- kuroko_1011
- 4356
- 1
- 0
- 11
中島敦全集で一番ポピュラーなのはちくま文庫の三巻セットですね。こちらの解説・解題をなさっているのが勝又浩さんです。著名な方で、昭和56年に「spirit中島敦」などを出版していたりします。が、彼の『山月記』読解は教科書に載っているものとは違います。
2014-05-27 22:10:59『山月記』は学校教育においてどう解釈されているか。簡単に説明します。「李徴は非人間的」であり「妻子を捨て」「芸術に執着した」うえ「臆病な自尊心、尊大な羞恥心を持つ」がゆえに虎という猛獣になるという罰を受けたのだ。というものです。
2014-05-27 22:13:41この点において「妻子を捨てたが故に虎になった」もしくは「臆病な自尊心、尊大な羞恥心を持つが故に虎になった」という2説で長々と論争されてきました。そこには「李徴が非人間的である」という大前提がありました。しかし、勝又浩先生はそれをひっくりかえしました。
2014-05-27 22:15:12彼の自責は「自分の人生の責任は他者にありとしてすますことのできない彼の潔癖、彼の主体性の現れであった。この虎がただのエゴイストでないこと、ただの机上の思索者ではなくただの芸術至上主義者でもなかったことを証している」と言います。「彼が気の優しいヒューマニストであったが故の悲劇」だと
2014-05-27 22:20:35そう言われてみれば、妻子の衣食に窮して1回は詩人を諦めて、李徴は再就業をしています。それについて「気弱さが結局、彼を詩のプロフェッショナルにさせるには押しが弱く、遂にその作品もマイナー・ポウェットに終わらせた」と。ついでに「本当は詩の鬼にこそならねばいけなかったのである」とも。
2014-05-27 22:26:25この勝又浩先生の論文から、虎になった理由から詩が不完全であると感ぜられた理由について論争がうつっていきます。他にも様々面白い論文はあります。
2014-05-27 22:28:16谷沢栄一先生は「クラスルームの運営規則じゃあるまいし、「人間性」やら「愛」やら「切磋琢磨」の心得で「第一流の作品が成り立つ」という修身説法は滑稽極まる。昔も今も、一流の芸術が成立する「原因」など決して誰にも解りはしないのである」とも述べています。そうですね、分からないです。
2014-05-27 22:30:19まぁそんな簡単に芸術作品は作れない、ということで。他の視点として、何故「虎」がモチーフとして選ばれたのかという研究も面白いですよ。
2014-05-27 22:32:00虎の肌の文様が字に見えるので虎は文字の象徴としている中国の伝説。また、虎は人にも勝る運動能力をもっています。虎になるという『山月記』のストーリーは決して悲劇ではなく救済であったという読み方もあります。
2014-05-27 22:34:37李徴は、最初は「何故俺がこんな目に合う」と運命を恨みますが袁傪との対話の中で徐々に「責任は自分にある」と自分を責めていきます。そして最終的に「自分がためにこの罪を下された」とまとめ、それまでは見せなかった姿を最高に演出された舞台で一瞬だけ見せて、消えます。
2014-05-27 22:38:25これについて、ナルシシズムであるという指摘があります。李徴は自分の人生を他者により貶められたと考えることをやめ、自分自身を作品と見定めて、演出し、人生そのものを芸術作品とすることで完結させた、そういう論です。他者のせいにするより、自分のせいにする。今でもありますね。
2014-05-27 22:40:20ぶっちゃけて言えば、李徴の悩みなんてごくありふれています。芸術や才能を活かすことに志したいと思う人が何人いるか。そのうちどれだけが現実の生活に絶望しているか。獣と成り得るか。『山月記』の李徴は理想と現実の岐路、進路に悩む中高生のバイブルたりうるのです。
2014-05-27 22:42:48自身の真の姿を見せることができないと、親友の袁傪の前でむせびなく。姿を見せないまま、自分が思い描く自分の最高に醜い姿を語る。非人間的であるというのは、あまりにも人間臭すぎます。そこがやはり気になりますね。
2014-05-27 22:45:31人の性とは、人の性とは不条理である。運命とは不条理である。それをどこまで自分の咎であるとしてうけとめられるだろうか。そんな問いかけをしているように思えます。
2014-05-27 22:46:57李徴が姿を見せなかったということがしばしば焦点とされますが、あくまで袁傪の様子は李徴からは見えてたのではないか、というのが僕の話のメインです。簡単にいえば「李徴は袁傪の表情を見ながら、今のは合ってる間違ってると判断しつつ思考を整理していった為、態度が変わっていく」というものです。
2014-05-27 22:49:40皆さんも、対面して人と話すときは相手の表情をみながら「今の話題はまずかったかな」とか「興味なさそうだな」としていくことがあるでしょう。それと同じように、李徴も袁傪の表情を見ながら徐々に思考を変えていったのではないか、袁傪の表情との対話なのではないか、という推測です。
2014-05-27 22:51:34返事も表情も見せない自然と延々と対話していた李徴にとって、久しぶりに言葉を解するものであり、自分を識る袁傪と対話するということは大きな変化であった。袁傪は言葉さえあまり発しないものの「対話相手として適切な返事を表情に表していた」。だから、李徴は完全に人間を諦めたのでしょう。
2014-05-27 22:54:14大学の講義で作者研究寄りのがあって、谷川俊太郎さん(確か)が題材のひとつにあったんだけど、わりといわゆる「平凡な」(あくまで他者からみて)生い立ちだったのが印象的だったな。ほかが太宰だの三島だのだったから余計…笑 強烈な人生歩んでなくても素晴らしい作品を残すひともいるよって感じで
2014-05-27 22:54:59『山月記』だけでなく、中島敦の作品に連綿として存在する言葉があります。 孟子「指一本惜しいばるかりに肩や背まで失ふのに気がつかぬ。それを狼疾の人といふ」
2014-05-27 22:56:51これについては武田泰淳先生が「作家の狼疾」という中島敦を中心とする(特に『わが西遊記』に関するものですが)文中で指摘しています。また、中島敦自身も『狼疾記』という著書を残しています。この文は中島敦の作品を読むうえで頭に置いておくほうが良いでしょう。
2014-05-27 23:00:10