日本語だと思う。日常的には。でも、言語学の扱う日本語のプロトタイプからはかなり遠い気がする。ここのズレにクレリカル(クレリカの民の考えること)に対しての無理解が生じている気もする
2014-10-25 20:58:44そう、そのとおりで、基本的に言語学で文法を扱うときは、あたかもその言語の文はその文法にしたがわなければならない、みたいに書かれるところがある
2014-10-25 21:02:23たとえば、これは「謎」談義の続きだけど、「オレ オマエ コロス」はそれでも日本語文のプロトタイプ(「は」がつく語はしばしば「を」がつく語よりも先行する)に依拠している。
2014-10-25 21:04:00なぜ形式的な場面で文法が必要かというと、文脈がまっしろだからなんだよね。文脈にあまりにも欠けている部分がおおすぎて、文法にしたがわない文章は、どのように解釈して文脈にあてはめればいいのかがわからない
2014-10-25 21:04:45文法的枠組みから生じる語順の認知が生じる。ということは「オレ オマエ コロス」(オレはオマエをコロス)も依然「文法的」である。
2014-10-25 21:04:51件のクレリカルはこれに対する提言と見て取れる。低レベルに話を続ければ、「オレ オマエ コロス」「オマエ オレ コロス」が違う意味に捉えられうるというのは日本語の文法的枠組みに依然依拠しているからであって、言語が文法から抜け出せていない証拠である。
2014-10-25 21:06:28「我々は文脈という風波に乗せてメッセージを送るわけだが、より正しく運ぶために我々は文法という名の船を編む。しかし、風波が実に正しく吹いてさえいれば、船なんていらないわけだが、それでも、我々はなお船を編もうとしたがる。実際に船を編む必要がないにもかかわらず」
2014-10-25 21:10:27これは、文法という慣習から生じる解釈の傾向だとおもうんだよね。文法に依拠しているといえばそうなんだけど、文法よりは文脈に依拠するはず。
2014-10-25 21:11:11@oka_iu_tcan いままでのクレリカは単語ごとに意味がわかれているからどうやっても認知上の語順は生じるけど、語順がないというのはつまり単語がないから認知上の語順を生じえない、という話でしたね
2014-10-25 21:18:24メッセージは雲なのか石なのか、そういうことだと思う。雲であれば風波はそれをそのまま導いてくれるが、石では沈む。雲には船は必須ではないが、石は運ぶためには船を編まねばならぬわけだ。
2014-10-25 21:21:57なぜ語順のない言語なんていう発想をしたかというと、文脈(ある状況へのイメージ)には語順がそなわっているわけではないからですね。「わたしはりんごをたべる」という文は、どうしても語順がそなわるけど、そこから解釈されるイメージには語順は必要ないので。
2014-10-25 21:25:20