3年前の今日、福島原子力発電所事故は破局的な局面を迎えた。3.11は日本史上最大規模の天災だったが3.15は史上最悪レベルの複合的人災だったよね。 http://t.co/ua1shEH9HZ 忘れてはならない。
2014-03-15 15:46:213年前の今日、福島へ向かうバスへ乗り込んだ。 数時間の間に、命を落とす可能性も、命懸けで帰ってくることも考えた。 今、こうしてここにいることは、ほんまにありがたい。
2014-03-15 17:18:003年前の今頃、仕事場の近くで原発事故前から放射線量の計測をされていたこちら↓ http://t.co/6CdiG6aGh3 のグラフを見ながら「院外に人を出してはいけない。場合によってはレントゲン室に退避」とか考えていました。 どこまで上がるのか見当もつかず、すごく怖かったです。
2014-03-15 11:35:18@ye2cun 事故前からの空間線量率の基準データーとしてとても貴重ですね。自治体や国に寄らない個人測定(しかも研究者による)のデータは権力による隠蔽、改竄、捏造といったデマを退けるのに役立ちました。直線で250km、プルームは風向きや風の強さにもよりますが一時間程で通過ですね。
2014-03-15 11:44:31仕事場の役職者達と、停電時や大きな余震が起こった場合の行動マニュアルを急遽作成したのですが、その中に、具体的な内容には踏み込まなかった(口に出せなかった)ものの過酷事態を想定した項目もあり、私→副院長→○○先生→××先生みたいな、いざという時の権限の継承順位も決めていました。
2014-03-15 20:47:31誰かが居なくなったら誰が仕切るかを決めても、具体的にどうするかは決められず、「身の安全を確保を第一とする」のような言い回しをしていました。 家人にはクレジットカードを渡して、備蓄のためというよりは最期の晩餐も意識して「好きな食べ物を買ってきて」と伝えました。
2014-03-15 20:54:35家人の実家は宮城南部、福島に食い込んでいるような場所です。震災後全く連絡が取れず、報道に出ることも無く、ツイッターでようやく得られた情報が『遺体安置所設置』で、家人には「多分大丈夫でしょ」と言いながら、動転していました。 何かあるとすぐ泣く家人が妙に冷静だったのを覚えています。
2014-03-15 21:02:30夜中にアダルトサイトから迷惑メールが届き「こんな時に…」と思うとブチ切れてしまい、午前3時にその業者に電話をし「社長を出せ。寝てるなら起こせ。居なければ呼び戻せ」とわめき、「お前を呪う」とか言ってました。 家人は、私が狂ったと思ったそうなのですが、やはり少し狂っていたと思います。
2014-03-15 21:13:57数日の後、家人の実家の無事が判明し、しばらくして私も福島、宮城を訪れましたが、地震や津波による被害は生々しく、痛々しく、うず高く積まれた瓦礫の山は消滅した街を弔う墳墓のようで、それを目の当たりにした私は身動きもできませんでした。
2014-03-15 21:52:44『放射能の影響で福島は阿鼻叫喚の地獄絵図』のようなデマは既に流布し始めていましたが、福島に暮らす人達を批判、罵倒する論調が散見されるようになったのは夏前頃からだったと思います。それを見て私は「何か違う、おかしい」という思いを抱きました。
2014-03-15 22:04:29原発事故直後の恐怖(被曝に対する恐怖というよりは、何が起こっているのかわからない、これからどうなるのかわからない、とにかくわからないということに対する恐怖)から「測りたい」と思い、その後のデマの流布を見て「測らねばならない」と思い、今に至っている次第です。
2014-03-15 22:09:40@kazooooya お気遣い有難うございます。得体の知れないものに対する恐怖や『根拠に乏しくとも「危険!」と叫ぶことが正義』とする論調を打破するには、これでもかってくらいに測らなければと思っています。微力ですが「しつこさ」には自信があるので、とことん続けるつもりでおります…。
2014-03-15 22:17:39でも何やかや言いながら、東京に居ながらにして酪王カフェオレのぬる燗をマグカップになみなみと注いで飲みながら「ンハァ」とか言ってられるんですから、この3年ってすごいというか、尊いと思います。 万事OKという状況では決してないですが、絶対にもっと良くなると思います。
2014-03-15 22:29:23@ye2cun 東京はたまたま無事だっただけで、いつ何時東北と同じなるかはわかりませんが、これからも普通の日常に感謝して生活したいです。できるだけ東北を支援していきたい。
2014-03-15 22:56:57@guwati 震災を通じて学んだことは多いですが、私の場合、自身の実家に帰る際の通過点に過ぎなかった東北各地が、実は豊かな風土に満ち溢れており、それに魅了されてしまうきっかけになったという面もあります。 誰のためというより先ずは自身のために、思いを寄せ続けたいと考えております。
2014-03-15 23:39:59@guwati 自身が行きたいから、食べたいからそうしてるだけなのに、それを喜んで下さる方がいらっしゃることを、私も(申し訳ないくらいに)嬉しく思っています。 各人各様、それぞれのスタイルで多くの皆さんが関わりを持ち続けてくれればなぁと思います。
2014-03-15 23:59:53@ye2cun 支援と言っても特産品を取り寄せたり、店舗で見たら積極的に買ったり、東北観光に出かけたり、見たことを見たままツイートしたり、ありきたりな事しかやれませんけど関わり方はそれこそ各人各様ですし。私には東北に知己も関係者もいませんので、そんなやり方になりますか。
2014-03-16 00:06:13@guwati 私は縁者が宮城・福島に居りますが、それでも未知の領域は数多あり、みなさんのツイッター情報を大いに参考にしております。昨夏出会った『桃のフリッター(揚げ物)』は特に衝撃的でした。 地元のみなさん、東北を訪れたみなさんが積極的に情報発信することは大変重要だと思います。
2014-03-16 00:38:04「サンネンゴー」と連呼していた『根拠に乏しくとも「危険!」と叫ぶことが正義』とする人達が、5年後、10年後と言い始めたのは予想通りの展開です。 せめて「なぜそうならなかったのか」を検証した上で次に繋げてほしいのですが、そもそも根拠に乏しいのですから検証のしようもないですよね。
2014-03-16 10:34:50@ye2cun @kazooooya科学立国日本のリテラシー限界を垣間見たような気がしました。ソフト面でまず重要なのは教育、メディアの立て直しだと浮き彫りになった3年間でした。 ハードの抱える問題も半分はこの辺から来ているかもです。
2014-03-16 16:13:06そう言えば3年前の今頃、各地の自衛隊が遠路はるばる入れ替わり立ち替わり、うちの町にも来てくれて水の配給をしてくれたり、電気、ガス、水道、道路等のインフラ復帰のために通行が困難な中、出向いて来てくれた人達がいました。
2014-03-15 16:21:23また東北道を北上する消防車、自衛隊車両、援助物資を運ぶトラックの群れを目にしたのもこの頃。皆さん改めて東北のためにありがとうございました。
2014-03-15 16:23:183年前の今日か。朝のNHKニュースで「2号機圧力抑制室で異音。圧力低下」というニュースを聞き、朝日で「これで為す術がなくなった」(だったと記憶)という解説を読んで、東京のターミナル駅ではパニックが起きるのでは、さて、自分はどうすると、暗澹たる気持ちになったのは。
2014-03-15 16:23:20