知的興奮、理性と感性の暴走、ナサッパヴィーとヴィパッサナー
- L_O_Nihilum
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今自分で読んでいて思うけれど
欲望は感性とどんな関係にあるんだろう
感性なしの欲望はありえるか
あるいはもっと原初的に「欲求」が
実際世の中ってそうだ。 がんらい仏教とか、現実の社会のなかにあるってことは、世の中が煩悩に満ちてて不安定なわけだから。そんななかで、ヴィパッサナーより先にナサッパヴィーを勉強させられる。そして、それは「楽しい」って教えられるし、実際楽しいから。
2014-06-04 11:27:55それはたとえば、学校教育なんかは究極の一例なのだろう。 「がっこにいくのが楽しいな♪」「いちねんせーになったーら♪」「ともだっちひゃっくにんでっきるっかなー♪」っていうのは、そのナサッパヴィー修行の最初に習う経典なのだ。
2014-06-04 11:28:54もともと煩悩な世界でナサッパヴィーするのは超簡単だから教え込まれる。 そして、受験戦争みたいな大人の渾沌事情を前に、世の中で成功したい、落ちぶれてニートになりたくないなどの事情で、究極のナサッパヴィー戦争が起こる。 そこに格差が生まれるが、格差があっても楽しいものが目の前にある。
2014-06-04 11:30:58そうして、究極のナサッパヴィー修行の悟りの成果は、まあいくつかありうるわけだ。企業でも作って大成功するのもその一種かもしれんし、ニートになってもネットで面白いもん見つけて動画やエロゲできゃっきゃうふふと妄想に耽るオタク生活も、一種の悟りの境地になる、など。
2014-06-04 11:32:40んだから、そうすると問題になるんだよ。 どうして、今の人は、いわゆる消費をしない層の人間たち、あまりものを求めないといえる非富裕層の存在だけを、「悟り世代」とか言うのか。 同様の問題は「ゆとり」「ニート」などの言葉にも同様に当て嵌まる。 どっちも同じナサッパ僧だったはずなのに。
2014-06-04 11:34:19もともとヴィパッサナーしづらい世の中で、 ヴィパッサナー瞑想するのは難しいが 実際自分を完全に苦行に放り出しても 難しいからたまに托鉢でご飯も食べる
2014-06-04 11:36:12ブッダは、裕福なとこに生まれた貴族だったんで、ナサッパヴィーが修行じゃなかった。 けれど、四門を出歩いてから、これは大変な苦行であることに気付き、出家=ナサッパヴィーが修行かもしれないと気づいた。 んで、実際それをしまくるわけだが、メシに救われ発想を転換。→
2014-06-04 11:37:36逆にしてヴィパッサナーを開始した。つまり、ナサッパヴィーが道場にならんほど簡単にできるんで、ヴィパッサナーにとっては道場なわけ。 でも、その道場への敷居も下げてくれたおかゆ。
2014-06-04 11:38:22おかゆはそもそもナサッパヴィー側の道場の産物なんだけど、それに救われてナサッパヴィーをある種破門しようとした。その結果、ヴィパッサナーはナサッパヴィーの世界がそのままあることを受け入れて自己を安定させるものになる(そして、こっちも、このことをまさにヴィパッサナーと呼ぶ)
2014-06-04 11:39:33ヴィパッサナーとはナサッパヴィーを自己破門して、ナサッパヴィーがある世の中でありながら、その中で自己を安定させることを言っていた。 他方、ナサッパヴィーは、ヴィパッサナーを自己破門して、ヴィパッサナーの可能性がある世の中でありつつ、その中で自己不安定させる作業だ。
2014-06-04 11:40:36なんだこりゃ?!わけわかんねえよ! 理性と感性を脱構築してみよーってだけでやってたんだけど、なんかすげえその事情が複雑すぎるぞ、コラ。
2014-06-04 11:41:12此処で書いてるよりもっともっと複雑。そして書いた当時の自分はそれが解って無かった。
究極のナサッパヴィー修行の存在を僕は知ってる ワールズ・エンドだ ゲイリーキング級のナサッパヴィー修行は本当に楽しいぞ
2014-06-04 11:46:27↑いや、これはお酒が強ければね
ただし、お酒に限らず、大きなばかげたことをする、そのために身体的にも精神的にもあらゆるものごとを浪費することで常識的な消費活動に対抗することをすれば、
一般的な『ゲイリー・キングのワールズ・エンド』が出来て、それならだれがどんな種類をやっても楽しくなるだろうけど。
・・・・その場合はバタイユがひっ絡むかどうか。わからん。