中村三春『修辞的モダニズム』読書メモ集
- arishima_takeo
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@a_harry_tuttle そ、そうだったんですか…(笑)。なるほど。まあ、多様な研究者がいることは素晴らしいことなので、特に文句があったわけではありません。
2014-09-26 22:34:02@arishima_takeo 脇から失礼いたします。跡上先生とのやりとり納得しつつ拝見しましたが、補足的に申しますと、中村先生も拙著への最近の書評では「自然主義リアリズムと呼ばれるものも含めて、日本近代文学はどこを切っても、不定形性・未確定性・流動性の塊なのではないか」と書き、
2014-09-26 21:44:13@arishima_takeo (続)『物語の論理学』では「物語批判」的な立場からの転回が表明されています。言い換えれば、管見では中村氏自身も(相対的にラディカルな)「表象=代行批判」的様式の評価から、むしろ物語それ自体の〈変異〉性を捉えるという立場に転じているように感じます。
2014-09-26 21:46:07中村三春って今そんなことになっていたのか。だが、理解できる方向だな。国家を表象(「想像の共同体」)だと批判しても、それで国家がなくなるわけではない。国家は表象とは別に物質的な基盤をもっているからだ。権力を批判しても暴力はなくならない、という萱野稔人的テーゼをきちんと受け止める事。
2014-09-26 22:03:57私なりの言い方をすれば、物語批判をやっても人は物語を手放せない、なぜなら人は弱いから。そのとき問われてくるのは、自分が元気になったり、他人を癒したり、多くの人と一緒に仲良くできる物語をどう構築していくのか、を考えるプラグマティックな物語論なんだろうと思う。
2014-09-26 22:08:19…と、まぁ表象批判の悪口を云った訳だが、だからといって、私たちが口にする「暴力」や「実体」や「物質」なるものは、殆ど既に表象に上書きされて認知しているのだとも私は思っている(「想像の独占者」en-soph.org/archives/16349…)。こうなるとカントっぽくなるが仕方ない。
2014-09-26 22:13:38簡単にいえば、巷でいわれている「リアル・ポリティクス」なるものは「リアル・ポリティクスという表象」でしかない。その「リアル」とは往々にして想像された「リアル」だ。しかし、だからといってリアル・ポリティクス(とその論理)が現存しないわけでもない。この辺のバランス。
2014-09-26 22:17:01