ドミニカへの移民政策は、数多くの犠牲者を出した棄民政策であった

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肩(略) @kata_shortening

昭和三十年代前半日本政府はドミニカ共和国に移民を出したんだよね。大戦で傷付いた日本や日本人の対外印象を、開発への技能や人力の提供で回復させるという意図だった

2014-03-02 01:27:35
肩(略) @kata_shortening

外務省の当時の説明ではドミニカへの移民は破格の好条件で倍率も高かった/しかし現地に着いてみると、土地は外務省説明の三割程度、石や株だらけの荒地で、度重なる塩害に見舞われる上に、(塩害の改善にも必要な)水にも事欠き、しかも一部は隣国との紛争地帯という有様だった

2014-03-02 01:38:35
84oca@一木一草 @84oca

@kata_shortening ちょうど10年前に永田町へ出入りするようになった頃、ドミニカ共和国移民問題の和解が成立しました。尾辻秀久元厚労相が先頭に立って外務省の責任を追求していた姿は今でも鮮明に覚えています。

2014-03-02 01:44:53
肩(略) @kata_shortening

後の追及で、外務省は現地の実態を把握した上で移民に「条件」を提示したことがわかっている/それでも幾許かの有用な耕作地を開拓した人々もいた/しかし結局「土地を与える」というドミニカ側の提示が所有権ではなく使用権だったりと、移民たちは終始翻弄される

2014-03-02 01:46:25
肩(略) @kata_shortening

移民たちはこの事態の補償を求めたがドミニカ側は確か応じなかったんだよね/辛うじて母国である日本側の国会で先の追及が行われることになり、移民に対して補償金が支払われることになったのだけれど、それが2001年

2014-03-02 01:53:57
肩(略) @kata_shortening

「ドミニカへの移民政策は、数多くの犠牲者を出した棄民政策であった」

2014-03-02 01:55:16
肩(略) @kata_shortening

例えば医療、社会保障、教育、その他の公共サービス、そして雇用/受け入れ側がまず政治の責任としてこれらを揃えておかないと

2014-03-02 02:07:51
肩(略) @kata_shortening

既存の国民と同じ生活、少なくとも最低限の生活に必要なものを自治体や政府が提供出来なければ、財産や特殊な技能・専門知識を持たないような「廉価な労働力」の移民は棄民になりかねないと思う

2014-03-02 02:10:25