援助と政治/大局的な思想:ビルゲイツ氏の慈善vs中村哲氏の支援、三宅洋平氏の選挙フェス
- hijijikiki
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●spitzibara氏のブログ【Ashley事件から生命倫理を考える】:
★「Peter Singer「利他主義のすすめ」:5000ドルの途上国支援すれば腎臓1個提供するに相当 2013/8/4(日) 午後 7:55」
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66596544.html
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● 以下 ↓ は、上記spitzibara氏のブログ記事のコメント欄でのやり取り(spitzibara氏とhijijikikiの投稿のみ抜粋しました)。
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■■■■■■■ (最初の7つのコメント投稿は、まとめに加入しませんでした) ■■■■■■■
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spitzibara氏の投稿:
ウォレン・バフェットの息子が父親やビル・ゲイツの慈善を「良心ローンダリング」だと批判したのに対して、MacAskillは「マラリアの原因は資本主義じゃない。マラリアを引き起こしているのは蚊だ」と言っているんですけど、ある意味「いや、資本主義だ」ということもできる、特に今のように強欲ひとでなしになったグローバル・ネオリベ金融資本主義と、そこで世界中に広がる格差が少なくとも間接的には原因だ、と言えないわけでもないんじゃないか、と。それなら、上で書いたようにBIがグローバルに行きわたって貧困問題が解決されるということも、マラリア撲滅から言っても案外にeffective な altruism なんじゃないか……ってのは、ただのタワゴトかもしれないけど。
2013/8/9(金) 午後 0:56 [ spi*zi*ar* ]
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@hijijikikiの投稿:
こんばんは、@hijijikikiです。お久しぶりです。
「マラリアの原因は資本主義じゃない‥蚊だ」「いや、資本主義だ」>から、中村哲「医者井戸を掘る」を思い出しました。
中村哲氏は、アフガニスタンで30年近く診療活動や水源確保事業をしている医者です。
著書「医者井戸を掘る」の井上ひさし氏の書評から:
『幼い子どもたちの命が赤痢の大流行で次々に奪われて行くのを診療所で目撃した中村さんは、その原因が旱魃による飲料水の不足によることを突き止め、こう決心します。
<医師である自分が「命の水」を得る事業をするのは、あながち掛け離れた仕事ではない……>』。
というわけで、医者が井戸を掘るわけですが、他のNGOなどと異なり、現地の人たちが自分たちで井戸や水路を掘り、それを維持できるように支援する事業をしているということです。
中村氏が医療の枠組みにとらわれずに、現地に住む人がちゃんと生きられる条件を整えるための支援を実現させてきたことはもっと注目されてもよいのでは、と思います。
2013/8/10(土) 午前 1:32 [ @hijijikiki ]
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spitzibara氏の投稿:
hijijikikiさん、お久しぶりです。私も、ビル・ゲイツが批判したというダンビサ・モヨの『援助じゃアフリカは発展しない』(1日の補遺の最後にミニメモ書きました)を読みながら、実は中村哲医師のことを思い浮かべていたんですよ(中村医師の本はまだ読んでいませんが)。本当におっしゃるとおりと思います。
科学とテクノとそこにつながる利権や、予防医療や慈善資本主義のマッチポンプ性みたいなことを考えるたびに思うのが、ある問題を解決するには、その問題を生じさせている考え方やその考え方に基づいた解決法は機能しない、とよく言われていることなんですけど、息子バフェットの慈善植民地主義批判も、結局はそういうことを言っているんだと思います。先進国のIT有害ごみが象牙海岸の貧しい村に無造作に捨てられていくような世界を出現させてしまったカラクリこそが「マッチ」じゃないのか、ということですよね。
2013/8/10(土) 午後 10:21 [ spi*zi*ar* ]
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@hijijikikiの投稿:
『援助じゃアフリカは発展しない』のご紹介、多謝です。
ミニメモhttp://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66588658.htmlの「何をなすべきか‥意図や目的についてのもっとも重大な責任」という、
個々の問題の目先の解決だけではなく、山積された問題群の関係の見極めと大局的な指針を含む思考=思想が、アフリカだけでなく日本(と世界)の今の政治状況に欠けている最も重要なものだと思います。
昨年の都知事選の宇都宮候補http://togetter.com/li/425684や、衆院選で落選して今度の参院選で当選した山本太郎氏にも、このような大局的な思想を感じるのですが、実務への取り組みに手一杯であり、思考や思想の展開と分かりやすい表明にまでは手が回ってないような。
そんな中で、今回の参院選比例区の三宅洋平候補は、原発やTPPや戦争経済・憲法九条など多くの課題や問題を、分かりやすい自分の言葉で、全く新しい「選挙フェス」という吟遊詩人(本人が言ってました)のような街頭コンサートのような形の選挙運動=表現活動をしたのが、とても大きな希望に思えます。
2013/8/11(日) 午後 8:59 [ @hijijikiki ]
三宅洋平氏の主張や選挙フェスについては、拙まとめ
「みどりの風 谷岡郁子代表 代表辞任会見をめぐるやり取り」http://togetter.com/li/539441
の末尾に掲載しました。
“三宅洋平2013年7月20日選挙フェスでのスピーチ” http://blog.livedoor.jp/takeyabu31/archives/52119033.htmlでの発言の一部:
『もっとそういう社会の大動脈に血流になってる人たちに
もうちょっと富が流れてもいいんじゃないの?
そういうこというのが共産党以外にいてもいいんじゃないの』
『民主主義は多数決じゃダメなんだよ。
民主主義は、すべての人がラウドマイノリティ、
大きな声をだすことのできるマイノリティであれるシステムにしなきゃだめだと思うんだよ』
『好きなことやって皆が生きていける、
俺はそれが世界平和の基本だとおもうんだよね。
できるぜ、夢じゃないよ。理想論じゃないよ。
そっちの方がよっぽど現実的だよ』
その他にも、三宅氏は、
今の国会には論争がない。国会に行って、チャランケ(言葉の戦争)やウコイタク(対話)をすることが必要だ、ということを言ってますが、“大局的な思想”=小手先ではなくまともな解決策のためには、論争が必須です。
2013/8/11(日) 午後 9:01 [ @hijijikiki ]
現状は、学者や“有識者”やマスコミが御用化してしまって、政治に議論や論争がなくなって/あっても見えない・無いものにされてしまっていると思います。
更に重要なのは、拙まとめで紹介した三宅氏の記事を書き起こしhttp://ameblo.jp/aries-misa/entry-11578836360.htmlた方が言っていた:
『三宅洋平さんの支持者がこんなに増えたのは何と言っても彼の人間性による所が大きい
彼の根底にあるのは「愛」だと、誰もが自然に感じ取れてしまう‥
三宅さんは、一緒に歩くために私たちが必要としていた存在』
ということだと思います。
私の言葉に直すと、この「愛」は言い換えれば、
「人の命あっての経済と政治」(山本太郎氏の発言)であり、
「全ての人々の自由と生存権=健康で文化的な生活を保障する」ことだと思います。
昔から、乱世の世の中になると思想家が出てくると言われてますが、ネオリベ・ネオコン・安倍自民党のとんでもないバックラッシュの“乱世”の今だからこそ、三宅氏のような「思想家」(本人はミュージシャンで、政治家専業は嫌だと言ってますが)が出てきたのかもしれません。
2013/8/11(日) 午後 9:02 [ @hijijikiki ]
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spitzibara氏の投稿:
hijijikikiさん、いつも貴重なご教示ありがとうございます。三宅洋平という人が話題を呼んでいるということだけはたまに覗くツイッターで見ていたのですが、なるほど、そういう方だったんですか。とても分かりやすくて、興味深く読ませていただきました。世の中があまりにも極端な方向に振れ過ぎると、おのずとその反対への動きが生まれてくる、そういう健全な社会でありたいですよね。この恐ろしさを感じないでいられること自体が、私にはもう想像を超えている感じがします。
2013/8/11(日) 午後 10:31 [ spi*zi*ar* ]
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@hijijikikiの投稿:
「世の中があまりにも極端な方向に‥この恐ろしさを感じない」>ところに大きな問題があるのかと。
三宅洋平さんは
『前回の選挙に参加しなかったおよそ4000万人という「事実上の最大政党」(自民党1700万票)である無投票層が、自分の頭で考えて‥候補者を選び‥「奇跡」はそこから始まり、それがもっとも滑らかな「革命」たり得る』
と書いてます。
無投票層≒無関心層の多くは「投票しても、どうせ政治や社会は変わらないから」と最初から諦めているか、政治は自分とは関係ないものと思うか、マスコミや主流の言説を疑わないからでは。
以前に「終末期」医療や老人医療についてのやり取りで、「どうせ死ぬんだから‥」という考え方があるのでは、という話が出ましたが、それに似ている感じがします。
「どうせ死ぬんだから‥」という思考や論理は、自分や自分の大切に思う人を棚上げにして、自分(たち)とは関係ない、他人事としてこう考えるか、マスコミや主流派の言う「終末期」や尊厳死などの言説に乗せられて/疑わずにこう考えているように思われます。
2013/8/13(火) 午前 1:50 [ @hijijikiki ]
三宅洋平さんは政治や社会が変えられることや、各人の緩やかな参加と協力と連帯をとても熱く、しかし穏やかに冷静に、一見荒唐無稽そうに見えても実は現実的に語っていると思います。
私は、自分自身ともすれば諦めに向かいがちなことが多く、「熱い語り」は苦手な方なのですが、洋平さんの自分の生活や活動の実感から社会や政治や世界のあるべき姿に無理なく話をつなげてゆく、平易で説得力のある話し方に、これなら無関心層にも通じるのでは、と期待しています。
更に、今後も引き続き政治活動=マツリゴトを展開してゆき、3年後の選挙にも出ると述べており、これが緑の党などの周囲をも巻き込んで、“選挙フェス”に見られるような、新しい形態の運動・ムーブメントになってゆくのでは、とも期待してます。
2013/8/13(火) 午前 1:52 [ @hijijikiki ]
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spitzibara氏の投稿:
hijijikikiさん、おはようございます。今、世の中で進行している事態が直接的に明日や来年や数年後の自分自身や家族の身に影響する、ということのリアリティが棚上げされている、というのは私もすごく感じます。というよりも、そのリアリティからは目を背けていたいし、だから考えるために知るべきことをきちんと知ろうとするのではなく逆に、余計なことは知りたくない、余計なことを知って今の自分の安寧を脅かされたくない、という現実否認の方向に向かっている人が多いんじゃないのかなぁ、という感じが強いです。そういう人がかもし出す社会の同調圧力みたいなものがどんどん強くなっている気がして、私もあきらめ気分になることが多いですが、勇気を出して抗い続けようとしている人の姿に触れると、ちょっと元気を取り戻させてもらいます。
2013/8/13(火) 午前 9:25 [ spi*zi*ar* ]
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●spitzibara氏のブログ【Ashley事件から生命倫理を考える】:
★「2013年8月1日の補遺:『援助じゃアフリカは発展しない』ダンビサ・モヨ著 小浜裕久監訳(東洋経済新聞社 2010):ミニメモ」
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66588658.html
■本まとめに先行するまとめ、参照しているまとめ:
●『医療や科学の権威と責任/過剰反応やパニックそして能力主義と差別』
●『緩和ケアの差別的な使われ方と、ロー・セオリーからの反撃』
●『「どうせ死ぬんだから‥」/『終末期』医療は差別か?』
●『ナショナリズム・レイシズム・差別と、相互的な交流/を阻むもの』
●『(続)がんばりすぎる障害児の母たち:家族を介護するケアラーをどう支援するか』
●『正当性を印象づけること&正当性の根拠を問うこと、について:「御用学者」の場合、早川由紀夫氏の場合』
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