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@knagata_org なるほど。それでいくと一発ギャグを一発ギャグとしてやってる状況はコンテクストを内包してるとは言える気もする。トートロジーだとも思うけど。とりあえずギャグのその動きや顔をこそ語りたいということはわかりました。
2014-08-21 02:17:11@ushi_ ちょっとコンテクストというワードを乱用しすぎたかなと反省しています。指摘の通り、平たく言えば、表層的なことや目に映るものをポスト網膜的美術の時代においてある種の形態論としてもう一度考えられないかなということなのだと思います。
2014-08-21 02:21:29@hikohiko それだと、作られた形態群が粘土固有の形っていう同一性を獲得してしまうような気もしたんですよね。粘土だからこの形、というような。
2014-08-21 02:26:07@hikohiko 実際のところメディウムと形態は分かちがたいし、それはコンピュータを使おうが3Dプリンタを使おうが避けられないのですが、作品の見えとして、後者のほうがブラックボックスによって隠蔽されている分クリアに見えるかなと。
2014-08-21 02:26:20@knagata_org クリアにって、コンテクストとかプロセスがってこと?文章を読むようにクリアに見えちゃうと実際に物を作らなくてよくなくないとか思ったけど読み違いありそうだから実際会ったときに話したい
2014-08-21 02:34:19@hikohiko むしろコンテクストやプロセスが隠蔽されることによってそれ以外にフォーカスが行くような気がした、ということなんですけど、実際会ったときに続き話しましょう!
2014-08-21 02:36:55@knagata_org 納得。がんばってください…。
2014-08-21 02:46:23形態の前景化という言葉をベースに自分なりに考えてみた。言葉面だけなら、フランシス・ベーコンがちょっとだけ近いこと言っているように思う。
2014-08-22 00:09:16とあるインタビュアーとベーコンのやり取り。 「物語は伝えたくない?」 「その通り、むきだしのイメージが好きなんだ。自分もショックを受けたい。ショックも表現の形式なんだ。でも何の表現かは知らない。ただの視覚的ショックだ。物語から来るショックではなく、ただのショックなんだ。」
2014-08-22 00:09:32今回の展示について、回りくどいプロセスを作り、そのコンテクストを隠蔽して初めてあの形態と対峙できるとしたら、それは確実にメタテクストの作品だし、隠蔽したことを隠蔽してただ形だけを展示したら、それはきっとタイポロジーの概観としてしか機能しないだろう。
2014-08-22 00:10:30だからテクストの存在が問題ではなく、テクストの在り処を問題にしてるのだと思う。つまり「形態の前景化」は寡黙になることじゃなくて、形態に関する「事前の議論」を外して、「事後の議論」を誘発するものと考えるべきだろう。
2014-08-22 00:11:00僕は、ギャグの構造を考えないより、どんなに瞬間的でもギャグをコンテクストからの逸れに笑ってると解読する方が面白いと思っている。性質と文脈に二度笑えるから。単純に得。これはつまり事前の議論の余地がないゆえ、事後の議論がより楽しいってことだよね。
2014-08-22 00:11:32コンテクストと形態の事前のつながりを考えることそのものが野暮で前時代的と言いたくなる気持ちはわかるけど、建築における形態の役目は笑うことだけじゃないので、事前の言及は必ず求められてしまう宿命にある。
2014-08-22 00:12:27ならば自覚的に事前の議論を引き受けて、楽しむ方法を模索した方が楽しいというのがいまの僕の結論。
2014-08-22 00:12:47ちなみに、永田くんと谷口さんが話していたメディウムと形態の関係は、ゴットフリート・ゼンパー:『様式』のなかの「素材交代」という話が関連していて面白い。
2014-08-22 00:14:02かいつまむと、「形の創作・基本構造の成立において素材は大きな影響を与えるが、その形が一度完成してしまえば、いかなる素材によっても形象化が可能になる。」 つまり、素材によって生まれた形は、同時に素材性を否定するという転倒状態が起こるという話。
2014-08-22 00:14:27