「レイジ・アゲンスト・トーフ」 エピソード1 「スシ・バー」

B・ボンド&F・モーゼズ作。ネオサイタマを舞台に繰り広げられるサイバーパンク・ニンジャ活劇「ニンジャスレイヤー」の私家翻訳物のtwitter連載まとめ 第1巻「ネオサイタマ炎上」より エピソード2はこちら http://togetter.com/li/72554
ニンジャスレイヤー
sinkaku 130512view 4コメント
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  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:05:10
    第1部「ネオサイタマ炎上」より 「レイジ・アゲンスト・トーフ」 エピソード1「スシ・バー」
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:06:26
    今宵もネオサイタマに髑髏のような満月が昇り、汚染物質を大量に孕んだイカスミのような黒雲がそれを覆い隠していた。色褪せたケブラー・トレンチコートを重金属酸性雨に濡らしながら、その三十がらみの下層労働者は、「や」「す」「い」「!」と書かれた無人スシ・バーのノレンをくぐる。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:08:29
    無人スシ・バーは、ネオサイタマで最も典型的なファスト・フードのひとつだ。老人たちが好む古き善き回転スシ・バーのような笑顔や暖かみは無く、かといって、若者たちが好むドンブリ・ポン社のチェーン店のような無軌道な騒々しさもない。無人スシ・バーには、人との関わりに疲れた男たちが集うのだ。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:09:29
    ここがドンブリ・ポン社の丼屋であれば、ドアを開けた途端、アンチブディズム・ブラックメタルバンド「カナガワ」が奏でるBPM350のファスト・チューンが耳に飛び込んでくるだろう。だが、この典型的無人スシ・バーには、電子合成された雅楽の音と竹筒のカコーンという音しか流れていない。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:10:47
    ケブラー・トレンチの男は、左右を見渡して席を探した。ノレンから一歩足を踏み入れれば、そこはもうカウンターで、四十人からの下層労働者やマケグミ・サラリマンたちが一列になって固定式の椅子に座っている。俗に言う、ウナギの寝床と呼ばれる横長の店構えだ。奥行きは、1メートルあるかないか。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:12:58
    店の一番奥、不潔なトイレの横にひとつだけ空席があった。客の背中に肩をぶつけながら、トレンチの男はウナギの寝床を進んでゆく。店内には「ちょっと失礼します」の一声を奨励する張り紙があるが、彼はそれを省みようとせず、オジギさえもしない。この男には、どこか捨て鉢なところがある。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:16:52
    「痛えな、あんた」夜なのにサングラスをかけたマケグミが、トレンチの袖を引っ張った。男はキリストのようにやつれた顔で振り向き、カール気味の髪の奥で、鉛色に濁った眼を光らせた。コートの袖に隠れていた旧式サイバー義手がちらつくと、恐れをなしたマケグミは一礼をしてカウンターに向き直った。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:20:49
    喧嘩をする気にもなれない……下層民同士で潰し合って何になるんだ。フェイク漆が塗られた貧相なチェアに腰を下ろしながら、トレンチの男は心の中でひとりごちた。店内に流れる「イヨォー」という乙な電子音声とツツミの音で、ささくれ立った心を慰めながら、トレンチの男は目の前の白壁と向かい合う。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:26:50
    無人スシ・バーでは、すべての席が孤立しており、横の席との間にはヒノキ板の仕切りが立っている。この板を越えて話をすることは、基本的にはマナー違反だ。客が見るのは、手元のスシと、目の前にある墨絵の描かれた白壁だけ。まさに、スシのための完璧なワビサビ空間がここにあるのだ。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:30:15
    男はサイバー義手を備えた右手をポケットの中に突っ込むと、ぎこちない動きで三枚の百円玉を取り出し、それをカウンターの上に置いた。無人スシ・バーにイタマエはいない。男は眼前の壁に開いた小さなスリットに百円玉をひとつ滑り込ませ、墨絵のトラの目が光ったのを確認してから、低い声で呟いた。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:34:42
    墨絵の龍が描かれた箇所がからくり扉のように開き、何の人間味もないメカ・アームに運ばれて、皿に乗ったタマゴの握りが姿を現した。男が皿を取ると、パタンとしめやかに扉が閉じる。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:40:36
    男はカウンターに置かれた古風なショーユ瓶に目をやる。それから、義手の右手と生身の左手を交互に見比べ、結局左手でショーユ瓶を掴み、タールのようにどす黒い液体をタマゴにかけた。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:42:46
    旧式サイバー義手は力の加減ができず、繊細作業に向いていない。その上、重金属酸性雨に弱く、維持に金がかさむときている。とんだ負債を背負ってしまったものだ。男には溜息を吐く気力も無かった。何の感慨もなく、左手でタマゴ握りを口へ運ぶ。そして百円玉をもうひとつ、スリットに滑り込ませた。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:47:40
    墨絵の壁がパカリと開き、表面が七色に光り輝くうまそうなマグロの握りが現れる。男はこれも淡々と口に放り込む。 百円玉はあと1枚しかないが、今月はあと十日もある。男は少々迷ってから、スリットにコインを滑り込ませ、低い声でつぶやいた。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-24 23:52:14
    男の頬は痩せこけ、瞳はかつての輝きを失っている。天然マグロの目のように淀んでいる。墨絵師として身を立てるという彼の夢は、大方ついえたところだ。彼は業界最大手のサカイエサン・トーフ工場で働きながら墨絵の研鑽を続けていたが、トーフプレス機で右手を失ってから、すべてが狂ってしまった。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-25 00:03:23
    会社の保障で右手をサイバー義手に替えられる、と事務の女が手続きを取ったところまでは、まだ救いがあった。サイバー義手で幽玄を描く墨絵師、として売り出せる目が残っているからだ。しかし、この男……シガキ・サイゼンに与えられたのは、四世代前の戦闘用サイバー義手「テッコ」だったのである。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-25 00:09:45
    それでも今の時勢、保障が無いよりはましだ。そう考えたシガキは、なんとも御人好しで愚かだった。テッコは全く力の加減ができないため、全毛筆を自らの手で折ってしまったのみならず、職場復帰した次の日にはプレス機のバルブを破壊してしまったからだ。彼は解雇の上、膨大な賠償金を背負わされた。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-25 00:11:26
    貯金は底をつき、さらにテッコの維持費もかさみだした。工場でかせぐ日銭は全て、ネオ・カブキチョにいるモグリのサイバネティック医者にふんだくられる。腎臓を片方売ったが、さほどの金にもならなかった。もう片方売ろうか、とも一時は考えたが、これ以上取るのは流石にまずいと医者に諭された。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-25 00:31:46
    当座をしのぐ簡単な方法がある。テッコを売ってしまうことだ。手術費と相殺しても、数千円の金は手元に残るだろう。メンテ代も不要になる。だが、この右手を売ることは、墨絵師としての夢を完全に放棄することをも意味していた。シガキの胸にはまだ、数千円の誘惑に抗うだけの気概は残っていたのだ。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-25 00:33:54
    そうだ、このタマゴを頬張って、次の仕事を探しに行こう。だがそう考えて席を立とうとしたシガキは、偶然にも、隣の席の二人の客がヒノキ板越しに話している会話の内容を聞いてしまったのだ。
  • ニンジャスレイヤー @NJSLYR 2010-10-25 00:42:04
    「本当ですか?」「ええ本当です」そのコケシ工場労働者と思しき二人の客は、酒に酔った勢いか、ウカツにもかなり大きな声で密談を行っていた。「トーフ工場の襲撃ですか?」「はい」「誰でも参加できるんですか?」「はい」「炊き出しもありますか?」「バリキドリンクの支給があるらしいですよ」

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