わたしは「どうして勉強しなければならないの?」と思ったことがない。勉強する意味を人生の早い段階で「悟った」からである。だから子供を勉強に向かわせるためのアプローチは「洗脳」一択ですね。説得する方法はたぶん思いつかない。なんか借りてきた言葉みたいになっちゃうと思う。
2014-06-04 08:00:26勉強をするのは選択肢を広げるため、確かにそういう言い方もある(すごくうまい表現じゃないが、一応わかる)。だけど大抵の論で説明されるのは職業の選択肢のことだ。そんな説明をしたら、「人間は何かの職業に就くために生きている」という考えを前提にしているみたいに思われるじゃないか。
2014-06-04 08:25:11どんな信念を持って生きるか、の選択肢が広がるのである。勉強することによって、何を善いものと思い、何を美しいものと感じ、何のために生きるのか、自分で決められる人生になるのである。でもこんなこと子供に説明できないよ。わかってもらえるわけがないと思う。
2014-06-04 08:28:08厳密に言えば理論には例外がひとつでもあってはいけないわけだが、なんとなく包括的に説明できれば有用だよね、という場合も多い。その場合でも例外は少ないほどよい。話が具体的だから仕方ないとはいえ、勉強=職業の選択肢説は例外が多すぎるのだよ。一瞬で職業を失う例なんていくらでも思いつく。
2014-06-04 08:40:45自分が責任を持っている子供にこのセリフを言わせたらダメだよねまず。前任者や最高責任者(親)の顔を思い浮かべてとりあえず恨んでおくことくらいはしてもいいが。
2014-06-04 08:47:46学校の成績は「どのくらい楽しめているか」で決めたい。教員の主観で決めるしかないから現実的じゃないけど。でも親がその観点で子供を褒めることは可能だよね。楽しんでいるのは「何か大切なこと」がわかっている証拠。
2014-06-04 08:50:29教員が「これを教えたい」と思ってそれを全力で教えるのは当然なんだけど(それがなきゃ教育じゃない)、「それ」が伝わったかどうかだけを評価基準にするのは、それこそ子供の可能性を信じてない姿勢です。子供の可能性とは「先生の知らない世界を発見するかもしれない」くらいのスケールのことです。
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