丹生谷貴志ツイートまとめ(2014年10月)
重要ではあるのだろう「主題」ががっかりするような文で書かれていると感じる時、それが我慢出来ないことがあって、無論これは無駄な神経症であることは承知していても、結局僕は重要だと思われる「情報」や「主題」を読まぬままに放り出してしまうことになる。無益な癇癖。
2014-10-02 00:40:54言葉が何を語っているかよりもそれがどこにどんな様態で「浮かんでいるか、必死に係留を求めているか、係留を断念しているか等々」に神経が動いてしまうこと。無益な癇癖。
2014-10-02 00:46:35ソンタグが英語以外は認めないと発言したというウィキペディアの記載を見て、どこでがそんなことを言ったのか言ったとしたら彼女なりの主張を含んだ前後の文章があるはず、調べるがさしあたりは見つからない。まあ必死で探したわけじゃありませんが。
2014-10-02 10:12:26「軽蔑でモディファイしつつ深く共感せよ」という、文脈からみるとソンタグのものとも取れる一節がピンチョンの『ブリーディング・エッジ』にある。これまた確認すること。
2014-10-02 10:27:50いつも間抜けな情報欠落、D・F・ウォレスという新鋭小説家が「いた」ことを今さっき知る(46歳で自殺)。論理学の研究者でもあるときくと三浦俊彦さんみたいだが、ともかく処女作『ウィトゲンシュタインの箒』が訳されているが代表作らしい『Eternal jest』の原書を見栄で!注文。
2014-10-03 01:24:59ああ、さすが佐藤良明さんはすでにウォレスのラップ論を訳しているんですね。当たり前か。安かったので買う。ついでに中編『奇妙な髪の少女』訳が載っているらしい『ラブストーリー、アメリカ』という文庫、これまた送料込みで150円?!変な値段。
2014-10-03 01:33:02「うたがふな潮の花も浦の春」・・・と、まあ季節外れですが、この「うたがふな」の冒頭になんとなく圧される。芭蕉45歳の一句ということらしい。芭蕉は50で亡くなるから結構若い?勢いの人だったと言えるのか。さて。
2014-10-03 02:12:29度々言うように僕は小説を読む歓びに惑溺する資質を全く欠いていて、それを追って小説を読むことはしないし出来ない。何につけ根っから「愉しむ」という資質が欠落しているので、何かしれないメガマシンの断片を、その作動振りを拾うように探しているだけで、愛読家から見れば空虚な作業でしょう。
2014-10-03 02:32:09例えばマンフォードのように「都市」を一個のメガマシーンとして想定し、無論「人間たち」もチップとしてそこに配置されたものとして理解し、その産物もそのに応じて検索し、「絵画」やら「小説」と呼ばれるものも配置し、結果それぞれは優劣ではなく配置された場での機能振りによって判定される・・・
2014-10-03 09:19:52「小説」のようなものであれば、例えばB区画で機能する小説はC区画では不適応品、その逆も同じ。それが機能する区画を見誤らないこと。bという小説家は大方cという区画では機能不全品、その逆も同じ。稀にあらゆる区画で機能しあまつさえメガマシーン全体の機能を変化させてしまうチップも存在する
2014-10-03 09:31:19例えば最近Nという画家の作品がRという画家の作品と「似ている」と言われ不快を表明したが、これはそれぞれの作品の優劣ではなくそれぞれが機能している区画を見誤ったことの結果に過ぎない。この場合Nの作品の方が機能区画範囲が広いために生じた検証側の区画画定の視線の怠慢が問題になる。
2014-10-03 09:44:57・・・重要なのは結局、究極的に、「都市」というメガマシーンが「どこに浮かんでいるのか」の判定に関わる。要はライプニッツ都市か。しかし実際はライプニッツ自体「都市」に内在する「有限の」チップ以上でも以下でもない。
2014-10-03 09:50:38「都市」には機能不全点が存在するが「都市」はその機能不全を修繕し或いは囲い、糊塗しようとする。一方、チップの中には見出された機能不全点を修繕するかに見えて逆に不全を拡張させることを自身の機能とするかのようなものが存在する。そこに注視すること。
2014-10-03 10:16:54先日のソンタグの一節はキャンプ論の中にでてくるというお教えがありました。感謝。ちなみにソンタグの原文では「 a deep sympathy modified by revulsion.」ピンチョンはそれを「 by contempt」としています。記憶違いか敢えて単語を変えたか・・
2014-10-03 21:32:15岩波文庫の呉茂一先生訳『ギリシア・ローマ詩選』、勇壮に美しいピンダロスの「ピューティア祝勝歌」が載っていない理由は記されているが、結局そのためにも同じ文庫の『増補・ギリシア叙情詩選』は重複が多くても別に揃える必要・・・と言うか価値がある。
2014-10-03 21:45:31ピンチョンですらそんな瞬間があるが、アメリカ小説の翻訳付属やらの解説・評論を読むや忽ち作が色褪せて見え始めるのは何故なのか。解説は作を「時代のあれやこれや」で「語り尽くし」、作は忽ち「アメリカという問題地区」の「現勢」の構図に程よく納められた「文書」に変わってしまう感じになる。
2014-10-05 03:02:16一見して深奥な謎をどこの隅にも秘めているわけでもなく、誰によっても好き好きに過不足なく語られ消化され何はともあれ愛好を得もし、それでいてその受容の何もかもが「間違いなく間違っている」という驚異の確証(!)であるような作品を実現した者・・・例えばエドワール・マネのような・・・
2014-10-05 11:45:07「あたしたちはそこでドミニコ会連中の高尚なる妄念ってもんを見物出来るわけよ」「あら、いにしえのメレンゲ・ダンスのステップなのかしら?」・・・ピンチョンらしい小洒落た会話・・・言うまでもなくメレンゲはドミニカ、ハイチあたりのダンス。
2014-10-07 07:02:01堀田善衛『ゴヤ』について藤枝静男さんは、ともあれ労作に賛嘆しつつ「現実の悲惨さの中で後期ゴヤにおいて美と芸術の離婚が始まる」といった叙述を否認している。と言うか、堀田さんの「美」の概念の凡庸さ、ひいては「芸術」概念の紋切り型についての否認だろう。要は深刻ぶったソープドラマ。
2014-10-09 10:07:52以前も書きましたがバラード最後の『殺人!』『コカイン・ナイト』『スーパー・カンヌ』『キングダム・カム』の「主題」は或る意味しごく図式的に凡庸とも言えるが、僕らの生きる「現代世界」の本体が「図式的で凡庸」である限りにおいて正確に「予言的」である。
2014-10-09 10:16:16松浦寿輝『明治の表象空間』の手柄、国家的言説と文学言説が瓜二つであることの詳細な可視化。そして「国家機械」は機能不全をひたすら糊塗しようとし続けるが「文学機械」は機能不全の周囲に自滅を内包した血球を凝結させ続け、その膿の煌めきを僕らが「芸術」と呼んで来たことを可視化したこと。
2014-10-09 10:32:19一方絓秀実は日本的国体といわゆる「私小説」が「瓜二つ」であることを明示する。日本的私小説の或る性格・・・「私小説」が、「私生活」の機能不全にひたすら凝結するかに見えて実はその機能不全、崩壊を、倒錯した「文芸至上主義」によって「超越し」塗り固めてしまうことにあるということの明示・・
2014-10-10 00:33:38前も書いたがノーベル賞「候補の候補」の作家をスウェーデン大使館の会食に呼ぶということがあったらしい。石川淳さんは知らされずに会に呼ばれた不快を憤怒を以て書き、ルネ・シャールも「大使の秘書がいい女だった」と冗談めかしで皮肉っている。ていのいい人定だから当然だろう。今もやってるのか?
2014-10-10 05:30:45・・・サブカル=サブカルチャーではないことはさすがに知っていますが、投資・生産量・需要・受容、現在の「教養形成の本体性」から言って「サブカル」は地下に潜伏するどころか今や教養産業の中枢といってもいいのだから、「ハイカルチャー実質本体」を名乗ってくれていいのじゃないかと思います。
2014-10-10 05:57:18