須賀原洋行氏との議論「言論または批判の自由。そしてその場について」
@ryoFC その後の議論は「ツイートを読め」に終始してしまっているから価値は無い。 https://t.co/x8BtQMN1f4
2014-05-08 02:47:59@ryoFC 、驚いたのは「まとめを作るなら許可を取れ」だった。 それって、お前の批判は気に入らないので「批判はするな」ということになる。https://t.co/fbMVKhofj0 これと矛盾するね。このツイートは、まとめを作る自由は認めてるよね。
2014-05-08 02:50:04https://t.co/3TMy4yaT1O "じゃあ、丁寧な態度でお願いしたらどうですか?" これは、「そのツイートはどれか指定できるけど、お前は丁寧な態度でないから、全部読んで探せ」ってことになるな。
2014-05-08 02:51:58https://t.co/U10H5x4Cdn "まとめる時は許可をとるように" 「批判のまとめをする時は許可を取るように」という意味か。 が、しかし、 私がTogetterで須賀原氏を批判する場合でも、彼が「批判の自由の場を奪う」ようなことはしないだろう。持論と矛盾するから。
2014-05-08 03:05:24@ryoFC もし「Togetterでの批判は許さん。他で批判しろ」と言われたら、それこそ須賀原氏の持論(「批判の自由の場を奪うな」)に矛盾するので、「批判まとめ作成時に許可なんて不要」ということだ。
2014-05-08 03:07:43なぜ「自由の場の保障」を訴えるのか
わかった。 経験などによってイジメについて敏感な場合、 多数からの批判がイジメに見えてしまいやすいのと同じ理屈だ。 被害or迫害妄想みたいなもん。これをいくら言ってもダメなはずだ。
2014-05-08 04:26:49@ryoFC 自分の経験や、それによって引き起こされる感情を正当化するバイアスなんだな。 おそらく過去の「仕事の機会を失う恐怖」が強烈なバイアスを産んでるんだと思う。
2014-05-08 04:28:42Twitterと出版社。「場の提供者」としての質の違い
https://t.co/l8MAHxOHEx Twitterはユーザーのツイートに原則的に責任を持ってないはずだぞ。 出版社は出版する際に自主的な判断をしている。だから責任が発生する。 ここが根本的に違う。※須賀原氏は出版社の自主規制が怖い。って言ってるくらいなのに。
2014-05-08 04:36:26@ryoFC 「場の提供者」という括りでは、Twitterと出版社(あるいは出版物)は同じかもしれない。 しかし出版物に掲載する判断は出版社(編集部)に委ねられている。よって責任はある。 また、その責任の取り方として最悪のケースは「廃刊」もありうるわけ。
2014-05-08 04:40:02@ryoFC 出版社が出版物を廃刊するかどうかは(営利団体であれば尚更)最終的には経営判断となる。 これを先回りして【「廃刊しろ」というべきではない】というのはおかしいね。
2014-05-08 04:49:44@ryoFC そもそも「廃刊にしろ」と言われなくても「廃刊」という経営判断がなされるかもしれない。 こんなこと言ったら「廃刊になるかも」と思いながら批判する手を緩める?そんなこと気にしてたら「批判の自主規制」になって、わけのわからんことになる。
2014-05-08 04:51:09@ryoFC もちろん「廃刊にしろ」というのが「やり過ぎ」というのは意見があってもおかしくないのだが、 それは「ケース・バイ・ケース」としか言えない。もし出版物が重大な問題を起こしたら「廃刊しろ」と言う人は出てくると思うし、それを制限することはおかしい。
2014-05-08 04:53:08今回の美味しんぼ問題で「廃刊せよ」というのが適当かどうかは置いておく。以下は須賀原氏の主張の疑問、ツッコミどころ。
須賀原氏の主張の疑問、ツッコミどころ
1) 言論の場は、別に用意可能。例えばTwitter等
たとえ「ある言論の場」を失ったとしても「全ての言論の場を失った」とはいえない。
しかも公開されてTwitterならば、誰でも参加が出来、相互批判ができてフェアな言論空間とも言える。実力次第でメディアより大きな影響力を得られる。
さて「批判として適切・不適切の線引=須賀原氏の認める言論の自由」は?
ツイートを全て読みましたが、何が「須賀原氏の認める言論の自由」の定義なのかわかりませんでした。
つまり彼の主張(言論の自由の定義、範疇?)が明示されてないためにわからないのです。