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六年前、Port Bの公演で「ディクテ・フォーラム」というのがあった。三日かけて横浜を歩き回る無謀なプランだ。今日見た彼らの「横浜コミューン」には、その作品が直接反映されているわけではないが、礎になっていることは確かだ。一緒に横浜を巡ったことを誇りに思った。
2014-11-03 21:25:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
常に対象はあまりにも豊かで時間がいくらあっても足りず、一回の成果発表だけではカバーしきれないことがほとんどで、今後どう掘り下げていくのか、どう関わっていく(考えていく)のかが個人的なリサーチの課題。多くの人に感じた印象を直接的にではないにしろ受け取ってもらうのも大事。
2014-11-03 21:28:06![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
横浜コミューン終了。リサーチに参加させてもらいましたが、素晴らしい人と資料に出会うことができました。「横浜」も「コミューン」という言葉も以前とは違う響きをもっていて、体験した方の襞となってまた別のシチュエーションで今回のことが引っ掛かればいいなと思います!
2014-11-03 21:18:41![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そしてラストは黄金町へ、 [構成・演出] 高山明Port B「横浜コミューン」にぎりぎりで滑り込む事が出来ました。 pic.twitter.com/sTxspQNCo3
2014-11-03 21:10:06![](https://pbs.twimg.com/media/B1hAuUBCYAAzqzd.jpg:medium)
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Port Bの「横浜コミューン」を見る。インドシナ難民の方々は、映像では明らかにカメラを意識して決め顔をしてるし、会場でも客席を気にして会話をしていた。つまり俳優という自覚がありありとうかがえた。そこには演劇が成り立っていた。
2014-11-03 19:25:07![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
先月ヨコトリ@横浜美術館で高山明さんの作品の前を何の気なしに通りかかったらカンボジア語の発音でカンボジアの地名が聴こえてきた。黄金町でPort Bを観て、出演していた彼らと話す。12年前大学で在日カンボジア人のインタビューをしたが、演劇という形での参加はもっと彼らを輝かせている。
2014-11-03 19:22:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
高山明Port B《横浜コミューン》 インドシナ難民の人々が日本語の練習を一階でされており、それを二階からラジオを通じて聴きながら観るというもの。母国と日本の「間」にいる存在を、彼らのたどたどしい日本語を通じて浮かび上がらせる。
2014-11-03 19:11:56![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
会場を出ると、観客も「舞台」の中に巻き込まれていたことが明らかになる。この光景を見ると、ある層から切断された自分について考えざるをえなくなるし、都市の中でのふるまいについて考えてしまう。都市を凝縮したようなインスタレーションだった。 pic.twitter.com/1gCShMwDQ1
2014-11-03 18:47:57![](https://pbs.twimg.com/media/B1ggMChCYAALyFC.jpg:medium)
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他方で「ひとつの周波数につき一組の会話しか聞こえない」という演出があるからこそ、参加者は眼下で繰り広げられる対話に聞き入ろうとする。ある対話の音声を聞いているとその周囲の声がぼんやりと耳に入り、ひとつを選ぶということはほかのすべてを切り捨てるということなのだと気づく。
2014-11-03 18:44:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
つまり、参加者は「舞台」を俯瞰しながら、常に何かを聞き逃していることになる。これはショッキングな演出だった。参加者は都市のマイノリティに出会えると思って会場に足を運ぶが、決して出会うことができないということも同時に明らかになる。 pic.twitter.com/LqdjzIhpPg
2014-11-03 18:35:03![](https://pbs.twimg.com/media/B1gdPKACAAE4fO0.jpg:medium)
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全6組の都市のマイノリティたちの対話は、「日本」や「日本語」の枠組みを揺さぶる刺激的なものだ。ただし、リアルタイムで進行する会話のすべてを聞くことはできない。任意のチャンネルに合わせると、一組の会話だけがイヤホンから流れてくる。 pic.twitter.com/TwjrbKyv0J
2014-11-03 18:31:11![](https://pbs.twimg.com/media/B1gcWXWCcAA1jw7.jpg:medium)
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上演が終わったようなので、Port Bの『横浜コミューン』について。日本語教室を模した「舞台」が見渡せる小部屋で、携帯ラジオを通じてインドシナ難民と横浜・寿町の住民との生の対話を聞く、という体験なのだが、ひとつの周波数につき一組の会話しか聞こえないという制約がキモになっていた。
2014-11-03 18:28:47![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
映像では皆難しい顔で無言で、ライブで聞く会話もシリアスなものが多く、でも幕間?に客席に顔を出して知り合いを見つけて雑談している様子は結構軽妙な人柄だったりして、なんとも複雑
2014-11-03 17:53:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
選局してゆくときに一瞬誰の声が聞こえているのかわからない。その面白さをまた味わいたいとおもう一方で、いまこの対話を見捨てて他の対話をきこうとする自分の「消費」感覚にいたたまれなくなる。カンボジアの夜の暗さと月の明るさのこと。丸い月の形打ち消す所作。よく動く手の人。
2014-11-03 17:49:51![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
高山明/Port B。これは新しいリップシンク論。単に音と絵をシンクロするためでなく、誰かを探し当てるための方法。イヤホンから、ちっ、ちっと微かな音がして、それは遠い人の手元で弾かれているページの端だった。こんなに愛しい方法がありえるなんて。
2014-11-03 17:42:28