当委員会が語る、戦術の変遷と兵士に求められるものの変化

先のまとめ「当委員会が語る、兵器と徴兵制と国民国家http://togetter.com/li/697763」の続きっぽいもの。
69
扶桑委員会 @fussoo_moe

ついでなので戦術の発展による兵役の変化について。

2014-07-26 11:24:20
扶桑委員会 @fussoo_moe

やはり中世から始めると、この時代は軍事制度云々だと全く観るべきことはないと言い切っていいレベルで後退してる。鎌倉武士の「やぁやぁわれこそは」なテンプレイメージまんまなのが西洋の中世の戦闘。

2014-07-26 11:25:26
扶桑委員会 @fussoo_moe

これは社会制度に起因してる。「王」とは言うものの貴族の第一人者、貴族連合体の議長くらいの権力しかなく、貴族を統制できない。貴族は功を焦り手持ちの兵力で自分勝手に戦う。戦術もクソもない。

2014-07-26 11:26:41
扶桑委員会 @fussoo_moe

また花形は馬上騎士による横隊突撃である。鎧に身を固めた騎士が槍を手に敵陣に突っ込んでいくのだ。かっこいー! そのため平原に集まって前面に強制徴募した農民兵などによる槍衾を組み後方を安全地帯とし、貴族は横隊突撃→引き返して隊列再編→横隊突撃を繰り返す作業ゲーだった。

2014-07-26 11:28:31
扶桑委員会 @fussoo_moe

やがて時代はくだり、王権が強化され徴税件が強くなり、王に金が集まるようになると権力も集まった。その結果貴族は武者としてではなく指揮官として軍に残った。階級制の萌芽がここにある。

2014-07-26 11:29:51
扶桑委員会 @fussoo_moe

銃の登場も相まって、強制的に集められた歩兵は横隊の陣形を組み至近距離で鉄砲を撃ち合った。横隊は一個大隊で編成されるのがふつうで800人くらい。それよりも小さい単位に分割すると逃げられるのでそのように運用した(また集団で運用したほうが火力が高く効果的だとも考えられていた

2014-07-26 11:31:12
扶桑委員会 @fussoo_moe

横隊での戦いは、横隊を組む→接近する→大砲を撃ち合って相手の横隊を崩そうとする→至近距離(相手の白目が見えるほど:約20m)で撃ち合う→びびって逃げ出す奴が増えて横隊が崩れたら突撃して蹂躙する

2014-07-26 11:33:48
扶桑委員会 @fussoo_moe

変化が生じるのはアメリカの独立戦争だ。最初は西洋式の横隊陣形で戦ってたが「レッドコート」とも呼ばれた英国陸軍にぼろ負けしまくる。訓練が行き届き、容易に崩れず、正確な射撃を行うことからろくに訓練を受けていないアメリカ独立軍では相手にならなかった。

2014-07-26 11:34:46
扶桑委員会 @fussoo_moe

そこで登場したのがライフルマンだ。アメリカは開拓者の国であり、ライフルを自在に使う猟師が豊富にいた。ライフルはマスケット銃と違い連射が効かないが長い射程と高い命中精度を誇っていた。そこで少数のグループを編成して後方兵站線などを繰り返し襲撃するゲリラ戦を展開する。

2014-07-26 11:36:23
扶桑委員会 @fussoo_moe

また合戦の時には指揮官や旗手などを狙い撃ちにした。旗手は部隊の位置を示す大切な役割を持つとともに部隊の結束の象徴だった。それが倒れるのは士気に直結した。また、指揮官は貴族で構成されており、ヨーロッパでの戦争ではタブーだった。中世の頃から貴族同士はあまり殺し合っていないのだ。

2014-07-26 11:37:52
扶桑委員会 @fussoo_moe

フランス革命においてはtogetter.com/li/697763でふれたように、高い士気を持つ国民兵が生まれた。散兵・横隊・縦隊のみっつの隊形を巧みに使い分け、砲と騎兵とのオーダーミックス戦術が流行した。

2014-07-26 11:39:19
扶桑委員会 @fussoo_moe

だが、この頃もまだ兵士1人1人が状況判断能力を要求されるような状況にはなっていない。基本的には言われたことだけ(あそこを撃て、くらいの本当に簡単な命令)にさえ従っていれば良かった。それが大きく転換し始めるのが第一次世界大戦である。

2014-07-26 11:40:08
扶桑委員会 @fussoo_moe

第一次世界大戦で各国は百年くらい前のナポレオン戦争のころの戦術から大きくは変わっていなかった。トドメに使うのは横隊による一斉突撃である。ところが大きく違う点があった。機関銃だ。

2014-07-26 11:41:22
扶桑委員会 @fussoo_moe

歩兵の標準火器であるライフルもかなり進化しており発射速度は毎分30発ぐらいになってはいたものの、機関銃はそれを遥かにしのぎ毎分800発とか撃つのが当たり前だ。火力密度が違いすぎる。

2014-07-26 11:42:36
扶桑委員会 @fussoo_moe

機関銃の欠点は大きく1人で持ち運ぶのは不可能で、陣地に据え付けて使わなければならない点だったが、威力がすごすぎた。防御陣地に大隊単位で一斉横隊突撃で突っ込んでった兵隊はたった一丁の機関銃とそれを支援する幾ばくかの歩兵がいるだけで文字通り皆殺しになった。

2014-07-26 11:43:47
扶桑委員会 @fussoo_moe

マルヌの会戦ではたった一日で多数の士官を含む1万4000人あまりが戦死した。たった一日である。イラク戦争(戦後の治安維持も含む約10年の期間)での戦死者がせいぜい2万人であることを考えると、第一次大戦が如何に犠牲が大きい戦争だったか分かるだろう。

2014-07-26 11:47:07
扶桑委員会 @fussoo_moe

各国軍隊はいろいろと戦術を模索するのだが、そのなかで革新的な歩兵戦術を生み出したのがドイツだった。浸透戦術と呼ばれるものだ。

2014-07-26 11:47:55
扶桑委員会 @fussoo_moe

浸透戦術は小隊(六十人程度)をさらに分割し、いくつかの分隊(一個分隊は10人前後)を敵陣地に肉薄させ、各々の分隊の判断で突破し、的後方に到達してこれを撃破するというものだった。

2014-07-26 11:49:53
扶桑委員会 @fussoo_moe

この戦術では分隊指揮官(下士官)、あるいは小隊指揮官(少尉~中尉)に高い判断力を求められた。また兵士も自らの役割を認識し、ある程度自律的に行動することが求められた。それまでの突撃命令が出たら銃を持って突撃して敵を見つけたら撃つくらいしかしなかったことと比べるととても高度である。

2014-07-26 11:51:45
扶桑委員会 @fussoo_moe

第二次世界大戦でも歩兵戦術は基本的にはこのようなものだ。職業軍人である指揮官だけでなく、ひらの兵隊にも状況を判断し自らの行動を決定するだけの知識と経験が必要になったのだ。

2014-07-26 11:54:05
扶桑委員会 @fussoo_moe

この第二次世界大戦において、まともな訓練を受けずに戦場に放り込まれた兵士がどうなるかはっきり示されている。そう、一方的に殺戮されるのである。それはもう悲惨の一言では表されないほどに。

2014-07-26 11:56:06
扶桑委員会 @fussoo_moe

サッカーを想像するとわかりやすいかもしれない。その辺の人を20人くらい集めたとしても、プロサッカーチームと試合したら全く以て勝負にならないだろう。基礎体力や技術もそうだがなにより連携が全く違う。

2014-07-26 11:57:56
扶桑委員会 @fussoo_moe

現代の軍隊はチーム戦である。それも数万単位のチーム戦だ。指揮官どころか現場の兵士さえ、戦場を俯瞰し部隊に与えられた目的と自らの役目を認識しそれに基づき的確に行動するのである。

2014-07-26 12:00:10
扶桑委員会 @fussoo_moe

それがどれほどの威力を持つのか、映画「ブラックホークダウン」の実際の戦闘であるモガディシュの戦闘を見てみよう。手っ取り早く戦死者を比較すると米軍19,民兵が350~1000である。

2014-07-26 12:02:00
扶桑委員会 @fussoo_moe

※桁は間違えてません。wikipediaからの引用なので正確ではない可能性はありますが

2014-07-26 12:02:17