丹生谷貴志ツイートまとめ(2014年8月)

丹生谷貴志さんの2014年8月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

下らない話。例えばサドやらフローベールのようなものを巡る探求的論考がひと渡り出た後必ず出てくるのは「小難しい学者評論家先生の言など忘れて読書を楽しむべきだ」といった論評で、それはもっともな忠告ですが、しかしそうした発言をする連中に限って変に口調が威張ってるのはなぜなんでしょかね。

2014-08-01 12:17:13
nibuya @cbfn

どうでもいい話。自分でも呆れるほど「日本史」に無知なのですが、理由の一つは例えば子供の頃「〜城址」と言った立て看のある人気のない野原に出ると、間違いなく血腥い気配と暗さを感じた怖さからで、その感じは幽霊を見るより恐ろしかった・・・ような記憶があります。間抜けた神経症的言い訳です。

2014-08-03 01:16:49
nibuya @cbfn

僕らは志賀直哉の『城崎にて』なんてのを名文として教えられたのですが、イモリに石当てて、死んだその光景に「静かだった」とか畳み込まれる調子に子供の僕は相当に腹が立った記憶があります。死んだイモリを本体(?)とする場は絶対的に賑やかに騒々しいものでなければならない、と思ったのでした。

2014-08-03 10:11:29
nibuya @cbfn

昔読んだクロソウスキの論考の先入観でサドの「単純情熱」と「複雑情熱」の意味をかなり勘違いしていたようで、反省。前者を「動物的」後者を「ファンタスム=倒錯的」と理解していたのですがサドに於て「単純情熱」は既に倒錯の「一段階」なので、これは理解を修正しなければならないことになります。

2014-08-04 02:49:42
nibuya @cbfn

『ソドムの百二十日』がバスチーユで十数メートルに貼り合わせたロール状の紙に浄書された後、急な釈放で独房に置き去りされたまま紛失し、それが二十世紀になってアポリネールに発見されたのは有名な話ですが、浄書されたロール原稿が実に几帳面でメカニックなまでに美しい形状なのには驚かされます。

2014-08-04 03:11:39
nibuya @cbfn

因にこれがその写真です。 pic.twitter.com/oM0NOve9aD

2014-08-04 03:33:51
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nibuya @cbfn

例えば田中智学とかの柱の周囲に宮沢賢治や石原莞爾その他その他を置くと「隠されていた歴史」が見えて来るとかいう論を読むと図式の単純さに溜め息が出る。図式は思考に便利だがあらかたは思考の劇画に終わる。ファンタスムが「表現」に変化し或は滞留し内破するその差異の迷路に注視することが必要。

2014-08-06 00:45:07
nibuya @cbfn

ファンタスムと表象との偏差を可能な限り切り離し、表象=数的表象の自動運動の動作検出を目指すこと、例えばレヴイ=ストロースの『家族の基本構造』・・・そこに再度ファンタスムの裏張りを二重露光させること、例えばフーリエ『愛の新世界』を斜めに張り合わせる・・・等々。

2014-08-06 02:11:57
nibuya @cbfn

同じくレヴィ=ストロースの『神話学』全四巻とフーリエの『四運動の原理』でも同じ操作を行うことも可能か?

2014-08-06 02:18:20
nibuya @cbfn

澁澤龍彦さんがサドの訳語に例えば「若気(にやけ)」のような衆道隠語を不用意に使ったのは間違った採用であると松山俊太郎さんは敢然と指摘している。実際その通りだと思う。澁澤訳のサドの不正確な隠語の雅語めかした用法は欠点になってしまっている様に思う。

2014-08-06 02:35:15
nibuya @cbfn

私事。さーて、仕事の日々で。ということは普段よりも何もやらないという効率最悪の日々で、気づくと夏も晩夏に向かうかもしれないのですが、毎年思うのはお盆と言うのはいつからいつなのでしょう。

2014-08-13 11:43:27
nibuya @cbfn

私事。時おり本との距離が分からなくなる。といって内面の話ではなく文字通り物理的な距離のこと。25センチくらいがいいのか50センチくらいか。昔、4メートルくらいでバードウォッチ用望遠鏡で読んでみようと試みたこともある。結論、バカバカしいからそんな時は本など読まないようにすること。

2014-08-14 10:43:12
nibuya @cbfn

お礼のタイミングを逸したどころじゃない時間が過ぎてしまったが、リシャールの『ロラン・バルト最後の風景』を送っていただいて、今頃になって見直している。原書は昔飛ばし読みした記憶で消えていて、訳書で久しぶりにリシャールというフランス批評史の中州のような人の居場所の不思議さを確認する。

2014-08-15 22:50:05
nibuya @cbfn

蓮實重彦さんの『仮死の祭典』は本来リシャール論で、故宮川淳さんがそのことにくぐもった様な違和感を書き付けていたのが懐かしい。リシャールという人の存在の独特の大きさは幸いその重要な主著の邦訳があることで再認可能だが、実は一番「真似の難しい」タイプの批評だろうか・・・

2014-08-15 22:57:49
nibuya @cbfn

木田元先生には一度だけ会った。保坂和志の芥川賞受賞の銀座のビアホールでの二次会の席にいらっしゃった時。保坂の不思議な交遊の広さには慣れていたが、木田さんが現れたのには少し驚いた。木田先生は少し酔ってらしてカラオケ行くならついて行くというのをお弟子さん?が止めてらしたのを覚えている

2014-08-17 22:49:56
nibuya @cbfn

革命前夜の財務ネッケールの娘はスタール夫人、夫人の従姉妹アルベルチーヌはド・ソシュール家に嫁いだ才媛。ド・ソシュール家はあのフェルディナン・ド・ソシュールを生む家系なのだろう。ジュネーヴの樹系・・・・

2014-08-17 23:15:10
nibuya @cbfn

ボードリヤール風に:シミュラクルとはファントームの「商品形態」である。Fは厳密には伝達不能、Sの形でしか「流通」しない。しかしSはあたかもFの表出として購入され、「購入者」同士はあたかも「同じF」において一種の「コミュニオン」に入室したかのように「錯覚」し得る。複製時代の芸術・・

2014-08-19 14:04:57
nibuya @cbfn

例えばバルトにとって「冬の庭の写真」はファントームであり、だから彼はそれの提示を拒むが、拒むということにおいて彼のFは陥没という逆説の形でS化される。それは一種の手品を成し、その「厳密な種明かし」としてバルトは「ロマンの試み」の糸、FとSの間の糸を、これまた不在として繰り出す・・

2014-08-19 14:16:00
nibuya @cbfn

カッコいい(?)レトリックに弱いんで「良心は彼を絶望させる。しかしそれは能動的絶望である。つまり、企画するために希望する必要がないのだ。企画が希望の外部に存続する」てなあチボーデのヴィニー論の一節みたいなのを読むと意味もなく感心してしまう。

2014-08-19 18:08:35
nibuya @cbfn

ああ、「ファントーム」じゃなくて「ファンタスム」ですね。ま、どっちでもいいか。

2014-08-19 18:11:04
nibuya @cbfn

松浦寿輝さんの大著『明治の表象空間』のせいというわけでもないでしょうが最近幸田露伴の名を口にする人が増えたような気がする。確かに鏡花とは別の意味で、明治も何も無関係に読む者をお手上げにしてしまう無二の書き手で・・・趣味的以上に読者が増えると想像するのは悪くない想像です。

2014-08-20 00:33:36
nibuya @cbfn

不意にミトロプーロスの名を思い出し、記憶違いでなければ亡命で生活に窮していたバルトークを援助する為に作曲の依嘱をし、その曲が『管弦楽の為の協商』になったはずで・・・

2014-08-20 02:54:22
nibuya @cbfn

ミトロプーロスではなくクーセヴィツキーがバルトーク援助者だったそうです。御指摘感謝。うろ覚えの記憶はマズいですね。

2014-08-20 10:57:04
nibuya @cbfn

しかし音楽をCDにしろ直接聴かなくなって久しい。バルトークにしてもただ記憶の頭の中で「聴く」だけです。だから不意に頭に流れ出すことがあり、数日前からバルトークのヴァイオリン協奏曲第二の冒頭が何故か流れてたのでした。演奏はシゲティかしら、これは怪しい。

2014-08-20 11:07:21
nibuya @cbfn

バルザックの「大系」が巨大な「”超”カトリック神秘主義」だったことは今やほとんど定説ですがその要となるとバルザック自身語っていた『セラフィタ』『神秘の書』がしかし、単独の作品としてはかなり出来が悪いと見えること・・・あの巨大な「大系」が離陸しようとして上げる軋みの全重量が・・?

2014-08-21 01:42:00