言説分析とエスノメソドロジー

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縮限 @contractio

@livingdebt でも、それを離れると(=EM以外の普通の研究では)両者は別のことを指すでしょう。

2014-03-09 06:15:12
縮限 @contractio

@livingdebt そこでデータセッションですよ。

2014-03-09 06:15:47
livingdebt @livingdebt

@contractio この部分については、もう一度地図に戻って自分なりに整理したうえで、いかなるかたちで「読者に示すか」(あるいは別のこととして扱うか)考えてみます。

2014-03-09 06:17:25
livingdebt @livingdebt

@contractio 当事者の分節化にどの程度即しているか、その妥当性の検討を複数の者による検討で担保するというEMの人々の実践は、個人的に興味が惹かれる部分です。「私にも理解できるのだから」というアリバイとしてのみ「理解可能性」を使うわけではない、ということにもなるので。

2014-03-09 06:22:12
縮限 @contractio

ちなみに私自身は、「概念」よりも「記述」という術語のほうが読者に対する負荷が高いのではないかと思っている。 EMの文献で「記述」が出てきたら、それはまず第一に「成員たち自身が行っている記述」のことを指すわけだが、 ・まずそのことが伝わらないことが多く、

2014-03-09 06:24:30
livingdebt @livingdebt

@contractio いつか具体的な資料が複数人で検討されていくなかで、(単なるブレイン・ストーミングではなく)妥当性な解釈として一定の収束をみていくという過程を、端の方からオブザーバーとして垣間見たいと思っております。

2014-03-09 06:24:53
縮限 @contractio

・伝わった場合には「記述」の意味内容が不明となることが多い。 おそらくここには、description と「記述」の違い──翻訳の問題──もあるのではないかと思う。

2014-03-09 06:26:28
livingdebt @livingdebt

@contractio 但し、たとえデータセッションでの検討を経ても、いざ書く段になって「当事者の分節化に即している」ことをよく書きうるかはまた別の話だと思うので、先行研究での、記述レベルでの「死人に口なし」と「死者の口寄せ」の差も引き続き検討していきたいと思います。

2014-03-09 06:27:11
livingdebt @livingdebt

@contractio 遅くまでおつきあいいただき、ありがとうございました。

2014-03-09 06:27:26
岡澤康浩 @okazawa_y

ほかの問題意識はあまり共感/理解できませんでしたが、この分析の妥当性はどのようにして確認されるのかについてもっと説明して欲しいという要望は共感できるように思えます。ただ、それをことさらEMの人がするときに問題とするのはなぜなのかとも思います。

2014-03-09 06:50:11
岡澤康浩 @okazawa_y

死人に口なし/死者の口寄せという区別はよくわかりません。分析することは死者の口寄せをすることだという理解は、フィールドワークに行って「~とインフォーマントが言っていました」ということと似ているように見えますが、EMのひとがしている分析はそのようなものと異なるように思います。

2014-03-09 06:50:18
岡澤康浩 @okazawa_y

分析の妥当性云々の話に対しては「データ・セッション」が用意されているとして、歴史的資料を用いた場合のデータ・セッションとはどのようなものか、というのがピンとこないという問題かもしれません。

2014-03-09 06:51:50
岡澤康浩 @okazawa_y

それを分かるには歴史史料のデータセッションに参加してみればいいのかもしれませんね(提案)。

2014-03-09 06:52:48
岡澤康浩 @okazawa_y

高度に専門的な場面で、通常の常識的チキでは何が起こっているか分からない状況でもデータ・セッションができるのであれば歴史史料でもできるのではないかという気がしますが。

2014-03-09 06:53:42
岡澤康浩 @okazawa_y

歴史史料の場合は、対象者が死んでいてそれをチェックできないということが問題だ、という主張なのであれば、それはデータを分析することとデータに登場する人物たちの自己解説を同一視しており、データを分析することにたいして誤解があるのではないか、とひとまずいえるかもしれません。

2014-03-09 06:55:25
岡澤康浩 @okazawa_y

それが「死者の口寄せ」という言葉の含意であれば、わたしの理解するところのデータの分析の実態と異なるように思えます。

2014-03-09 06:56:25
岡澤康浩 @okazawa_y

まあ、わたしは別にEMの人間ではないので、詳しくは識者に聞いてみるしかありませんが。

2014-03-09 06:57:44
縮限 @contractio

@livingdebt 「死人に口無し」と「死人の口寄せ」は対立するものには見えませんね。

2014-03-09 12:00:12
縮限 @contractio

@livingdebt 当人が本当は何を言おうとしていたのかを当人に代わって語ろうとするから(「口寄せ」)、当人たちが反論することができない(=「口無し」)ことが問題になりうるわけで。

2014-03-09 12:04:06
縮限 @contractio

@livingdebt そもそも そういう(当人たちが何を語ろうとしたのかを語る、という)ところに作業目標を置かなければ、死人に口がないことを気にかける必要は無いように思います。

2014-03-09 12:07:14
縮限 @contractio

@livingdebt ただし「口無し」が問題になるのは「口寄せ」しようとする時だけではないので、これで話が尽きるわけではないでしょうが。(たとえば「事実はこうであった」型の言明も、参与者・目撃者から反論される可能性がある、など。)

2014-03-09 12:09:57
縮限 @contractio

「記述する」と表されるべき事柄に対して、 社会学の古い文献では、 「認識する」とか「意識する」とか「定義する」といった言葉が据えられてきたのではないか、という疑惑が浮かんだので記しておく。

2014-03-09 12:16:52
縮限 @contractio

「おなじことだ」というのは、「やる作業はおなじだ」ということね。 「記述の分析」と「概念の分析」はおなじものだ、ということではなくて。

2014-03-09 12:31:35
ヨコギリ屋 @naoekmr

@contractio @livingdebt 横から失礼します。これすごく大事。私たちは「彼ら」になりかわることは不可能で、近似値を狙うのでもない。歴史記述で「理解する」ということは「接近する」とか「なりかわる」ようなこととはまた別の次元にある、記述主体にとっての経験と感じます

2014-03-09 12:56:49
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