蓮村誠氏@fundocqによる「心配」と「慈しみ」連ツイまとめ

2014年7月15日と16日の連ツイをまとめさせて頂きました。
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2014/07/15

蓮村 誠 @fundocq

①日々の診療で、患者さんの容態を常々気にかけてはいますが、患者さんのことを心配するということは滅多にありません。というのも、診療に集中していると自然とそうなるのであって、実際、次々と診る患者さんのことをその度に心配していたら私自身が消耗し、 #mayurveda

2014-07-15 07:26:39
蓮村 誠 @fundocq

②とても診療を続けられなくなってしまいます。しかし、中にはどうしても心配をしてしまうというケースがあります。そのようなときは、たいてい私自身が疲れていたりするときなのですが、この心配というやつはじつに厄介な代物で、心配している私だけでなく、 #mayurveda

2014-07-15 07:27:04
蓮村 誠 @fundocq

③心配されている人の方にまでよくない影響を及ぼします。つまり、心配などというものは、ほんとうに無益であり、むしろ有害なものなのです。そもそも、人が心配するときというのは、こころが弱っていたり、不安定になっていて、自分に罪悪感がある場合が多く、 #mayurveda

2014-07-15 07:27:35
蓮村 誠 @fundocq

④私の場合であれば、患者さんのための良い診察ができなかったのではないか? という思いがあるときで、ようは患者さんの心配をすることで、自身の罪悪感を相殺しようとしているわけです。つまり、心配というのは、自我を守ろうとするエゴから生まれているであり、 #mayurveda

2014-07-15 07:28:11
蓮村 誠 @fundocq

⑤相手のためではないというわけです。皆さんは、人に心配されたときに、余計なお世話だと感じることはありませんか? 実際、心配というやつは、口ではその人のためと言っていても、じつは自分のためであり、かつ罪悪感という否定想念がベースになっていますから、 #mayurveda

2014-07-15 07:28:48
蓮村 誠 @fundocq

⑥それが相手に伝わり、受け手としては嬉しくありませんし、むしろご遠慮願いたいわけです。このように考えたとき、私は「心配」の反対のあるものが、「慈しみ」であることに思い至りました。慈しみとは、自分と人を信じ、そしてその人を本当に大切に思うこころです。 #mayurveda

2014-07-15 07:29:17
蓮村 誠 @fundocq

⑦私は今まで、違和感をもちながらも、むしろ具合の悪い患者さんのことを、心配するべきなのでは?と思っていたのですが、心配と慈しみの違いに気がつき、随分とこころが軽くなりました。むろん慈しみを持つためには、こころが安定していなければいけません。 #mayurveda

2014-07-15 07:30:16
蓮村 誠 @fundocq

⑧疲れて不安定であれば、罪悪感をもち、心配をしてしまうかもしれません。ですから私自身、食事や生活をいっそう気をつけて体調を崩さないように思う次第です。今年の夏は、アチーデービスJr.を連発しそうな感じですから、皆さんも十分に気をつけてください。 #mayurveda

2014-07-15 07:30:33

2014/07/16

蓮村 誠 @fundocq

①昨日の「心配」と「慈しみ」のつづきです。よく、やたらと人のことを心配されている人がいますね。表面的には、心配することで相手をよくしようとしているかのようですが、心配というのは、むしろダメにしてしまうことの方が多いのです。 #mayurveda

2014-07-16 07:05:53
蓮村 誠 @fundocq

②なぜなら、心配というのは、そもそも自分自身と相手への否定に基づくものだからです。たとえば、重い病気の友人をあなたが見舞いに行ったとき、とても具合が悪そうにしているその友人を見て、あなたが心配をしたとします。そして、「元気そうじゃない」とか、 #mayurveda

2014-07-16 07:06:27
蓮村 誠 @fundocq

③「すぐ良くなるわよ」とか、「退院したらまたみんなでご飯行こうよ」などと言いつつ、病室を出た後で友人のお母さんに友人の病態を聞いて、よけいに心配を募らせたりします。こうした一連の行動の裏にあるのは、大切な友人を失うかもしれない不安や #mayurveda

2014-07-16 07:06:47
蓮村 誠 @fundocq

④何もしてあげることができない自分への罪悪感などであり、それを表に出さないように、むしろそれを相殺しようとして無理に友人を元気づけようとしたり、でも心配でお母さんに聞いたりしているわけです。ちょっと友人の立場から考えてみましょう。 #mayurveda

2014-07-16 07:07:14
蓮村 誠 @fundocq

⑤重い病気にかかり、体調が優れない友人は、あなたが見舞いに来てくれたことをこころから喜ぶでしょう。そして、自分を気にかけてくれていることも嬉しく思うはずです。でも、きっと心配はして欲しくはありません。心配などされてしまうと、 #mayurveda

2014-07-16 07:07:47
蓮村 誠 @fundocq

⑥なんだか、自分を弱いものにしなければいけないような気がしてしまうし、かえって疲れてしまいます。そうではなく、友人であるあなたには、たとえ重い病気であっても、これまでと変わらず仲良くしたいのであり、そして愛して欲しいのです。 #mayurveda

2014-07-16 07:08:15
蓮村 誠 @fundocq

⑦その方が、よほど嬉しいですし、元気になれるからです。人は、どんなに重い病気であっても、自身を信じることができる存在です。心配というのは、自身に対しても、その友人に対しても、信じず、疑っているということですから、有害な思いなのです。 #mayurveda

2014-07-16 07:08:54
蓮村 誠 @fundocq

⑧つねに、自身と人を信じることは、難しいかもしれませんが、このことを知り、気にかけていれば、少しずつできるようになっていくと思います。そして、心配ではなく、慈しむようになっていけるといいですね。つづく #mayurveda

2014-07-16 07:09:17