インドネシアにおけるオランダ人捕虜K氏のたどった運命

オランダ人から祖母が持っていた戦時中の日本語の資料の解読を頼まれました
30
吉野 忍 @FUKUBLOG

【1/19】5月19日に【拡散希望】でご協力いただいた戦時中の手紙の解読について、ひととおり解決しましたので明かせる範囲でご報告します。 @HIRAYAMAYUUKAIN @naja_hexe

2014-05-26 11:07:11
吉野 忍 @FUKUBLOG

【2/19】事の発端は、Japan Forumの"Translations"という掲示板に5/17投稿された投稿です。この掲示板では、主に海外の方が読めない日本語を投稿し、主に日本人がそれに答えるというものです。質問は日本刀の銘から、漫画の台詞まで多岐にわたります。

2014-05-26 11:09:11
吉野 忍 @FUKUBLOG

【3/19】問題の投稿の投稿主はオランダ人の男性(M氏)で、質問の概要は以下のようなものでした。「先週祖母から2枚の書類を渡されました。一つは祖母の父(K氏)がインドネシアにある日本の収容所に収容されていた時のものです。

2014-05-26 11:10:54
吉野 忍 @FUKUBLOG

【4/19】もう一枚は祖母の父が収容中に誰かに宛てた手紙です。祖母の父は1944年9月18日、捕虜として順洋丸に乗船中爆撃により死亡しました。」 そして誰か解読に協力してくれるならば全文を見せる、というのです。

2014-05-26 11:12:19
吉野 忍 @FUKUBLOG

【5/19】興味をもった私は5/18M氏に個人メッセージを送りました。第二次大戦中の手紙ならなんとか読めるのではないかと思ったのです。そしてM氏からすぐに画像が送られてきました。

2014-05-26 11:13:54
吉野 忍 @FUKUBLOG

【6/19】一つは「俘虜銘々票」というものでした。捕虜の一人一人について、姓名、国籍、所属部隊と階級、捕獲場所、連絡先、生年月日を記したものです。それによればK氏は1903年生、オランダのアーネム出身の陸軍軍曹で、1944年7月29日ジャワ島で捕虜となったようです。

2014-05-26 11:15:16
吉野 忍 @FUKUBLOG

【7/19】さらに裏面には追記があり、M氏の言うとおり1944年9月18日、順洋丸で移送中に雷撃を受け行方不明である旨が記されていました。

2014-05-26 11:16:41
吉野 忍 @FUKUBLOG

【8/19】そしてもう一つが難物でした。半分ほどは読めるのですが残りは候文やくずし字で判読できないのです。身の回りにこのような文章を読める人物に心当たりがない私は、一番判読の難しい文末の一行だけの画像をつけ、ツイッターで拡散し、協力してくれる方を捜しました(5/19)。

2014-05-26 11:18:16
吉野 忍 @FUKUBLOG

【9/19】その日のうちに山梨県の郷土史家、HIRAYAMA KAINOKUNIさん @HIRAYAMAYUUKAIN からご連絡があり、解読についてご快諾をいただき、手紙の画像をお送りしました。

2014-05-26 11:20:05
吉野 忍 @FUKUBLOG

【10/19】HIRAYAMA KAINOKUNIさんから30分もしないうちに全文を解読したものが送られてきました。手紙はK氏が捕虜でありながら働かされていた日本の製糖会社の事務係から市役所の担当官宛で、療養中のK氏の奥さんがこのたび戻ってくるので、

2014-05-26 11:22:03
吉野 忍 @FUKUBLOG

【11/19】「赤腕章」への切り替えの手続きをよろしくたのむ、という内容でした。

2014-05-26 11:24:03
吉野 忍 @FUKUBLOG

【12/19】この「赤腕章」については同時に【拡散希望】で情報を募る中、najaさん @naja_hexe より「日記でみる日本占領時代の蘭印」(オランダ戦争資料研究所) bit.ly/1vSAQDm という資料をご紹介いただきました。これによれば、捕虜のうち

2014-05-26 11:58:10
吉野 忍 @FUKUBLOG

【13/19】日本の企業等で働くことを条件に収容を免れた「ニッポン・ワーカー」は日章旗の腕章をつけていたというのです。K氏が日本の会社で事務員として働いていたこと、奥さんが病院から社会復帰するにあたり腕章が必要だったこと、から考えこれが「赤腕章」である可能性は高いと思いました。

2014-05-26 12:00:42
吉野 忍 @FUKUBLOG

【14/19】また順洋丸という船について調べる中でこのようなサイトを見つけました。(順陽丸(順洋丸) - POW研究会) bit.ly/1m2eBnN

2014-05-26 12:01:06
吉野 忍 @FUKUBLOG

【15/19】K氏を乗せた貨物船順洋丸にはオランダ人を中心とする捕虜約2,200人、ジャワ人労働者約4,300人が乗っており、バタビアからパダンに向け1944年9月16日出港、18日17時半頃イギリスの潜水艦の魚雷による攻撃で沈没したということです。生存者はわずか880人。

2014-05-26 12:01:31
吉野 忍 @FUKUBLOG

【16/19】しかも生き残った880名もパダンに輸送後鉄道建設に従事させられ、終戦時にはわずか96名しか生き残れなかったということです。K氏は順洋丸に乗った時点ですでに99%亡くなる運命にあったのです。

2014-05-26 12:02:10
吉野 忍 @FUKUBLOG

【17/19】K氏の足取りをまとめると以下のようになります。 (-1942.2 インドネシアはオランダ統治下) (1942.2 日本軍侵攻、オランダ軍降伏) 1944 陸軍軍曹K氏(41歳)。奥さんは病気療養中。娘さんは一人。

2014-05-26 12:03:47
吉野 忍 @FUKUBLOG

【18/19】 1944.7.29 ジャワ島で捕虜に。日本の製糖会社で事務員として働く。 8.21 問題の手紙が書かれる。 9.16 バタビアから順洋丸でパダンに向け出港。 9.18 スマトラ島沖で雷撃を受け死亡。

2014-05-26 12:04:38
吉野 忍 @FUKUBLOG

【19/19】日本の統治になってから捕虜になるまで2年の間隔があり、そのあたりの事情はよくわかりません。 M氏に問合せのメッセージを送ったのですが返事はありませんでした。もしかしたら気分を害してしまったかもしれません。

2014-05-26 12:06:59
吉野 忍 @FUKUBLOG

アジア史についてはほとんど知識がなかった私ですが、日本軍の捕虜に対する扱いなどを読むとやはり暗澹たる気分になりました。しかし一方で日本の統治になる前の300年以上のオランダ統治時代に対する様々な意見を読むと、単純にどちらかが悪人という構図では理解しきれないと感じています。

2014-05-26 12:08:08