「ブラ博物月報」 横濱歴史博物館「大おにぎり」編
なんてことを書いていたらお腹が空いてきたので、ご飯食べてきます。続きはまたのちほど。 pic.twitter.com/j6zTPu8tRh
2014-10-11 19:39:51企画展会場にはこのほか、炭化したあれこれが。これはトウモロコシ。伏見城城下町で出土という近世のもの。もう渡来していたのかという驚きが。大きさはベビーコーンよりやや大きい。どうやって食べたのか気になるところ。 pic.twitter.com/7vpqHhyg8Q
2014-10-11 22:15:10展示品の多くは、要するに黒焦げのおにぎりなわけだが、これを実験的に再現するのには意外に難しいこともわかったという。実験では、表が黒焦げでも内部に水分が残っているケースが多く、その場合はすぐ腐ってしまう。会場にはおにぎりのCT画像も。 pic.twitter.com/hZErLetN5x
2014-10-11 22:29:43この検証はまだ開始されたばかりだが、どういう条件下でこのようなおにぎりになるのかがわかれば、そのおにぎりの出自(具材の有無とか)や末路(おにぎりやおにぎりのあった場所がどんな最後を迎えたのか)なんてのもわかるようになるのかもしれない。 pic.twitter.com/oCjHAFMUZD
2014-10-11 22:32:10会場には考古学者・直良信夫の炭化米やコメにまつわるコレクションの展示も。いやだなぁ、要再校かぁ…(←なに仕事を思い出しているのだ)。 pic.twitter.com/AE2EmRoier
2014-10-11 22:40:49後半はコメの煮炊き(調理技術)についての展示。弥生時代の土器に残されたコゲから調理法を推測したところ、コメの粘りをとってパサパサにしていた可能性が。これは東南アジア的な食べ方で、となるとご飯は箸では挟めず、さじですくっていたのかも…。 pic.twitter.com/w3dwavJuRf
2014-10-11 22:48:02では、「お米はいつパサパサからもちもちになったのか?」——たしかにこれはおにぎりを考える上で、重要なポイントである。展示パネルによれば、古墳時代後期以降、粘りの強い品種に交替したという説があるらしい。 pic.twitter.com/YvmABqjmcF
2014-10-11 22:53:51だが、調理器具のターニングポイントは中世だ。古代末〜中世になると、鉄製品をまねた土製の釜や鍋が登場したという。土鍋+コメ、これはまさに日本的なコメの炊き方だ。もしかして、コメはこの時初めて箸で食べられるようになったのかもしれない。
2014-10-11 23:03:28写真は15世紀の土製の釜。一見地味な出土品だが、こんにちの我々がもつコメにまつわるアイデンティティは(弥生時代の稲作というよりはむしろ)パサパサからもちもちへの移行を決定づけた、この土製の釜の普及がもたらしたものなのかもしれない。 pic.twitter.com/d4dp9exao0
2014-10-11 23:07:19以上、横浜市歴史博物館で10/11〜11/24開催「大おにぎり展」の連ツイでした。黒焦げの出土品と土器が並ぶ、一見地味な展示です。だが、「パサパサからもちもち」とか「コメの塊とおにぎりの違いとは?」といった切り口を見つけると(続 pic.twitter.com/GZv6nPwiuh
2014-10-11 23:23:30地味な出土品がさまざまなヒントを語りかけてきてくれる。あたかも、出土品が突然、語り始めるような、その瞬間が非常におもしろい。その点で、新たな発見と驚きに富んだ企画展でした。 pic.twitter.com/E47Vgu5qv2
2014-10-11 23:26:20ながながとお付き合いありがとうございました。関連イベントも充実しているようなので、興味をもった方はぜひどうぞ。 rekihaku.city.yokohama.jp/kikak/detail.p… pic.twitter.com/1oZtMbca08
2014-10-11 23:31:24