「重陽節句」の歴史からアブナイ研究まで
@y_mizuno 『延喜式』の「百舌鳥耳原中陵」という言葉を引いて百舌鳥耳原中陵仁徳天皇陵としたとあり、備考に仁徳天皇は大雀命または大鷦鷯尊と呼ばれたとあります。
2014-09-14 09:36:18@y_mizuno 白石太一郎さんの「七世紀前半には『延喜式』の陵墓歴名表の原資料の一部がすでに原形が整えられていたが、信憑性が高いと言えるのは六世紀中ごろの継体陵以降であるとする」という言葉を引き、
2014-09-14 09:36:33@y_mizuno 「それ以前の陵墓名は、特に個別の人物像を個別の墳墓にあてはめることが出来ない」とおっしゃっていて、僕はこの考えが穏当だろうと思ってます。
2014-09-14 09:36:40なるほどね。了解です。でも例えば倭の五王、そこでの同定の問題があるとはいえ、その陵墓は否定できず。つまり研究の問題ですね。@murapyon71 「それ以前の陵墓名は、特に個別の人物像を個別の墳墓にあてはめることが出来ない」とおっしゃっていて、僕はこの考えが穏当だろうと思ってます
2014-09-14 09:51:26有史以前の「文明」
@y_mizuno 有史以前の文明については、僕は不勉強で、こうだと思うという考えを今ここで簡潔に述べる事が出来ません。文献的な考察では、宮崎市定『アジア史概論』、仏教物に残された文字の考察の一部として宮崎市定『謎の七支刀』、
2014-09-14 09:59:33@y_mizuno 発掘物に書かれた文章についての考察として高島俊男『ことばと文字と文章と』、稲作のルーツとして文献的な知見の藤堂明保『日本の東と西』、
2014-09-14 09:59:50@y_mizuno 有史以前の全般的な考察(銅鏡、倭の五王、馬具の出現、仏教の伝来、正倉院の源流など)樋口康隆『大陸からみた古代日本』などは個人的に非常に勉強になると思ってますが、まだ自分の言葉では何も語れません。
2014-09-14 09:59:55そうですね。みんなうすうす分かっているんだから(苦笑)、やったらいいのに、とは思います。第26代継体天皇陵も、近くに2つあって古事記には三島の藍野にあるとだけ書いてあって、別のが本物だと最近、発見されました。@murapyon71 天皇陵の発掘調査は必須ではないか?と個人的には思
2014-09-14 10:08:18@y_mizuno @Historyoflife 宮崎市定先生の『謎の七支刀』や高島俊男先生の『ことばと文字と文章と』を読むと、細かく調査をすれば何かしらの発掘物や文章や文字が出て来ると思うので、それらの専門的な調査をするしかないという感じがしますね。
2014-09-14 10:08:27はい私もそう思っています。@murapyon71 宮崎市定先生の『謎の七支刀』や高島俊男先生の『ことばと文字と文章と』を読むと、細かく調査をすれば何かしらの発掘物や文章や文字が出て来ると思うので、それらの専門的な調査をするしかないという感じがしますね。@Historyoflife
2014-09-14 10:20:00@y_mizuno あと、文章として一番多く残っているのは中国正史の倭国や日本国についての見聞ですので、そちらは関連する朝鮮半島や琉球も合わせて、藤堂明保・竹田晃・影山輝国『倭国伝』も重要だと思います。倭の五王や有史以前の日本人の名などの典拠ですし。
2014-09-14 10:19:47メモ。歴代天皇一覧。homepage1.nifty.com/kitabatake/ten… これは労作。皇后の系統など、係累もある程度、書かれていて便利。でも、本当は全部の系統図もあって、その方がもっと遠くまで辿れて、よい場合もあるかもしれない。
2014-09-14 10:11:48五節句
五節句。人日(じんじつ)(正月7日)、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(しちせき)(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)。11月11日がないのは1桁でないからではないか(16進法なら1桁だが)。3月3日は元々は上巳とか重三(ちょうさん)と呼ぶ。
2014-09-14 08:01:50@y_mizuno 11が無いのは、『易経』繋辞上伝「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十」「九八七六の筮竹の余策を得る。九を老陽とし、七を少陽とし、六を老陰とし、八を少陰とする」等から、九までの奇数を陽と考えている中国の思想によるものというのが一般的な解釈の様です。
2014-09-14 09:01:44はい、仮に16進法であれば等、冗談半分です。@murapyon71 11が無い…『易経』繋辞上伝「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十」「九八七六の筮竹の余策を得る。九を老陽とし、七を少陽とし、六を老陰とし、八を少陰とする」等から九までの奇数を陽と考えている中国の思想
2014-09-14 09:07:51重陽の節句と雨月物語
上田秋成、(いまの)皇居に隣接する梨木神社の近くに住んでいたらしいです。何か関係あるかもしれません。 @sayo_ka 雨月物語に、ありましたね @murapyon71
2014-09-13 23:54:36失礼、今の(皇居ではなく)京都御所、という意味です。梨木(なしのき)神社。@sayo_ka 上田秋成、(いまの)皇居に隣接する梨木神社の近くに住んでいたらしいです。何か関係あるかもしれません。 @sayo_ka 雨月物語に、ありましたね @murapyon71
2014-09-14 08:05:06中世は暗黒時代なのか
ヨーロッパの中世も、暗黒時代だとするのは、今の文明から見てのことであって、何もなかったわけではない。実際に中世ヨーロッパの見直しもされている。科学史でも、例えば力学で中世のビュリダンの功績が知られる。各種の論争もそうだし、神学の体系化、スコラ学だって一段階として重要だったと思う。
2014-09-14 09:43:42「古典古代(還るべき心のふるさと)」と「近代(自分たちが生きている新しい時代」のあいだにある、真ん中の時代だから「中世」。20世紀に入って、「暗黒の中世」への見直しが始まります。 twitter.com/y_mizuno/statu…
2014-09-14 10:15:09