【例の提督が鎮守府に着任しました】#3

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里村邦彦 @SaTMRa

空は抜けるように青く、高い。背筋に寒気を感じ、大井は海面を蹴った。分厚い靴にも似た艤装推進器は不可思議な浮力を生み出し、横っ跳びに大きく滑る。一瞬遅れて、海面が爆発する。敵の雷撃だ。「うまいもんだな」「…指揮はなさらないんですか」「現場監督は業務外だ」艤装に触手が絡みついている。

2014-06-03 18:19:23
里村邦彦 @SaTMRa

「そうですか。ええ、そうですか」何の因果か旗艦となった大井の背には、艤装に巻きつく形で提督が乗り込んでいる。沖の波は強く、不規則に来る大波は、大井の背よりもなお高い。艤装で滑るぶんには問題ないが、敵の位置を把握するのは困難だ。「いいご身分で…いえ、なんでもありません」「瑞雲だ」

2014-06-03 18:27:37
里村邦彦 @SaTMRa

「は?」大井に構わず提督は続けた。触手をまびさしのようにして、空を見る。「瑞雲を追え。いまいち不人気だが優秀だ。あれの先に、敵がいる」確かにいた。千歳の艦載機。波のついたて幾重の向こう、細かな雷火を降らせている。反撃の火線も微かに見えた。なるほど。確かに敵だ。有効だ。「了解です」

2014-06-03 18:33:25
里村邦彦 @SaTMRa

「千歳さんを御座艦にすればいいんじゃないですか。提督」波をすべり上がる。20.3口径を構える。瑞雲のゆくさき。いた。巨大な魚と甲殻類のキメラ、青黒い怪物。駆逐イ級。最大数を誇る深海棲艦の「歩兵」だ。回頭させない。砲撃。炸裂。黒煙。「旗艦はお前。軽巡と決まってるだろ」「そうですか」

2014-06-03 19:18:17
里村邦彦 @SaTMRa

浮力を失いかけたイ級が波間に飲まれる。ほぼ無力化した。「まだよ」殺した。感覚が、徐々に研ぎ澄まされていく。「まだ」波の向こうが見える錯覚。いや、確かに見える。見えている。魚雷。脚から蹴りこむ。敵の気配めがけて。艤装が駆動し、神経と噛み合う。世界が暗くなる感覚。世界が絞られる感覚。

2014-06-05 22:19:51
里村邦彦 @SaTMRa

「おい、大井、あまり無茶を」提督が艤装で何か言っているが、気にしている暇はない。今や夜だ。艤装の出力が攻撃的に跳ね上がる。世界が夜の帳に隠され、敵と味方の姿だけが、さらに敵の姿だけが映り込む。そうだ、あれは敵だ。私の。大井の「――さんを」その名を呼んだ「傷つけるのは」魚雷を展開。

2014-06-05 22:22:19
里村邦彦 @SaTMRa

怒りだ。理由は大井がよく知っている。今やたしかな怒りがあった。大井はあの敵を殺さねばならない。あの敵に、この夜を超えさせてはならない。なぜならあの敵は、かならずや彼女まで傷つける。「傷つけるのは、誰?」絞りだすような憎悪を乗せて、砲と魚雷を引き絞る。「馬鹿野郎」その声を黙殺した。

2014-06-05 22:24:48
里村邦彦 @SaTMRa

朝の光と癖のあるの鳥の声で、トラック泊地の朝は始まる。桟橋長屋の南側、ピクニックセットのテーブルに白いパラソルが開いたところに、ひとかたまりの人影があった。「漣、ベジマイト取ってくれ」「らじゃりましたご主人様!」大井は顰めた眉を隠しもせず、提督をちらと見た。「よく食べられますね」

2014-06-04 21:11:18
里村邦彦 @SaTMRa

「グランドスラムだな。全員に同じことを言われた」「理解の難しいことだって、あるよ。提督」時雨が片目を瞑る。「その味は、少し驚異的だもの」「ボクも無理。食べ物の味じゃないとおもう」苦いものでも舐めたような顔で、最上。「いくらなんでもあんまりだろう、それは」提督が一つ目を半眼にする。

2014-06-04 21:18:21
里村邦彦 @SaTMRa

「いいじゃないですか、食べ物なんて好きずきですよ」「オレがいうのもなんだが、千歳。朝から呑んでるやつがそれを言うのは、言い訳みたいじゃないか」練乳をたっぷり塗ったトーストを咥え、眼帯をかいているのが木曾。「だって、これなしじゃあ、食べた気がしないんだもの」注ぎ足しているのが千歳。

2014-06-04 21:24:13
里村邦彦 @SaTMRa

「痛み止め代りよ。百薬、百薬」「もう少しマシな薬を選べよ……まあ、早いところ治してくれ。ドックは抑えてあるから」どこからかパンを平らげ(どう考えても食べながら話していた)、提督は触手を彷徨わせる。「まあ、なんだ。皆、ご苦労だった」よく言う、と大井は思う。確かに勝ち戦には違いない。

2014-06-04 21:27:41
里村邦彦 @SaTMRa

哨戒任務中の遭遇戦。敵は軽巡中心の水雷戦隊編成、撃沈4の大破1。対してこちらは千歳の小破のみ。実質の初陣としては上等だ。だが大井は納得がゆかない。あの触手は何をした。いや、簡単なアドバイスはあったが、それこそ、提督の仕事らしいことを、まるでやっていないではないか。(なんて指揮よ)

2014-06-04 21:30:46
里村邦彦 @SaTMRa

半眼で睨む。提督の半眼とかち合う。大井は目を逸らさずに、ぬるまった代用コーヒー(提督の趣味だという話だった)をひとくち飲んだ。盛大な木の軋む音。「やめておけよ」デッキチェアに身を投げたのは木曾だ。「それより、早いところ風呂にしよう。傷がぴりぴりしやがる」気を遣ったのはわかる、が。

2014-06-04 21:37:26
里村邦彦 @SaTMRa

「いや、木曾。構わん」提督の目が、たしかに笑った、と、一拍遅れて大井は感じた。戸惑いがすこし、かっとなるのが遅くなった、という後悔が少し。タイミングを逸した。「いつでも来い。話は聞いてやる」「いいえ」大井はデッキチェアに身を沈めた。パラソル越しに南の太陽。「言いたいことなんて!」

2014-06-04 21:41:32
里村邦彦 @SaTMRa

欠けた夢を見ている。手足に絡み付く水の感触。ヒトはここから生まれた。いくさぶねは、その内に死ぬ。後悔と憧憬と、安らぎと恐怖と、それは唯の幻影にすぎないと叫ぶ自分の声は、聞こえない。とおく、誰かの嗚咽だけが。大切な誰かの泣き声だけが、確かに。拭えないほどに確かに、届いて−−

2014-06-05 20:02:09
里村邦彦 @SaTMRa

「おい」揺さぶる乱暴な力に体を捩る。行かなくては。いかなくては。どこへ。あのひとのもとへ。あのひと。「北上さん」「おい、起きろ。北上はいねェよ」違う。あのひとはたしかにここにはいないけれど。もう手の届かない場所に「起きろ、時間だ。おい…しょうもないな。手荒くなるぞ」手荒く?

2014-06-05 20:23:02
里村邦彦 @SaTMRa

再生槽に山ほどの冷水をぶちまけられ、大井は悲鳴をあげて飛び起きた。

2014-06-05 20:24:58
里村邦彦 @SaTMRa

「高速修復剤(ばけつ)と似たようなもんだろう」大井の頭に鎮座した(心情的に不快だが感触としては悪くないのが尚更気に触る)提督が触手を蠢かす。「ありゃ、ただの水だがな」「訴えますよ」「俺が呼ばれたのは誰のせいだと思ってるんだお前」それを言われると弱い。確かに今回は大井に非がある。

2014-06-05 21:46:11
里村邦彦 @SaTMRa

「この世の終わりみたいな顔して寝こけてたな。予約の時間過ぎても船渠(ふろ)が空かないってんで、二度寝を決め込んでるんだろうとは思ったが」「申し訳ありません。提督」「あのなあ」頭上からずるりと覗きこまれた。一つ目に視界が塞がれる。「辛いことがあったら言えよ」どの口で言うのか。

2014-06-05 21:48:43
里村邦彦 @SaTMRa

だいたいそれは、いやしくも提督の立場にある人間が言っていいことではない。艦娘、それも配備されて間もないものが見る夢なんて、相場は決まっているのだから。生まれる前の、つくられる前の。「基礎戦歴か。話だけは聞いてるが。キツいか」「……必要なものですから。だいたい、訴えてどうなります」

2014-06-05 21:50:16
里村邦彦 @SaTMRa

基礎戦歴。艦娘が「艦娘」である所以だ。人類を基本とした素体へ、深人、更に言えば深海棲艦の組織を組み込んだ「艤装」を接続する。人類へ供与された妖精技術メカニクスは完璧な動作を見せたが、問題が残った。艤装の暴走だ。ごく少数を除いた装着者は破壊の限りを尽くし、人類の敵となった。

2014-06-05 21:53:51
里村邦彦 @SaTMRa

暴走しなかったものを調査した結果、脳生理学者と発達心理学者が思いもよらぬ結論を出した。思い込みの激しいものは暴走を免れる。彼らはそれを「物語が自我を保つ」と表現した。そこで、ありとあらゆる物語が試みられた。英雄譚、ドラマ、御伽話、漫画、映画、ほか大凡おもいつくあらゆるものが。

2014-06-05 21:56:22
里村邦彦 @SaTMRa

英雄気取りの人類の敵や人を殺す赤ずきんが量産されるなか、艤装の見た目にひっかけて、日本の技術者が半ば冗談で構築した「第二次世界大戦期の軍事艦艇を擬人化した記憶」が、異様なまでの安定性を見せたのは、まさに悪い冗談としか思えない。だがそれ以降、「艦娘」はゴールドスタンダードとなった。

2014-06-05 21:58:22
里村邦彦 @SaTMRa

強力な物語は初期の安定を助ける。だが、万全ではない。「艦娘のメンタルケアこそ、提督の仕事ではないですか」「それはそうだが」小規模編成の艦隊で艦娘が運営され、いちいち提督がつけられるのにも理由がある。絆のような何かで、艦娘は安定する。より高度に、艤装の戦闘能力を引き出しもするのだ。

2014-06-05 22:09:11
里村邦彦 @SaTMRa

「そうはいうがな。触手の生えた一つ目提督は、物語として独自性が足らんか? 大井よ」「少なくとも、私が薦められたら投げ捨てますが」「ひどいことを言うな。……ああ、そこを曲がってくれ。晩飯の買い物をしてゆかんと」「はあ」触手の指す先には、春島銀座の大看板だ。「なにか食べたいものは?」

2014-06-05 22:12:08