逆なんだ。勉强もしていないのに同じことが考えられたのではなく、私の考えていることというのは根本的には変わっていなくて、進×心理学やら認知×学やらっていうのは幼い私が「理論武装」するために見つけた格好の道具だったんだ。
2014-10-12 03:44:26まず文体が痛くて嫌いだし、遺伝と環境のことについて全く理解していないフシがあるけど(時期を考えれば当たり前だ)、それでも3年前の自分が、理念的には、今日の自分と同じ事を考えている。
2014-10-12 03:51:11もしこの、「加害者だって差別をしたくてしているわけではない」という一連の主張の全てが、「だから自分がいじめられていたのは当然の結果だった」という慰めのためのものだったとしたら。
2014-10-12 03:52:51理屈として、自分がそういう動機でそういう事を考え続けているというのはありそうだ、というのは理解出来るにしても、知覚出来ない。強烈に無意識の底に沈んでいるのか、最早原因は遥か彼方で結果だけが習慣として残っているのか、それともそんな因果関係は空想の産物なのか、判然としないけれど。
2014-10-12 03:56:01多分……私がこういう事を考えるのにある種の強迫観念を抱いているのは、「一体君のどこにそんなに問題があるのか分からない」と何回言われても一向に対人恐怖症が治らないのと無関係じゃない。気がする。
2014-10-12 03:58:17嫌な夢を見た、しかし内容が一向に思い出せない、そんな日がある。そういう日は大抵心が軽い。脳が何か嫌な記憶に処理をつけたのだろうと思う。思い出すことも叶わないけれど、しかし心が軽い、そんな日が。
2014-10-12 03:59:13私は広汎性発達障害を抱えていて、小さい頃の行動には、記憶が正しければ確実に問題があった。年齢を伴うにつれて、皮肉にも大嫌いなカウンセラー達が予言した通り、私は「普通」になっていった。それは同時に、私をいじめていたクラスメートの気持ちを遡って理解できるようになったことでもあった。
2014-10-12 04:15:45私の記憶には、現在の自分が見ると苛立つような自分しか残っていなかった。だから私がいじめられていたのは仕方がなかったと思うようになった。ここまでは何の問題もなかった。
2014-10-12 04:18:15次の段階に致命的な錯誤があった。ここで私は、「従って自分が今不幸なのは、自分が過去の自分と同じように他人を四六時中不快にさせているからだ」と考えた。これがよくなかった。
2014-10-12 04:20:30前に書いたように、私は既に普通の人間になっていた。今の自分が不幸なのと過去の自分が不幸なのは別の原因だということに気づいていなかった。
2014-10-12 04:22:14そして奇しくもこの時期は、性別に関する悩みが深刻な状態に陥っていた時期であり、躁鬱のような症状が激化していた時期であり、ともかく「人間は、自分の心を、自分の意思通りにすることができない」と無力感を募らせた時期でもあった。
2014-10-12 04:26:10性同一性障害の極めて軽症な部分から、「人間には自分の心をどうすることも出来ない」という考えが生まれ、同時に、過去の自分を見ながら「いじめられても仕方のないような行動をしていた」という考えが生まれ。
2014-10-12 04:28:50この二つを合わせると「自分をいじめていたクラスメートは、自分の行動を見ていたら不快になってしまったのであって、不快になってしまった心は私の躁鬱同様対処不能であるから、結果的にいじめになったとしても責めることは出来ない」という私の常日頃の考えが完成する
2014-10-12 04:30:37そしてこのような考えを「発見」した私は、その大きな発見の裏に、「過去の自分と現在の自分は違う原因で不幸になっている」という大事なことをおっことしたんだ。
2014-10-12 04:32:09放置されたのは、「現在の自分の不幸の原因」、則ち「圧倒的な実習量の不足によるコミュニケーション障害」。代わりに執られたのが、「私を蔑む人間は必然的である」という過去の自分を軸にした世界観。
2014-10-12 04:35:14不幸の原因が放置され、私はますます不幸を募らせ、解決策として、「私がどうやっていじめられたのかをより深く詳しく理解する」方向に乗り出した。なんとも野暮で私らしい。それはかなり成果をあげた。でも不幸が治らない。どうして!?2年も本を読んだのに!!
2014-10-12 04:37:13