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随分時間が経ってしまったが、永田康祐くん @knagata_org の企画した「類推する形態」展を見て考えたことを、あまり整理しないままにつらつらと。 deductiveobjects.org
2014-08-21 00:43:26一つ目の展示『Transcription | 転写・複写・変換』は、まわりくどい目隠しの伝言ゲームという余計なプロセスを挿入することでアブダクション(推論)を引き起こし、輪郭のブレを肥大化させるような試み。昔、岸健太さんが東工大の『造形演習』という授業で近いことをしていた。
2014-08-21 00:43:46展示を見てふと思い出したマンガがあった。榎本俊二:『GOLDEN LUCKY』より。三コマ目に介在する、一連のプロセスにおいてまったく意味のないノイズ生物。 pic.twitter.com/T2qEghp5VZ
2014-08-21 00:44:29これもそうなんだけど、2コマ目の余計なプロセスノイズが入るからこそ、初めてこの四コマの笑いという価値が成立する。 pic.twitter.com/WjmADeYmCu
2014-08-21 00:45:21設計においてアブダクションを引き起こすことの主な目的は、ひと一人の経験則が及ばないノイズを歓迎することだ。この辺は門脇耕三さんががっつり論考化している。 『2000年以降のスタディ、または設計における他者性の発露の行方』 10plus1.jp/monthly/2012/0…
2014-08-21 00:46:18それはそれとして、人間を発展的ノイズとして利用するコンピューテーション的観点では、3コマ目の謎の生物の方こそが実は人間だったのか、と、この展示を見ることでようやく気付くことができて面白かった。(まぁ彼は何も情報を歪ませてないが) pic.twitter.com/sfkxI0dHqh
2014-08-21 00:47:44二つ目の展示『Graft | 接合・連接・補填』は、異なる二つのマテリアルを任意面で切断し、それらの輪郭をつなぐ形態を類推する課題。一つ目よりもっとダイレクトにアブダクションそのものを「形」として取り出す試み。
2014-08-21 00:47:03しかし展示作品のツナギは、明らかに恣意的な凹凸を差し込んでいたのがちょっと気になった。その凹凸は果たして類推なのか、それとも作者のアイデンティティなのか。後者の割合がかなり強いんじゃないかな。
2014-08-21 00:47:18榎本俊二:『GOLDEN LUCKY』は永田くんにぴったりのマンガだと思うな。登場人物や状況といったコンテンツは唐突で全く意味不明だが、わずか四コマのなかで極めて論理的にそれらの関係が起こす展開が表現されるマンガ。 pic.twitter.com/naI6uqdVZO
2014-08-21 00:48:49『伊集院光 深夜の馬鹿力』にかつてあった「ナイナイアルアル」という、前提がまったくあり得ない状況下においてあり得る事象を募るコーナーも同じ構造。 例:「ウェディングドレスの女性にスポイトでビーフシチューをかけている」ときのあるある ijuinmania.blog84.fc2.com/blog-category-…
2014-08-21 00:49:37つまりコンテンツは置換可能であって、僕らは常にコンテンツ同士をつなぐ関係性や論理構造を楽しんでいるわけなのだが、しかし『GOLDEN LUCKY』は「変な生物」というコンテンツのディテールの形態だけ取り出しても単体で笑えるところが、あなどれないほどに強い。
2014-08-21 00:50:39アブダクティヴなプロセスをごっそり隠して、発見した形態という単体のコンテンツだけを据えたとき、人はその輪郭に一つ一つ丁寧に笑って(感動して)くれるだろうか。
2014-08-21 00:51:08というわけでアブダクションはこれまで「笑い」のトリガーとして使われてきて、また「形態」のトリガーに使う試みも発展してきているとわかったとき、改めてここで、発見した形態の先に何があるのかという問いがまた返ってくるなぁと思いました。
2014-08-21 00:51:43笑ってくれたらそれは彫刻的価値は持っていることになる。では笑ったあとに、もう一度その形態の成り立ちを類推してくれるだろうか。建築は形態と周辺から成り立ちや変遷を類推され続ける物であるので、そこまで意識を誘導できれば建築としての応用が利くのかな。
2014-08-21 00:51:21あまりまとまってなくて心苦しいので、榎本俊二:『GOLDEN LUCKY』のJP選り抜きをいくつかアップしてお茶を濁すぞ pic.twitter.com/JvVtogIQYs
2014-08-21 00:52:32誤解を恐れずに言えば、「コンテンツは置換可能であって、僕らは常にコンテンツ同士をつなぐ関係性や論理構造を楽しんでいる」のが、もうそろそろちょっと息苦しいような気がしていて、素直にギャグをギャグとして受け入れるその仕方を見つけたいなということです。
2014-08-21 01:04:13具体的に言えば、コンピューテーションにおいて技術の話をするのはもう辞めたいということと、形態論において構造主義的なタイポロジーや生成論みたいな話をするのはもう辞めたいということで、純粋に形態とその周辺の話だけしていたいという気持ちとその方法の模索です。
2014-08-21 01:09:29