「重陽節句」の歴史からアブナイ研究まで
「中世」と「近代」のあいだを「近世」という時代に区分したり、「近代化の時代」「近代移行期」etc. と呼んだり。いずれにせよ、物理的な時間を質的な時間で区切ること、これすなわち歴史を研究すること。
2014-09-14 10:18:06歴史学と考古学の間
@y_mizuno @murapyon71 横槍失礼します。「書き記すことのできなかった時代」の文明については、遺物によって推測できる以上のことは何であれ「断言できない」、というのが学術的立場ではないでしょうか。
2014-09-14 09:28:31なるほど。でも断言できないと断言することは余り学術的でないとも思えますが^^; @ochagashidouzo「書き記すことのできなかった時代」の文明については遺物によって推測できる以上のことは何であれ「断言できない」というのが学術的立場ではないでしょうか。@murapyon71
2014-09-14 09:32:09横入り失礼。歴史はあくまでも書かれたものの分析、遺物は考古学という範疇。それぞれの方法論が補って過去がわかる。これは僕には?→@y_mizuno: なるほど。でも断言できないと断言することは余り学術的でないとも思えますが; @ochagashidouzo@murapyon71”
2014-09-14 09:51:41なるほど。御意です。確かに、歴史学と考古学は混同してはいけない。当然かと。さて、では伝説・口承・神話などはどちらにも入らないとお考え?どう位置付けを? @Historyoflife 歴史はあくまでも書かれたものの分析、遺物は考古学という範疇。それぞれの方法論が補って過去がわかる。
2014-09-14 09:59:03@Historyoflife 例えば古代伝説からトロイ遺跡を発掘したシュリーマンの例もあります。日本でも出雲で古代遺跡が発掘され、神話の一部が裏付けられています。その創作部分と、そうでない部分の腑分けも学者の仕事だと定義することは出来ませんか?まぁ何でも否定するのも仕事ですが^^
2014-09-14 10:04:30ここで申し上げたかったことは、学術的にはもう分かっている、とは私は思ってない、ってことです。@Historyoflife これは僕には?→@y_mizuno: でも断言できないと断言することは余り学術的でないとも思えますが; @ochagashidouzo @murapyon71
2014-09-14 10:15:11@y_mizuno つまり証明できない事については「と、推測します」止まりになってしまう、ということです(^_^;)例えばこれが小説のネタの場合でしたら、推測から想像をたくましくして風呂敷を広げるのは手法として有りなのですが、学術的なアプローチは必ず「証明」とセットになりますので
2014-09-14 10:18:45そう思います。他方で、仮説検証型の研究もありえて、現在の知識と矛盾しない範囲で、何等かの論理的論拠で仮説が可能なら、その研究も可能では?@ochagashidouzo 推測から想像をたくましくして風呂敷を広げるのは手法として有りなのですが、学術的なアプローチは必ず「証明」とセット
2014-09-14 10:23:49@y_mizuno 研究は続けられてる限りは新発見が今後無いとは、これもまた「断言」できませんし、新発見なり新解釈が現れれば、歴史認識はアップデートされます。ただ、現時点で証明できないことは、現時点では断言もできない、ということです。
2014-09-14 10:20:37御意です。でもそこでストップしたくないというところです。@ochagashidouzo 研究は続けられてる限りは新発見が今後無いとは、これもまた「断言」できませんし、新発見なり新解釈が現れれば、歴史認識はアップデートされます。ただ現時点で証明できないことは現時点では断言もできない
2014-09-14 10:25:10アブナイ物理学
私は今まで(物理分野では)どちらかというと通常科学的な、パズル解き的な、予測できる研究しかやってこなかった。だが今回の物理学会で初めて、既存理論と矛盾しない範囲で新仮説を考え、その検証実験を提案し、その実験結果を発表する。かなり冒険。だがそういう研究もありうると思うようになった。
2014-09-14 10:32:24こういうアブナイ研究(結果が予測できず、肯定も否定も分からない研究)を物理分野ではdiscovery physicsと呼んでいる。どちらかというと、山師的な研究だ。でもヒッグズ粒子の発見的研究だってそうだった。発見できない(ピークとしては見えない)可能性もあったと私は思っていた。
2014-09-14 10:39:16私も山師的研究者です、すみません... “@y_mizuno: こういうアブナイ研究(結果が予測できず、肯定も否定も分からない研究)を物理分野ではdiscovery physicsと呼んでいる。どちらかというと、山師的な研究だ。でもヒッグズ粒子の発見的研究だってそうだった。”
2014-09-14 10:57:00それが意外に面白いのでw私もすみません^^ @muegamma 私も山師的研究者です、すみません... @y_mizuno: こういうアブナイ研究(結果が予測できず…)を物理分野ではdiscovery physics…どちらかというと山師的な研究…ヒッグズ粒子の発見的研究だって
2014-09-14 11:00:38聖書の研究について
私門前の小僧(笑。テキストクリティークしかないと思います。例えば新約聖書の史的研究がいい例で。テキストとその異本から、その前史を探る。もちろん絶対確定というわけではありませんが過程は重要@y_mizuno: では伝説・口承・神話などはどちらにも入らないとお考え?どう位置付けを?
2014-09-14 10:43:22なるほどですね。過程は重要。@Historyoflife テキストクリティークしかない…新約聖書の史的研究がいい例で。テキストとその異本から、その前史を探る。もちろん絶対確定というわけではありませんが過程は重要 @y_mizuno伝説・口承・神話などはどちらにも入らない?位置付け
2014-09-14 11:03:11@y_mizuno 田川建三氏の書物としての新約聖書など読むと面白い。ネストレアーラントの仕事すごい。これと死海文書などから新世界が。ー精密なテキストクリティークは日本ではまだまだと思いますが、方法論として不可能ではないでしょう。文字の世界からどう外挿するかということでしょうか。
2014-09-14 10:48:10メモ。田川健三『書物としての新約聖書』(勁草書房,1997/2/1)amazon.co.jp/dp/432610113X
2014-09-14 11:24:31旧来の常識に固執せず(自分もそうなり勝ちなので)、論理的思考にとどまらず、例えばインダクションとディダクションに加えて発見法的なアブダクションの可能性も常に考え、既存の知識からどう外挿し発見するか…。@Historyoflife 文字の世界からどう外挿するかということでしょうか。
2014-09-14 11:14:12メモ。新約聖書の原典は、(実はラテン語ではなく)当時の奴隷の言葉だったギリシャ語で書かれていた。なのでそれが原典。ギリシャ語版の聖書をネストレ・アーラント版と呼ぶらしい。bible.or.jp/online/foreign…
2014-09-14 11:21:11.@y_mizuno @Historyoflife 新約聖書と言えば、写本は沢山あって本文批判などの手法は発達しているのに、同時代のネロ帝のような歴史的資料が見当たらないのは何故でしょう?
2014-09-14 11:40:50