日本のテレビアニメ史を再考する

先にまとめた「もし手塚治虫が『鉄腕アトム』をアニメにしていなかったら?」http://togetter.com/li/701277 の続きです。アメリカ中心史観で眺めなおすと、面白いものが浮かび上がってきます。
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It happens sometimes @ElementaryGard

韓国のアニメーション史に関する一考察 〜 韓国の人形アニメーションの始まりとその後〜 ghibli-museum.jp/image/2010%E5%…' これはなかなか。おすすめ。

2014-08-09 22:41:13
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手塚治虫が中学生(今だと高校生)のときに焼け野原となった大阪の映画館で観て涙を流したという戦意高揚(!)アニメ『海の神兵』スタッフに朝鮮系の者がいて、それが日本の敗戦後に祖国でアニメ作りにかかった。その教え子が後に初の国産長編アニメ『ホンギルドン』を監督。

2014-08-09 22:45:58
It happens sometimes @ElementaryGard

テレビ放送がアメリカの主導で始まり、CMの需要が出る。当時は受像機の映りが良くないこともあってアニメでの制作需要が大きかった。こうしてCMという飯の種によってアニメ制作の技術が磨かれていく。日本がそうだったし韓国もそうだった。『ホンギルドン』の監督もCMアニメ経験者。手塚の親友。

2014-08-09 22:49:34
It happens sometimes @ElementaryGard

戦後アメリカには、テレビという新メディアを使ったアジア戦略があった。テレビの導入と普及を急かした。それが結果として各国にアニメ制作の種を播いたのではないか?という仮説。

2014-08-09 22:51:37
It happens sometimes @ElementaryGard

韓国の場合、国産長編アニメを作るぐらいには技術と意欲を育んだが、商業ベースでまわしていくには至らず、やがて日本の下請けに軟着陸していった70年代。

2014-08-09 22:54:07
It happens sometimes @ElementaryGard

日本は1ドル=360円の固定為替相場に支えられて高度経済成長を達成。一方でベトナム戦争と月着陸計画で疲弊していくUSA。苛立ったニクソン大統領は固定為替制の廃止をいきなり発表。1973年、とうとう変動為替相場に。これで日本は安く済むアニメ下請け先でなくなっていく。

2014-08-09 22:58:22
It happens sometimes @ElementaryGard

それでも下請け(合作という名目)は続いた。トップクラフトというスタジオが有名。ここが後にすかんぴんの宮崎駿の根城として『ナウシカ』を制作。一度解散してジブリが発足。1985年。宮崎も『ナウシカ』前にはアメリカ進出狙いで発足したテレコムアニメに所属し渡米もしていた。

2014-08-09 23:00:43
It happens sometimes @ElementaryGard

この頃ハリウッドからの受注は韓国にいくつもの下請けスタジオを生んだ。

2014-08-09 23:02:23
It happens sometimes @ElementaryGard

やはりアメリカという超巨大惑星からの潮汐力を感じますね。あのジブリもこの力の落とし子だったのです。

2014-08-09 23:04:09
It happens sometimes @ElementaryGard

ペリーが日本にやってきたのは、捕鯨ほかの基地が太平洋西岸に必要だったから。それでフィリピンから軍艦四隻で出張ってきた。東アジア戦略の駒のひとつとして日本が必要だった。足がかりとして。

2014-08-09 23:06:44
It happens sometimes @ElementaryGard

日露戦争のとき対ロ交渉で協力したのは、中国東北部つまり満州の資源狙い。事実、鉄道王ハリマンによる満州鉄道計画が日本政府とのあいだで一度決まっていた。

2014-08-09 23:08:34
It happens sometimes @ElementaryGard

当時からUSAにとって日本は中国大陸に進むための足掛かりだった。それが帝国として自立してしまった。第二のフィリピンにはならなかった。これが後の日中戦争そしてアジア太平洋戦争のテーマとなっていく。

2014-08-09 23:10:35
It happens sometimes @ElementaryGard

戦後のアニメ史は、こうした戦前の日米の水面下の葛藤をどこかなぞって進んではこなかったか?台湾と韓国にアニメの下請け先をハリウッドはたくさん得ることになるが、それは日本のアニメ会社が開拓したものだった。

2014-08-09 23:12:00
It happens sometimes @ElementaryGard

拙訳『鉄腕アトム、アメリカを行く』には、『アトム』の英語吹き替え版を制作したアメリカ人(著者)がその後韓国にわたって、ハリウッドの白黒アニメを着色する工房の設立に駆け回る話があります。旧作をカラー化して二度売りするというユダヤ色全開の商法。60年代後半。

2014-08-09 23:16:14
It happens sometimes @ElementaryGard

もし手塚が『アトム』を放映していなかったら、国産テレビアニメの歴史は変わっていた。アメリカ輸入ものの影響でナンセンスものが試しに作られていた可能性はある。けれども人気子どもまんがを原作に使うという発想はかなり遅れたのではないか。

2014-08-09 23:18:26
It happens sometimes @ElementaryGard

そして60年代後半にアメリカ(ハリウッドとは限らない)下請けのテレビアニメ制作が始まり、やがて国産企画に挑むものが現れる…

2014-08-09 23:19:34
It happens sometimes @ElementaryGard

キャラクター・ライセンスで商品をどっさり売るやり方の発見と導入も5年は遅れたかもしれない。となると『ウルトラマン』も生まれなかった。

2014-08-09 23:20:52
It happens sometimes @ElementaryGard

愛知県と岐阜県の県境に、三つの河が並走する面白い土地があります。堤防で仕切られている。それがやがて伊勢湾の手前で合流する。かつては洪水で多くの人命が失われたことで有名。児童文学『千本松原』の舞台です。

2014-08-09 23:23:24
It happens sometimes @ElementaryGard

手塚は10万馬力でもってこの堤防を壊してしまったのではないか?もっと下流で合流すべきだった複数の河川を「ここでひとつにすればいいじゃないか。えい、えい、やあ」と堤防を破壊。おかげで漁業は盛んになったとしても、水害が激発。そんなイメージ。

2014-08-09 23:25:08
junichi kinoshita @junichi_0628

ひさびさに千本松原に行ってきた。長良川と揖斐川の濁りの違いはどうやって生まれたのかぼーっと考えた週末。それにしてもこれを作った薩摩藩士の努力たるや。 pic.twitter.com/HcnlpLlcSi

2014-07-07 00:37:29
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It happens sometimes @ElementaryGard

厳密には明治ですねこの形になったのは。@junichi_0628

2014-08-09 23:29:25