正しくTogetter / min.tにログインできない不具合が発生中です。X側の修正をお待ちください(詳細はこちら)

ハイデガーの和訳文のお勉強メモ

仏教徒には経典にみえるらしい現代の聖典ハイデガー。それはコギトの被制作性=存在忘却をめぐるからだろう。私は英訳でしかハイデガーに触れていなかったが、複数の和訳に見られる動揺から、日本にのみ孕まれた屈折について考えさせられてしまう。斎藤元基博論を読みながら、3つの和訳でハイデガーを比較対照しながら、コギト批判をめぐるハイデガーの寄与にいたる転回と、メルロ=ポンティーのコギト論や脱構築との深度を測定中。
6
前へ 1 2 3 ・・ 13 次へ
岸田 信一 @Shin_Kishida

@sunamajiri 言葉に心を奪われるという状態は転回した状態にあったいえるのかもしれません。心ここに在らず、です。

2014-04-13 20:14:50
岸田 信一 @Shin_Kishida

@sunamajiri こころを奪われるような状態です。だいぶん平生になってきました。 高校時代にデカルトの「方法序説」を読んだ時は、夜眠られませんでしたけど(笑み)。

2014-04-13 20:05:58
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

転回https://t.co/TkXRTuS8Vn しちゃいましたか?ww(^-^)/ @Shin_Kishida 朝イチに買いました。今日の午後は恍惚としていました。こんな時間を過ごしたのは、学生時代に、タルコフスキーの「ストーカー」や「サクリファイス」を観て以来

2014-04-13 19:47:31
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ずいぶん即効ですね、手許にあったんですか?(^-^)/ @Shin_Kishida 「ヘルダーリン詩集」を読みました。大変よかったです。教えてくれて、ありがとう。

2014-04-13 18:56:13
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

続)言語が観念であることから共同的先天的な意味であることへの転回は、イアン・ハッキングのいうとおり、ドイツロマン派によるのだとして、ヘルダーリンを論じる前のハイデガーが、非延長・非志向、つまり現存在が世界と合一であることを観念化し、ヘルダーリンで転回するという点が興味深い。

2014-04-13 07:02:16
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

続)ところで、ハイデガーは延長と志向性を批判して、延長的な客体つまり超越を非延長的な存在者と呼び、空間的な志向を、内-世界で「隔たることで、隔たりがないこと」である現存在と呼んだりするようだが、そもそも延長~志向は、17世紀に言語が観念のままであることから派生したに過ぎない。

2014-04-13 06:50:35
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

続)もちろんイアン・ハッキングに依らずとも、言語論的転回とは、言語が後天的な自分にだけ通用する観念であること(それゆえ他人の言語=観念への懐疑論と成ること)から、先天的に言語に意味があると見做すことへの変化のことで、共同体が非切断的・継続的にあると見做すことだ。

2014-04-13 06:40:30
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

つまり、コギトでは言語が観念のままで、意味にならない。言語が意味に転回するとは、共同体のことだ、というのがこの転回の命題なわけだが、イアン・ハッキングは70年台初頭のイギリスでの言語哲学離れ・ドイツ哲学への傾倒、70年台後半の人工知能論者の17世紀への逆行を論じている。

2014-04-13 04:33:13
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17世紀の言語=観念というコギトの問題からの言語論的転回は、英米の言語哲学からみても、どうしてもドイツロマン派である必然性があるが、カントではだめで、ヘーゲルにそれを求めるヘルダー、というチョムスキーの言語学史観を紹介しているようだ。http://t.co/36IHmzSzCB

2014-04-13 03:59:04
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17世紀の言語=観念というコギトの問題からの言語論的転回は、英米の言語哲学からみても、どうしてもドイツロマンはである必然性があるが、カントではだめで、ヘーゲルにそれを求めるヘルダー、というチョムスキーの言語学史観を紹介しているようだ。http://t.co/36IHmzSzCB

2014-04-13 03:56:53
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

イアン・ハッキングの日本語版への序文も89年と牧歌的だが、デカルトの懐疑のように、言語が私秘的な観念の17世紀から、言語が公共的な意味になった時点を問い、「人工知能論者」は言語を17世紀の観念論で捉えている、という論考になっている。http://t.co/36IHmzSzCB

2014-04-13 03:46:53
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ヒラリー・パトナムの方が面白いと思っていたのだが、80年台英文で読んで以来、たまたま先日古書店で日本語訳を発掘。日本語版への序文書下しが、人工知能論者に台頭している17世紀言語観を纏めていて懐かしい雰囲気。http://t.co/36IHmzSzCB @siteki_meigen

2014-04-13 03:38:08
社会学・哲学・文学等私的名言bot @siteki_meigen

@sunamajiri @Shin_Kishida さらにはハッキングによれば多重人格は西洋に特有の観念だということになります(わたしはこれには懐疑的ですが)。いずれにせよ、「日本」というカテゴリーでの議論にはあまり則さない。

2014-04-12 18:40:35
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

「ハイデガーの和訳文のお勉強メモ」をトゥギャりました。 http://t.co/4MufjXdlZV

2014-04-12 01:58:19
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

メルロ=ポンティのコギト論は、フッサールのコギタチオから、スピノザの汎神論を捉えハイデガーに批判的なように見えるのだが、ハイデガーの場合は、コギトをスピノザのコギタンスで捉えて、フッサールが〔コギト=実体〕と捉えていないと批判しているように読めるね。@LitoSnowfield

2014-04-11 23:16:02
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

デカルト以降、コギト批判しかないのだが、ハイデガーの場合、スピノザのようにego sum cogitans(國分によると方法による描写)と捉え、(斎藤が指摘するように)方法を分節しようとしているようなのだが、メルロの場合、当初は方法が未分化に見えるね。@LitoSnowfield

2014-04-11 21:26:03
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

メルロ『知覚の現象学』は序文の通り、ハイデガー主著の挫折を、フッサール批判の失敗と捉えるのだが、スピノザのcotigansの描写を批判するのが『知覚の現象学』であるなら、ハイデガー『寄与』の転回を予見していない、ということになりかねないからね。@LitoSnowfield

2014-04-11 21:09:28
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

・・と、人は、そうしたハイデガーを批判するものとして、メルロ=ポンティー『知覚の現象学』のコギト論のスピノザ批判に当たるのだろう。それが、死んだ神に対する最後の神を説いたハイデガー『寄与』が死後刊行される前に受容された意味に、立ち返るのであった。@LitoSnowfield

2014-04-11 19:20:52
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

しかし、つねに逆説を要する循環なのだが、仏教徒だからかスピノザの方法がデカルトのコギトを物と描写したからかしらないが、ニーチェの死んだ神も、ハイデガー寄与の最後の神も、どこか欺く神のようにみえて、デカルト~カントの感覚批判に差し戻したくなるものなのだ。@LitoSnowfield

2014-04-11 19:00:58
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そやね、大きな物語って文字通り神のことだけど、ニーチェのように神の死なんていうと、ハイデガーの寄与のように最後の神といわなければならなくなるほど、終わりようがないね。@LitoSnowfield それは“大いなる物語は終わった”とどうような早計ですね〜

2014-04-11 18:44:44
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ところが、この新しい経典、近代的理性という仮定を存在忘却と総括し批判するハイデガーを、しっかりと受容できた形跡がないのが、そうした日本語訳文の動揺なのだ。自然を実体=神と名付けることである、感覚批判や感性が近代的理性であるはずがないからね。@LitoSnowfield

2014-04-11 18:37:09
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーの存在忘却という問題設定が面白いのは、デカルトがコギトとその延長である自然を、神と同義の実体と見做し、そうした認識を鈍らせる感覚(欺く神)の批判が、カントに至って近代的理性のように命題化されてしまった、という誤謬を批判することだからね。@LitoSnowfield

2014-04-11 18:23:44
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

古神道なんて到来文化の結晶http://t.co/GfOp3IHgQq らしいからね。しかしそうした系譜の切断によって、近代的理性の肝心な命題(コギトを神と同様の実体とするのは存在忘却なのか)を素通りできるはずがない。@LitoSnowfield 仏教もそうですが神道からの影響

2014-04-11 18:15:38
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

仏教国ならフォアゾクラティカー~キリスト教の厄介な問題は素通りできるのかね。デカルトはコギト(とその延長の自然)を、カントは物自体を、「実体」という神を表す術語で呼称することを近代的理性と仮定しただけだが、そうした存在忘却は理性でも何でもないからね。@LitoSnowfield

2014-04-11 18:04:53
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

仏教国だからなのか知らんが、そんなことないコギトはカントが理性にしたじゃないか、と別なものにみえてしまうのか、こういう話題に反応してこないでしょ? だから日本の思想なんて英語で書かれても、ほとんど接点がない。w @LitoSnowfield しょぎょうむじょ〜 <読者が非実体化

2014-04-11 04:20:55
前へ 1 2 3 ・・ 13 次へ