知的興奮、理性と感性の暴走、ナサッパヴィーとヴィパッサナー
- L_O_Nihilum
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.@L_O_Nihilum さんの「しゅーにゃんが古語版れりごーの話をわからないなりにしてみた。」をお気に入りにしました。//ちょっと長いが知的興奮に溢れた名解説だった。まさに、将は将を知る。 togetter.com/li/673428
2014-06-04 00:53:29将は将を知る,ということわざあるいは故事成語がみあたらにゃい 「殿軍の将、将のなんたるかを知る」ってのはあるけど こっちのことだとしたら、要は将軍の理想像とはなんなのか理解する→本質をちゃんとできる人とは何ぞや的な意味になるのですが>RT
2014-06-04 10:40:28ぼかぁそんな見習っていただくほどの将にゃほど遠いっす いやしかし、「知的興奮」とはよく言ったもの。永井均先生も言うけど、感性の暴走を制御するために理性があったんだけど、悲しいかな、この理性だって暴走するんですよね
2014-06-04 10:41:38※理性が制御しようとしたものは、ほんとは感性のみならず、性格、肉体、欲望などなど。
理性の興奮なら授業と研究で毎日。ただ、それが実践的に結びついてるかは別の問題。純粋理性が暴走するから、カントたんは実践理性という制御装置を置くわけだけど、んじゃああいつなんで判断力批判なんて書いたのかな(笑)
2014-06-04 10:42:50理性で統御するはずのものを、別箇化して考察可能なものにする… ああ、そうか 判断力批判だけは、理性の統御下に内包するために書かれてんのか
2014-06-04 10:43:41そしたら、ちょう単純な問題がその本にはあるはずなんだが 感性の事情を最も精巧に、感性そのものから書き出せると言ったら、そりゃ詩人とか作家とか音楽家とか画家になるわけだけど かれらが理性的かどうかって問題が浮かんでくるわけだが
2014-06-04 10:44:37感性が暴走するものとして先に捕えられてるけどさ 単純なイメージで考える時、感性で生きてる人にも穏やかな人や朗らかな人はいると思うんだよね つまり、理性で制御する必要性のない落ち着いて満ち足りた感性を持つ人もいる
2014-06-04 10:45:35ぶっちゃけ感性だけで生きていても難も問題のない人が多分いる そういう人だって言葉を使うんですが、西洋思想だとどーも 「言語は理性の作用」とか「人間は記号で思考する」だとかで 言語を感性とかと結び付けてはくれないわね
2014-06-04 10:46:30んまあ、最近そうでもないといえなくないけど。 ポリロゴスとかはその典型。ロゴスを構成しようとする諸要素は最初ばらっばらで、それらの衝動が意味を生み出していく。ことば、どんがらがっしゃーん、っていうのが要するにポリロゴス、その破壊的なおぞましさだ。
2014-06-04 10:47:32ドゥルーズなんかは言葉の生成を生物の生成変化とパラレルに考えたりするし つまり、『理性』なんてものが合理的な作用で生み出してるんじゃなくて、言葉、言語ってもんがもってる「不完全さ」(余剰?)にさらに意味を説明するための言葉が生まれ…という無限後退が云々。
2014-06-04 10:48:59生命的なイメージを言語、テクストに重ね合わせてるのはデリダも似ている 「接ぎ木」とかいうわけで 一方彼の場合は、その神秘性の焼け跡みたいなビミョーなイメージも持っている点が不思議だけど(幽霊、喪の作業、灰などなど)
2014-06-04 10:50:11ただそういう言葉の扱われ方に関してはこういう言い方もできるなあ。 「微妙に、感性スレスレのラインまで行って、やっぱ感性的でないというためにそのラインをかすめとおっている」というふうに。
2014-06-04 10:50:52やっぱ言語=人間の固有の能力、を感性にしたくないんじゃないの?という疑いが晴れることはないのだ
2014-06-04 10:51:11推敲するってなんだ
確かに詩人は推敲というものをするし 作家というか創作をする人が推敲をするはずはないんですが それが理性的な作業なのかどうか、これは大いに考察されるべきで
2014-06-04 10:52:07でも改まって『推敲』てなんだ 一時的に完成した内容の部分を、「これは違うかもしれない→違うな」って思って、それを直してるわけだが 何と違うんだろうか さしあたってここでいうなら「感性」とズレとるというわけでしょう
2014-06-04 10:54:31読み手を意識するその意識ってやつが感性なのか悟性なのか理性なのかわかったもんでもないが。
2014-06-04 10:55:00さしあたってこの限りで議論するなら感性で書いたものが、その書いた当初の当の感性が表そう、表現しようとした世界やその手触りみたいなのと違いがあるから、それがずれないように修正する、ってことが言えるよね
2014-06-04 10:56:05でもこのことから詩人の活動を全理性に置くこともできない 前期ウィトゲンが「言語は人間の一器官だ(木村訳)」と言ってたけれど そうだってことは、言語は理性的なものであるまえに、身に憑けばつくほど手を動かしたりするのとおんなじ感覚で使えるような道具存在なんだよな
2014-06-04 10:58:00つまり身体の一部というわけだ(そして、たとえばそれを書けばそいつは同時に足跡になり、いわゆる「痕跡」ってやつになる。うまいもんで、日本語には「痕跡本」という言葉もあるのだ)
2014-06-04 10:58:39んだから、言葉が感性のみにのっとって暴走することなんざザラであるし、それを暴走させられるだけ暴走させる訓練は、学校で簡単に教えてもらえる。 (永井先生が言っている「ほうっておくとナサッパヴィー修行を日々し続けることになる」というのはたぶんこのことだろうなぁ)
2014-06-04 11:01:10こーんな能力だってありますしね; 「「言い合い」に勝ちたければ、とにかく理解力を失えばよいのです 相手の言うことは決して理解せず、相手が言っていないことを勝手に読み取り批判し続ければよい。 先天的にこのスキルを持つ人もいれば、意図的に曲解力を用いる人もいる。」
2014-06-04 11:02:40