩序は「目で見る通り」の自明のこととなってしまうからです。 ただこの「自明」は、他に伝達はできません。
2014-02-13 11:09:06⑩この輪廻転生という考え方を、絶対に受けつけなかったのがセム族です。 どうして受けつけなかったかは、大変に面白い問題なのですが、この究明ははぶきまして、この考え方のない見方で世界を規定していくとどうなるか、それを考えてみましょう。
2014-02-13 11:39:09①【「歴史を支配する神」という思想】前に記しました塚本先生の、聖書の神という概念の定義に 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神……しかし学者の神でない神」 という面白い言葉があります。<『比較文化論の試み』
2014-02-13 12:09:13②この文章の前半は、聖書からの引用ですが、そこにあげられているのは、彼らの父祖の名です。 いわば歴史的伝承の神であっても、 学者(論理的探究)の対象の神ではない、 ということです。
2014-02-13 12:39:17③これは聖書に繰り返し出てくる考え方ですが、この素朴な表現の奥にある考え方は「歴史を支配する」神という考え方です。 いわば輪廻転生のように個人が直接に宇宙の秩序にリンクするのでなく、 人間は歴史に所属し、その歴史は宇宙の秩序(を立てた者)に支配されている という考え方です。
2014-02-13 13:09:05④これは非常に面白い考え方でして、こう考えてしまうと、人間の歴史は人間が動かしているのでなく、一つの絶対的な意志即ち「必然」の支配下にあるという事になってしまいます。 それはちょうど輪廻転生で、一個人に生と死と、その間の循環があるのが必然であるように、必然だという事になります。
2014-02-13 13:39:17⑤ただこう考えますと、宇宙の秩序とは論理的・空間的なものでなく、歴史的・時間的なものになります。 これには当然に、秩序の創造という考え方が入ってくる訳です。 聖書には「天地創造」という物語がありますが、これは文字通りに訳しますと創造(生み出す)ではなく、むしろ構成なのです。
2014-02-13 14:09:10⑥これが非常にはっきり出ていますのが、バビロニア神話ですが、これによりますと、 混沌(カオス/竜で象徴される)を退治して、それを材料にして秩序(コスモス)を立てる という神話です。
2014-02-13 14:39:19⑦この神話は、いわば単なる「物語」として存在したものでなく、長らく、毎年の新年祭で朗唱され、かつその通りを祭儀劇として演じたのですが、それは、そこで「天地創造」を再演することによって、混沌を鎮めて今年の秩序を立てるという意識です。 そしてこの秩序をたてるのが主神マルドゥクです。
2014-02-13 15:09:08⑧【「初めに秩序が立てられた」という思想】なぜこういう考え方が出てきたか、いろいろに解釈されますが、多くの学者は、人間がどうにもできない大河チグリス・ユーフラテス両河と、そこから濯漑溝を碁盤の目のように秩序立てて構成しないと生きて行けないという状況、(続
2014-02-13 15:39:10⑨続>しかも大洪水がくれば一瞬にしてこの秩序が混沌にかえって、皆が滅びてしまうが、しかし究極的にはこの混沌の元である両河に依存しなければ生きてゆけないという状態から来たものであろうと解釈しています。そしてこの考え方は『新約聖書』の中で最も後代の書である「ヨハネ黙示録」にもあります
2014-02-13 16:09:12⑩これは 「はじめに秩序が立てられた」 という考え方です。 「はじめに言葉あり……」という有名な言葉が『新約聖書』にありますが、そこの構文は、実は「創世記」のはじめと同じになっています。
2014-02-13 16:39:19⑪そして、こう考えますと、 秩序とは、歴史的なものになり、宇宙の法則は、歴史の法則として人間を規制する という考え方になります。 これが様々な形に出てきますが、マルクスの考え方も、結局この考え方です。
2014-02-13 17:09:10⑫彼が行なった宗教批判は、むしろ「インド的発想批判」といった方がよいのですが、これは、実に古くからユダヤ人にあります。 ヨセフスという人が書いた『ユダヤ戦記』(紀元100年ごろ著作)という本に「インド人の如く恥ずべき考え方」という面白い表現がでてきます。
2014-02-13 17:39:11⑬【輪廻と旧約の混合――ヨーロッパ思想】ヨーロッパ思想とは、前の輪廻転生的思想と、この旧約聖書思想が混合している(と簡単には言えませんが)わけで、この二つの面がさまざまな点に出てきます。
2014-02-13 18:09:12⑭もし、セム的思想だけなら、天国・地獄といった考え方にはならず(旧約聖書にはこの考え方はありません)、むしろ終末の審判――秩序は必ず混沌に戻りそこで再生する訳ですから、そこが審判になる筈です。 その為、両者を総合したともいえるダンテの『神曲』ですと人間が二回死ぬ事になります。
2014-02-13 18:39:15⑮これは、地獄篇に出てくる「第二の死を叫ぶ」という言葉ですが、一度死んで地獄におちている者が、最後の審判でもう一度死んで、永久の滅びに渡されるという意味です。 二度死なねばならぬとは、大変なことですが、これも二つの世界の混淆を示す面白い一例でしょう。
2014-02-13 19:09:13