某鍵アカウントからの東浩紀への質問『弱いつながり』

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シマヅ @Shimazqe

@hazuma 徒然失礼いたします。「一般意思2.0」「弱いつながり」に関連して質問なのですが、

2014-09-07 12:56:29
シマヅ @Shimazqe

@hazuma 国や社会や政治など「でかいもの」と「鼻クソみたいな私たち」がいます。「鼻クソみたいな私たち」は、ぶつぶつ呟いたり、消費やら何やらの、か細いノイズ(無視されるかも知れないが多少は影響を受ける人がいるかも知れない)として世界と僅かに繋がってるんじゃないかと思うのですが

2014-09-07 12:57:24
シマヅ @Shimazqe

@hazuma「鼻クソみたいな私たち」は強いつながりに囚われたムラ人です。そっから気軽に「観光客」として色んなことに首突っ込んだりできると。特に身体性を伴う物だと効果覿面。それで検索ワードが変わるというか、偶発的に何か/誰かと出会いムラ以外の世界とも繋がる。まさに「弱いつながり」

2014-09-07 13:01:41
シマヅ @Shimazqe

@hazuma しかし、ここ何年も言われてた気がする、国や社会や政治など「でかいもの」と「鼻クソみたいな私たち」の間にあるような無いような、中間共同体と言われる物について「それ無しでも、“でかいもの”と“鼻クソみたいな私たち”はダイレクトにバッチリ繋がれる」ってお考えでしょうか?

2014-09-07 13:02:53
シマヅ @Shimazqe

@hazuma なお、血まみれで倒れてる人がいたら「この包帯は清潔か?」「止血するより冷やした方が」「そもそも医療資格の無い者がやるべきか?」「医療資格がなくとも応急処置はできるのでは」「よきサマリア人と言う概念が…」と延々とやってないで、原始的な衝動で動け!というのは分かります

2014-09-07 13:04:47
シマヅ @Shimazqe

@hazuma あと、ポストスーパーフラット展の打ち上げで脱いでたのは何故ですか?動物化したのですか?

2014-09-07 13:05:54
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

弱いつながりで中間共同体の必要性について書かれていない件についての質問ですね。RT @Shimazqe @hazuma しかし、ここ何年も言われてた気がする、国や社会や政治など「でかいもの」と「鼻クソみたいな私たち」の間にあるような無いような、中間共同体と言われる物について「そ

2014-09-07 13:06:16
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ひとことでいうと、ぼくは中間共同体は虚構だと思っています。「国家」とか「会社」とか「学校」とかはすべて虚構で、現実には個人の集合しかない。そして確かに人間は虚構がなけれが生きていけないのだけれど、虚構に過度に縛られてもいきていけない。バランスが問題です。

2014-09-07 13:07:48
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

そして「弱いつながり」は個人に自由になれよと呼びかける本です。だから中間共同体の話はない。他方「一般意志2.0」は社会設計の本です。だから中間共同体に、その外側に拡がる個人のネットワークとのインターフェイスを作れという提案になっています。

2014-09-07 13:08:49
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

弱いつながりには村人/旅人/観光客という3分法が出てきますが、これが中間共同体/社会全体/個人のネットワークということになります。普通は、個人→中間共同体→社会みたいにヒエラルキーで捉えますが、ぼくは、中間共同体のまわりを個人が取り巻いていて、その外側に社会があると考えるのです。

2014-09-07 13:11:34
シマヅ @Shimazqe

お返事ありがとうございます!RT @hazumaそうですね。。これは単に、久しぶりに元気なカオスラウンジを見て嬉しかったというか。。まあ酔っ払ってたということかと。。RT @私: hazuma あと、ポストスーパーフラット展の打ち上げで脱いでたのは何故ですか?動物化したのですか?

2014-09-07 13:17:18
シマヅ @Shimazqe

@hazuma あっ、すみません、もう少しお伺いしたいです。中間共同体=教室 観光客=違うクラスの友達ができた というイメージだと、

2014-09-07 13:28:43
シマヅ @Shimazqe

@hazuma 周辺の社会全体=旅人とは、どのようなイメージでしょうか?クラスが同じだろうと違おうと、そんなの便宜的な制度にすぎないので、あくまで生徒個人が500人いるだけ。そのネットワークで学校全体が出来る、みたいな?

2014-09-07 13:29:11
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ひとはあるときは村人として生き、あるときは観光客として生きる、そして観光客はみな個人として偶然性で繋がっているということです。RT @Shimazqe 4分 @hazuma 周辺の社会全体=旅人とは、どのようなイメージでしょうか?クラスが同じだろうと違おうと、そんなの便宜的な制

2014-09-07 13:34:10
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

だから個人のネットワークで学校は出来ません。学校は村です。でもそのまわりに、同級生それぞれが勝手に作っている個人的な関係があり、そのひとたちの集合が「観光客」のネットワークになっている。そしてある学校では村人であるひとも、別の学校に対しては「観光客」になる。

2014-09-07 13:35:48
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

他方で、社会全体=旅人というのは観念の問題です。ぼくたちは社会全体はじつはイメージできません。それは純粋な理念ですね。社会全体にむかってなにかを発言するというのは、そういう理念に向かって発言することです。旅人というのはそういう理念的存在だということです。昔の言葉で言えば「他者」。

2014-09-07 13:37:02
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

この点で出版直後、「弱いつながり」について観光客って柄谷行人の他者とどう違うのかと批判した社会学者の方がいましたが、それはたぶん読まないで批判していて、読めばすぐ違いがわかります。村人/旅人/観光客は、思想用語で言うと、共同体/他者/両者のあいだをパートタイムで行き来する人です。

2014-09-07 13:38:52
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

他者=旅人は村人からすると過ぎ去っていく存在でしかないので、否定神学的な理想化の対象になります。その点では観光客は具体的な存在です。観光客の動向は気にかかります。ただし「群れ」です。村人からすれば観光客は個人として認識できません。そして関係もいい加減です。

2014-09-07 13:41:22
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

まだわかりにくいかしら。要はこういうことです。「村人が〜」というとき、私たちは具体的な顔を浮かべている。「旅人が〜」というとき、そこに具体的な顔はない。「観光客が〜」というとき、具体的な顔はないけど、群れとしてのイメージはある。そしてひとりひとりは、状況によりそのいずれにもなる。

2014-09-07 13:43:18
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

で、いままでの社会思想は「村人」か「旅人」しか考えてこなかった。旅人を他者として理想化する(リベラル)か、あるいは敵として排除する(保守)かという違いはあっても。そこで観光客という第三項を考えようというのが、ぼくの提案です。ビッグデータとかの話とも関係ありそうな気がしてます。

2014-09-07 13:44:50