2014.5.13夜、リフレを提唱し安倍政権前に亡くなった岡田靖さんを追想する矢野さんの呟き
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@toygkto @onakaitaimusi @DukeLegolas 銅鑼衣紋、こと故岡田靖氏の思い出を少し呟きます。 RT ある意味で理屈を曖昧にすることで、本来敵対する嗜好価値観の連中をマジックワードで纏めたり、経済学って道具を使って政治的に動き回ったり
2014-05-13 22:16:37Twitterを見ていたら、銅鑼衣紋こと岡田靖氏のことを「ある意味で理屈を曖昧にすることで、本来敵対する嗜好価値観の連中をマジックワードで纏めたり、経済学って道具を使って政治的に動き回ったり、後に禍根残しただけなんじゃねぇか?」と書いている人がいたので少し思い出を呟きます。
2014-05-13 22:18:44[「生涯一エコノミスト」岡田靖氏の思い出] 矢野は、銅鑼衣紋こと岡田靖氏の弟子になったのは2000年位のことで、岡田さんが突然あの世に行ってしまう2010年4月まで弟子でした。岡田さんが当時在籍していた経済社会総合研究所では「岡田さんの子分の矢野さん」と呼ばれていました(本当)。
2014-05-13 22:23:42(続き)いや、体格も大きいし、誰に対しても態度もでかいし、本当に親分って感じでしたよ。実は大和総研時代の岡田さんを知る方に聞くと、「職場で偉そうに座っている人がいて、部長かなんかだと思って聞いたら、岡田靖という新入社員だった」(当時30歳くらいだった岡田さんの目撃談)だそうで。
2014-05-13 22:27:18(続き)訂正:先ほど「大和総研」と書きましたが、「大和証券」だったかも・・・。ちなみに岡田さんは博士課程まで行ってから就職しているので、新入社員になった時には既に30歳過ぎだったそうです(本人談)。
2014-05-13 22:34:03(続き)という訳で、銅鑼衣紋こと岡田靖さんとは2000年から2010年まで、特に2006年から2008年までは同じビルの別の部署、2008年から2010年までは隣の席で毎日のように経済学の議論をしていました。
2014-05-13 22:39:24(続き)働いていた場所が霞が関の合同庁舎4号館というビルなのですが、そこで働いている間に総理が安倍さん→福田さん→麻生さん→鳩山さんと4人も変わりましたが(2006年から2010年)、我々(岡田さんと矢野)はそれとはほとんど関係なく毎日、マクロ経済学の話ばかりして過ごしました。
2014-05-13 22:46:51(続き)岡田さんが死ぬ少し前、他の「岡田さんの弟子(矢野にとっては兄弟子)」と話をしていて、こんなことを言われました。「岡田さんほど、経済学が好きで、経済学のことだけ考え、経済学で何事も理解しようとする人には会ったことがない。だから弟子になった」と。矢野も同じ気持ちです。
2014-05-13 22:50:43(続き)[閑話休題] 実はある時期、経済社会総合研究所で、岡田靖さん、矢野浩一、高橋洋一さん( @YoichiTakahashi )が並んで座っていた時期があります。ちなみにその時の様子を矢野は「リフレ砦の三悪人」と呼んでいました。注:黒澤明監督「隠し砦の三悪人」
2014-05-13 23:05:01与謝野に剄られた時だね。それはそうと悪人が政治力を使って銅鑼を内閣府に連れてきた。本来は政治力より数学力のほうが得意だけど、政治まわりは誰もやらないからやらざるをえないのだよ。政治力は研究にさくべきリソースが取られて本人は欲求不満RT @koiti_yano: リフレ砦の三悪人
2014-05-14 18:02:40(続き)さて、高橋洋一さんが隣に座っていた時期は確かにあるのですが、岡田さんは政治の話には一切興味がなく、その時期にも政治の話はした記憶がありません。銅鑼衣紋こと岡田靖さんは「最も政治的に動けない&政治的な動きにはまったく興味のない」人でした。
2014-05-13 23:19:44(続き)アベノミスクが始まって1年半近くが経過し、今では「リフレ派は政治家とつながっている」みたいなことをよく言われるのですが、2012年9月(安倍氏が自民党総裁に返り咲いた時)までは、「リフレ派最大の欠点は政治的に動けないエコノミスト集団であること」と言われていました。
2014-05-13 23:28:59(続き)[閑話休題] 「リフレ派が政治家とつながっている」みたいなことを言われるのはまったくの事実誤認なのですが、そう思われる原因の一つは高橋洋一さん(通称:暗黒卿)が1人で20人分くらい働いているからだと(個人的には)思っています。
2014-05-13 23:33:33@koiti_yano 高橋さんのとんでもない政治力を見てると、「この人はやっぱり財務省出身なんだなあ」と思いますw
2014-05-14 00:15:02(続き)2000年頃から2010年までずっと弟子(正確には子分?)として銅鑼衣紋こと岡田靖さんの下で学んだ矢野から見て、岡田靖は「生涯一エコノミスト&政治的に動けない不器用な人」でした。
2014-05-13 23:40:24(続き)実際、岡田さんの最後の職である「内閣府経済社会総合研究所主任研究官」は(一般の方から見れば、「凄い」と思うかもしれませんが、実際には)岡田さんの年齢・キャリアからみて、相応しいものではなく、そんなことになったのは彼の政治的に動けない不器用さ故だったと思います。
2014-05-13 23:46:19(続き)矢野は2008年から2010年まで岡田さんと同じ「主任研究官」だったのですが、その時の矢野は38歳でした(これが標準)。その時の岡田さんは53歳(矢野の15歳年上)ですから、どれほど「岡田さんの年齢とキャリアに相応しくない」かは日本の組織にいた人なら分かるでしょう。
2014-05-13 23:49:06(続き)[閑話休題] 1996年から2001年まで矢野はサラリーマンでした。当時の会社は、一社で社員数14万人という巨大な会社でした。
2014-05-13 23:52:16(続き)岡田さんのお葬式の時に、ある内閣府職員が言ったことなんですが、「岡田さんは、本当なら『日本に住む全ての人のための主任エコノミスト』と呼ばれて死ぬべきなのに、たかが『内閣府の主任』として死なせなければならないのが悔しい」と。
2014-05-13 23:55:36(続き)『日本に住む全ての人のための主任エコノミスト』って呼び名は銅鑼衣紋こと岡田靖さんに本当に相応しいです。政治的に立ちまわることが苦手&嫌いな人で、ただひたすら「どうやったらマクロ経済学で、日本経済が失われた15年から回復でき、多くの人を救えるか」を考えた人なので。
2014-05-14 00:02:05(続き)そんな訳で、岡田さんはいつも「リフレ政策とは、日本に住む全ての人のための政策であって、特定の人たちのためのものではない」とよく言っていました。だから、銅鑼衣紋こと岡田靖さんを慕う人には @bunten さんは左寄り、@baatarism は右寄り、矢野はノンポリ。
2014-05-14 00:06:29(続き)実は、第二次安倍内閣が発足し、本格的にアベノミクス=リフレ政策が実行に移された時に、岡田さんの他の弟子(矢野にとっては兄弟子)に「この状況を見て、岡田さんは喜んでますかね?怒ってますかね?」と聞いたことがあります。
2014-05-14 00:11:58(続き)返答は「喜びつつ、怒っているだろう」。つまり、「リフレ政策=アベノミクスが実行されれば、国民全てに恩恵が行き渡るので、喜ばしい」が、「(本来は日本に住む全ての人のためのリフレ政策が)特定の政治勢力のものであるかのように受け取られる現状には怒っているだろう」ということです。
2014-05-14 00:15:14