言説分析とエスノメソドロジー

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ヨコギリ屋 @naoekmr

@contractio @livingdebt あくまで自分の経験から言うと、記述主体は作業のなかで不断に「発見」し続けるのだと感じます。それは対象が「意識/自覚」していたことではなく、対象が意識・自覚していなくとも、資料データの上に歴然と見出せる痕跡と、その痕跡同士のつながりを

2014-03-09 12:59:58
ヨコギリ屋 @naoekmr

独り言として―「当事者の分節化に即しているか」否かという判断は、いろいろ考えさせられる。私自身は「当事者」の主観に寄り添うなどということは、自分の作業においてははなから不可能という前提から始めているので、「分節化」とはどの次元で起こる/見出されるものなのだろう、というふうに考える

2014-03-09 13:09:59
ヨコギリ屋 @naoekmr

@naoekmr たしかに私もまたつねに「分節」がどこで生じているかを探しているのだ。それは史料の中に、私には明らかであるように見える断層や接続として現れる。だが断層や接続を作り出した当事者はそのことに気付いているとは限らない。ナイーブな言い方だが、彼らとともに探す感覚はある。

2014-03-09 13:13:42
ヨコギリ屋 @naoekmr

@naoekmr もしかすると思われている以上に、だがもしかすると誰でも感じている当たり前のこととして、作業のなかで研究主体と資料とは非常に相互的で双方向的な関係にある。作業の中で私は孤独ではない。「ああそうだったんです、まさに私は…」相手がこのように語りはじめるのを聞きたいのだ

2014-03-09 13:18:23
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr まずは素人の説明不足の表現に丁寧にご回答いただきありがとうございました。きっかけは不注意な事故のようなものであったとしても、多少なりとも見るべき論点があるかもしれないと期待して、以下簡単に思うところを記します。お目汚しの程ご容赦を。

2014-03-09 13:39:15
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr そもそも「死人(しにん)に口なし/死人(しびと)ないしは死者の口寄せ」という軸について考えはじめたのは、どこかで「社会学者の言ってきた言説分析は、死人に口なしのそれであった」という表現(だけ)を断片的に見かけたのがきっかけでした。

2014-03-09 13:42:54
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr どのような文脈でこの発言が出たのかは全く存じませんし、「社会学者」に対してどのような立場が対置されているのかも不明なので、その意味するところを確定する術もないのですが、にもかかわらず興味深い論点が含まれているように感じました。

2014-03-09 13:46:14
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr ですから、ここから先は門外漢が手前勝手に考えた妄想の域を出るものではありません。最初に考えたのは、「死人に口なしの言説分析」という言い方があるとすれば、「そうではない言説分析」というのもあるのかもしれないという点でした。

2014-03-09 13:49:57
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr そこで対立項として勝手に立てたのが「死者の口寄せ」で、そもそも何らかの対立関係を想定すべきか、想定しうるとしてそれが「死者の口寄せ」として形容すべきものか、という点から議論の余地があるかと思います。

2014-03-09 13:53:32
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr ただ「いかにすれば〈成員による分節化に即して〉いることになるか」を考える上での論点の一つにはなりうるかとは感じました。たとえば、「本人たちが意識しないにもかかわらず、それに従ってしまっているような土台なり、論理群なりが存在する」という…

2014-03-09 13:59:25
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr …発想をとったとき、「意識しない」や「従ってしまっている」を妙なかたちで解すると、「分節化に即しているか」「レリバンシーを追えているか」という検討がおろそかになる危険性は、確かにあるかもしれないと感じました。

2014-03-09 14:06:19
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr その発想が妥当かどうかは別にして、仮にエピステーメー的なものの存在を前提とした場合でも、本来はそうした作業も〈成員による分節化に即することを目指している〉と放言する余地はあるようにも思います。

2014-03-09 14:15:19
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr ×前提 ○仮説的に設定、くらいでしょうか。

2014-03-09 14:16:02
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr 〈成員による分節化に即する〉ということが、すなわち〈当人が本当は何を言おうとしていたのか語ろうとする〉〈主観に寄り添う〉ことと一対一対応するようなものではないと思うので。この辺りは、「概念の論理文法」の身分にも関わることかもしれません。

2014-03-09 14:19:10
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr 「実践されている分節化」くらいのものを想定するならば、「主観か/はたまた識域下か」という点は、実は第一義的に重要なものではないかもしれない(今度は「実践」がマジックワードに堕す危険性はあるにしても)。

2014-03-09 14:26:41
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr ただ「主観性」を相対化しようとするあまり、「主観性の水準に必ずしも照準することなく分節化に即して記述する」などといきり立った場合、「でも、それは本当に実践されていた、そこで実現されていた分節化なの?」という検討がお留守になる蓋然性は…

2014-03-09 14:32:11
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr …あるかとも、思いました。「当事者たちの主観性にものぼらない」が「再記述者の独断」に落ちる危険性。「見えないものを見る力」と「ないものを見る力」との、案外微妙な差異。

2014-03-09 14:34:42
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr 元の「社会学者たちの、死人に口なしの言説分析」というもの言いのなかには、その辺りの含意も込められていたのかな、と独り合点して、それに対置される立場として勝手に「死者の口寄せ」という表現をでっち上げたのでした。

2014-03-09 14:40:38
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr 「口寄せ」という表現を採用した際には、必ずしも「当人が何を言おうとしていたのか」「主観」を第一義に置くことを想定してはいませんでした。むしろ「言っている」のか「言わされている」のかは曖昧にしておける表現くらいに考えていました。

2014-03-09 14:45:49
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr 「死人に口なし」、すなわち「反論できない」「独り合点」の危険性を意識し、当該事象で実現・運用されているレリバントな分節化に即することをより意識する立場が「口寄せ」であるくらいに。

2014-03-09 14:51:15
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr ただ、改めて見れば、この表現自体が「主観性」を強調するきらいは確かに否定できません。

2014-03-09 14:51:49
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr ご指摘の《「接近する」とか「なりかわる」ようなこととはまた別の次元》というようなお話も、もしかするとこの辺りに関わってくるお話かもしれません(反省したそばから、また「独り合点」ですが)。

2014-03-09 14:54:15
縮限 @contractio

@livingdebt 「口寄せ」の含意を誤解してたようですみません。 @naoekmr

2014-03-09 14:55:48
livingdebt @livingdebt

@contractio @naoekmr 「お話も…お話かもしれません」 #とは

2014-03-09 14:56:15
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