- chissonosuke
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大人はかつて自分が子どもであったことを忘れやすい。 上司は自分が部下であった時のことを忘れやすい。 日本人は69年前どころか、3年前に何があったかも忘れようとしている。 人はどうしてこのように過去を置き去りにして行ってしまうのだろうか。 もっと過去と共に生きるべきではないか。
2014-07-22 05:10:14芭蕉は『奥の細道』の冒頭で、 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」 と書いた。 月日が旅人であるから、人は過去を置き去りにするのだろうか。 それなら月日を定住させるよう、我々の考え方を改めるべきではないか。 月日が定住しないから過去の戦禍を忘れてしまうのではないか。
2014-07-22 05:17:53「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」 では困るのだ。 過去に戦争が現実にあったにもかかわらず、夢のようなものになってしまっている。だから人は懲りずに戦争を繰り返すことを、芭蕉の句は教えてくれているようだ。
2014-07-22 05:24:48イスラエルは、かつて自分たちが故郷を出て離散した民であったことを忘れて、パレスチナの民をしつこく追い出そうとしている。 ヤコブ・ヨセフの時代、バビロン捕囚の時代、ローマによる攻撃の時代・・・ 何度も故郷を離れたイスラエルの民なら故郷を追い出される者の痛みがわかるはずではないのか。
2014-07-22 05:33:13過去を置き去りにしやすい人間の罪深い性質が、聖書の読み方にも反映されてしまっている。新約聖書は旧約聖書の土台の上に成立したものだ。すなわち、 新約聖書 旧約聖書 という縦の関係であるのに、 旧約聖書→新約聖書 という流れで理解されている。 だから聖書が平和に役立たないのだ。
2014-07-22 05:46:31<過去を置き去りにする罪> このことの罪深さに連続ツイートをしていて気付くことができました。感謝です。 キリスト者も未だこの罪に囚われています。 人類がこの罪の束縛から自由にならない限り世界に平和は訪れないないでしょう。
2014-07-22 05:59:35過去を置き去りすることは罪であるが、過去に執着することもまた罪である。 過去への執着もやはり、 過去→現在 という流れの時間観から生じるものだ。 我々は過去を土台とした 現在 過去 という関係の時間観を持つべきである。これができなければ平和は訪れないであろう。
2014-07-22 06:27:31