ピアノによるマーラー交響曲集 Mahlers Sinfonien am Klavier vorgetragen

ピアノによるマーラー交響曲集 Mahlers Sinfonien am Klavier vorgetragen http://ooipiano.exblog.jp/21687393/ 2月26日(水)20時開演(19時半開場) 京都・カフェモンタージュ (地下鉄「丸太町」駅徒歩5分) 続きを読む
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あきぼー @akiboo2000

@y_apam 今年の夏はこれでっせ!狂ってる(笑) http://t.co/zGvaR793ql

2014-03-02 14:42:30
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ombre double @ombredouble

!!! 大井浩明のメシアンありそうで無い、というか有りそうにない組み合わせ(爆) “@y_apam: 出張作って関西行きますわw @akiboo2000: 今年の夏はこれでっせ!狂ってる(笑) http://t.co/fDdDthkVFE

2014-03-02 19:38:11
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猫またぎなリスナー
nekomatalistener さんのブログ
http://nekolisten.exblog.jp/19529029/

日曜の昼下がり、法貴彩子と大井浩明のジョイント・リサイタルに行ってきました。法貴さんについては昨年の11月にも本ブログで取り上げましたが、何ともあっぱれな雑食ぶり。いや、肉食と言ったほうがいいか、あるいはゲテモノ食いなのか(いずれも褒め言葉)。

…マーラーの交響曲から、その大規模なオーケストラによる迫力とか、精緻なオーケストレーションによる華麗な音色といった魅力を捨て去ってもなお音楽として魅力あるものであった、という発見が何より大きいと思います。マーラーが第4交響曲で描こうとしたモーツァルト的世界、あるいは第6番におけるユーゲントシュティルの追及といった要素は、オーケストラで聴くよりリダクションのほうが寧ろ鮮明に聞こえるくらい。特に第6番の第1楽章の展開部で、原曲ではカウベルがごろんごろん鳴るところとか、フィナーレのハンマーの一撃に至る展開とかが如何に天才的かつ異常な音楽かということがありありと判りました。

4番と6番の聴き比べということに関しては、一聴した限りでは断然6番のほうが面白いと思いました。ただ、それが編曲者の違いによるものか、原作自体に起因するものか、あるいは演奏者の問題なのかは俄かに判断がつきません。編曲者の力量については、作曲もしていたとはいうものの一介の楽譜編集者であるヴェスと、作曲家としてそれなりの人であるツェムリンスキーでは格差は歴然としていそうだが、耳で聴いた感じとしてはそれほど明確な差があるとも思えません。4番のほうが演奏者二人の手が頻繁にぶつかって弾きにくそうな感じはしましたが、一般的な意味で言えば6番の方が技巧的には難しいだろう。結局は演奏者二人が、6番のほうがノリが良かった、ということだろうか。

…マーラーの演奏については大井氏がプリモで法貴氏がセコンド。ペダルは大井氏担当、ということで明らかに彼の意向が表にでた演奏。4番ではアンサンブルにいくぶん危なっかしいところもあり、この交響曲独特のカンティレーナの表現という点でも若干問題はありましたが、後半の6番は文句なしの凄演。80分に及ぶ演奏が全く弛緩することなく、あっという間に終わったという印象。…

…アンコールがあるというだけでも驚きだが、一曲目はショスタコーヴィチの5番のフィナーレ。大井氏はショスタコ嫌いだと思ってましたので、これはリダクション版でマーラーの劣化コピーぶりを満天下に晒そうという悪意の籠った所業だろうかと思いきや、意外に4手連弾の身もふたもない響きが曲想に合っていて、まるで元から連弾用に書かれていたみたいに聞こえる。ちなみにアンコールは法貴氏がプリモに回り、彼女の意志の強さみたいなものがビシビシと伝わってくるのも痛快。…

…最後に大井氏の「70年代の現代曲をやります」との前口上があって始まったのが超絶技巧版ルパン三世のテーマ。これ実際に聴かなければ想像もつかないでしょうが、腰抜かしそうな名編曲の名演でした。もうやんややんやの大拍手。法貴さんもノリノリ。いや~楽しかったです。…

音楽と競馬、思ったことを書いて行きます
magic1963 さんのブログ
http://ameblo.jp/magic1963/entry-11785726595.html

…演奏ですが、第6番の方が圧倒的に良かったです。合わせやすい曲調と言うのが大きいのでしょうが、それ以上にツェムリンスキーの編曲が奮っていました。マーラーの多彩なオーケストレーションを上手く4手のピアノ用に散らしていて、演奏効果が上がるように仕上げられていました。ツェムリンスキーはこうやってマーラーのオーケストレーションを研究しながら、自身の作品にうまく応用したのではないかと思わされます(それでも、第4楽章後半のテンポの速い場所は、さすがにピアノでは音楽が広がって行かずに、多少単調な譜面にならざるを得なかった感じですが・・・)。その編曲の上で、名手のお二人が鍵盤の上で火花を散らすが如く、約80分の間、微塵も身動きが出来ないような、そんな素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。第1楽章の呈示部を繰り返されたのもGood!。特にこの曲では、低音域パートの法貴さんが非常にしっかりとしたピアノを弾かれることもあり、大井さんも弾きやすそうにお見受けしました。一方で、特に第4番で特に顕著でしたが、どうしても譜めくりが難しいですね。大井さんと法貴さんが望まれる譜めくりのタイミングとがそれぞれ異なっていて、加えて譜めくりされる方の所作がもうひとつだったので、譜めくりの度に演奏が停滞したり、めくり直したり、そして大きく間違えてしまったりと、興が冷めてしまう瞬間があったのは少々残念でした。また、第4番は曲が大人し目な分、ルバートする個所も多く、お二人の息が合わない個所が見られたのは、少々練習不足だったのかも知れません。それでもこういう挑戦的な試みに接することが出来、貴重な体験をさせて頂きました。…

音楽にまつわる覚え書き
Yosuke Kudo (ショスタコーヴィチ研究家)さんのブログ
http://dsch1975.blog75.fc2.com/blog-entry-608.html

ピアノによるマーラーの交響曲の演奏、ということで、ピアノ・リダクションの意義やピアノという楽器の持つ可能性などが議論の焦点となるべきかもしれないが、ピアノ音楽にもマーラーにも明るくない私にとっては、純粋に2曲の交響曲を聴いたという印象。
具体的な技術論は全くできないが、明らかに実際の楽器配置を念頭に置いた響きの処理の見事さが、この印象に大きく寄与しているのだろう。
編曲の良し悪しもあるのかもしれないが、第4番の鷹揚な歌よりは明らかに第6番の振幅の大きな慟哭の方が演奏者のキャラクターにも合っていたようで、聴き応えは断然後半の第6番に軍配が上がる。
リダクションだと曲の構造がよく分かる、といった類の意見には必ずしも同意しない(多様な楽器による多彩な響きが曲の理解を助けることだってあるだろう)が、演奏者が少ないことによる意思の徹底や緊張感の持続といった点で、オーケストラに勝ると感じられる瞬間も少なからずあった。たとえば、第6番の第1楽章が終わって、そのテンションのまま第2楽章が始まったところなど。
アンコールのショスタコーヴィチは、さすがにオーケストラでは実現が困難なべらぼうに速いテンポが秀逸。ショスタコーヴィチの作品の大半は、速ければ速いほど良いと考えている(少々乱暴な言い方ではあるが)私にとっては、イメージ通り。また、メトロノームの数字で指示されるテンポの変わり目の前後にアッチェレランドやリタルダンドの指示があまりないこともショスタコーヴィチの特徴だが、オーケストラでは滑らかにテンポを変化させる、あるいは変化せざるを得ないことが多いのに対し、階段関数のように不連続にテンポが上がっていくのも痛快で刺激的だった。
もう一つのアンコールは、「1970年代後半の日本の現代作曲家の作品」という紹介で「ルパン三世のテーマ'79」……凡百の演奏とはあらゆる点で異次元の出来。まだまだ弾き足りないと言わんばかりの演奏者の姿は、なるほどこれだけの技術とバイタリティがなければ、長大な交響曲を並はずれた説得力で弾き通せないのだということを納得させるに足るもの。…

…しまいには聴衆があからさまに苦笑いするほどの顔芸を披露しつつ、悉く譜めくりに失敗しまくっていた譜めくりの方には、いくらお綺麗な若い女性とはいえ、苦言を呈しておきたい。演奏者が密かに不満に思う程度ならばいざ知らず、あれは演奏会そのものをぶち壊しにするレベル。今後、二度と譜めくりの仕事はお受けにならない方がいい。

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