「家族力×相談力」団士郎 読書メモ
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P.248 あの時の私が、いささか横暴で身勝手な父親であることは認めましょう。しかし、家庭の中での立場を背景に、子どもを押さえつけたり、問答無用の命令をする輩がいるのは、そんなにいけないことでしょうか?
2014-06-21 16:44:32P.249 小さな善行やわきまえの集積だけが、たくましく良いものを家庭に育むとは言い切れないところがあるのではないでしょうか。
2014-06-21 16:45:47P.249 分かり合った親子でいたかったのです。でも今の私には、そんな思いこみはあの時代の迷信のように感じられます。むしろそれこそが、対人関係において脆弱な今日の若者を育ててしまった根っ子に思えてなりません。
2014-06-21 16:47:25P.249 世の中には様々な人がいます。立場もいろいろで、正しさとは関係なく、強い弱いのポジションがなくなることはありません。そんな中では、時に決定的な衝突に至らないでしのぐ力も、生き延びてゆく力として必要です。
2014-06-21 16:49:30P.249 そしてこれを身に付けた人だけが同時に、勝敗の見込みだけで戦うかどうかだけを決めるものではないといつ態度も持てるのではないかと思うのです。
2014-06-21 16:50:37P.250 家族という場は、そのような社会性も様々に訓練するところです。激しいけんか口論の翌朝、それはそれとして平気で朝食をとって出勤、登校する親子を実現することこそ、基本目的のひとつだといっても良いかもしれません。
2014-06-21 16:52:04P.250 家族の一員として生まれ、しかるべき時期にそこを出て、自分として生きてゆく訓練の第一歩は家庭の中で行われます。もしその家が他にはどこにもないようなパラダイス、ユートピアであったら、外に生きる場を見つけるのは難しいのではないかと思います。
2014-06-21 16:54:31横暴を引き受けない親、葛藤を回避する親、結果を重視しすぎて、子ども自身の責任に賭けられない親がベストとはとうてい思えません。 p.250
2014-06-21 16:55:44P.10 今、私たちの見えるところで、人間に関する突然の大変化が起きていると語ってしまうのは、かなり眉唾だと思いませんか。そんなすごい変化が、私達の短い一生の間に次々起きていると思いたがるのは、相当な自己チュー(自我肥大)ではないでしょうか。
2014-06-21 16:59:42P.33 適当な時期に家を出て一人で暮らす、つまり社会的自立へのスタート、これを提示する機能を持たない家族が、子どもを助けないのは明らかだと思います。
2014-06-21 17:08:15P.50 母親が娘に逆戻りして、歳をとった反抗しない子どもになってしまった時、三人の子どもたちは父親に続いて母親も失ったのです。
2014-06-21 17:15:04P.54 パターンということを考えると、うまくやれなかった人の「今度こそ!」あまり意味がありません。以前うまくいかなかったのを、努力が足りなかったと思っていたりするからです。冷静に考えれば分かることですが、やり方がまずかったのです。熱意ではないのです。自分を変えることができるか
2014-06-21 17:18:43