前原昭二『記号論理入門』

前原昭二『記号論理入門』の勉強ログです。
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ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

前原本3章では、天下りに真理表を与えるのではなく、証明可能性概念を用いた「基本性質」によって命題の真理値を定義し、そこから真理表を導き出す順序になっている。

2014-11-03 15:19:44
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

「真・偽」という語があるとどうしても先入観にミスリードされるので、一度これらの語を一切使わずに議論を書き直してみる。「真の命題のクラス」のようなものを想定し、そのメンバーを「プレミアム集合」とでも名付ける。

2014-11-03 15:20:06
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

基本性質(I)は、「証明可能な命題はプレミアム命題である」。対偶で表現すれば「プレミアム命題でない命題は証明不可能である」。ただし、逆にプレミアム命題が証明可能かどうかについては何も言っていない。

2014-11-03 15:20:43
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

基本性質(III)により、「命題Aの真理値は偽である」は「命題¬Aはプレミアム命題である」と言い換えられ、さらに¬Aは「A→人」の略記であることから、「Aは偽」とは「A→人はプレミアム命題」の略記である、と割り切れる。

2014-11-03 15:21:11
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

さらに、p82の(A)「各命題には、それぞれたかだか1つの真理値しか対応していない」(矛盾律)は、「AとA→人がともにプレミアム命題になることはない」と言い換えられる。このように言い換えて、4章§6の「(論理式でなく)命題の真理値だけで無矛盾性を示す議論」を書き直してみる。

2014-11-03 15:21:51
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

まず→導入により、「人→人」は証明可能である。したがって基本性質(I)から「人→人」はプレミアム命題である。これと矛盾律(A)から、「人」はプレミアム命題ではない。再び(I)(の対偶)から「人」は証明不可能である。おわり。

2014-11-03 15:22:17
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

@y_bonten 誤字った、「プレミアム集合」じゃなく「プレミアム命題」だ。

2014-11-03 15:23:35
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

同じことだが、矛盾律と基本性質(III)から分かることを切り出すと、「A→人が証明可能ならばAは証明不可能」。真理値に関する信念である矛盾律(A)が、基本性質(III)を介して証明可能性に制限を加えているわけだ。ここでAとして「人」を選べばいい。

2014-11-03 15:36:38
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

このように「真・偽」という語に隠蔽された真理値概念を透明化してみると、矛盾律がいかに証明可能性概念に対してズケズケと踏み込んでゆく大それた仮定であったかが分かる。

2014-11-03 15:44:22
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

@y_bonten ここも訂正「(III)を介して」→「(I)を介して」。「偽」の定義として(III)も関連しているけれども。

2014-11-03 15:47:11
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

以上のような「命題の真理値の基本性質」や矛盾律を軽率に仮定することへの反省から、4章では「命題の真理値」とは別に「論理式の真理値」を導入し、基本性質の「命題」を「論理式」に読み換えたものを(公理ではなく)「証明すべきもの」としてとらえ、そこから演繹の無矛盾性を導く。

2014-11-03 17:24:07
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

その証明の特徴は、「真理値の定義から」という断りのもと、命題の真理表とそっくり同じものが論理式の真理表として用いられていること。ここで当初疑問に思ったことは、そんなことをしてもよいのか?ということと、

2014-11-03 17:24:36
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

いっぽうで命題の真理表はもともと命題の真理値の基本性質から導かれているわけで、結局それを使ってしまっているのではないか?ということ。

2014-11-03 17:24:58
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

しかしこれは同じ勘違いから起因する疑問だった。おそらく論理式の真理表には根拠はなくて、ただ命題の真理表を剽窃したものであり、これを出発点に据え直して無矛盾性の証明をやり直したところに意義があるのだろう。

2014-11-03 17:25:43
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

3・4章を何度も読み返して、自分の理解に修正に修正を重ねてやっとここまで分かった(つもり)だが、変な方向に進んでいないか非常に不安。

2014-11-03 17:34:26
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

どんなに誉れ高い教科書も、読んでみなけりゃ何が起こるか分からない。読んでから勧めねばならんならんならん……

2014-11-03 18:30:09
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

前原本5章。A⇔B(本当は←と→を上下に重ねている)について。A⇔Bは(A→B)∧(B→A)の略記なので、これはA→BとB→Aの2つから導出できるし(ただの∧導入)、ここからA→BもB→Aも導出できる(∧除去)。

2014-11-04 12:06:32
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

するとAとA⇔BからBは導出できるし、BとA⇔BからAを導出することもできる(引き続いて→除去を施せばよい)。

2014-11-04 12:06:55
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

ここでの解説には「成り立つ」という語が多用されているが、どういう意味あいで使われているのか難しい。少なくとも、真理値が真であるという意味にとるのは得策ではないだろう。証明された命題として、あるいは仮定を背負った命題として「証明図に現れる」という感じか。

2014-11-04 12:07:12
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

「A→B」が「A∨B」や「A∧B」と何らレベル的に変わることのない、単なる複合命題というオブジェクトであるという理解は不可欠だと思うんだけど、まっさらな状態で前原本を読むと、その点については遠回りをしてしまわないだろうか。他人の心配ばかりしている。

2014-11-04 13:06:00
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

前原本5章、A⇔BのA,Bは(論理式でなく)命題であることに注意。例えば「7>3である」と「5は素数である」は同値。ヘンな感じがするが古典論理では断固同値。

2014-11-04 16:31:02
ぼんてんぴょん(Bontenpøn) @y_bonten

「教科書を独学するのでなく講義を聴く意義は、こういう話が聴けるところにある」みたいなのってあると思うけど、前原本はそういう話が本に書いてあるという点では抜群に尊い。いろいろ文句も付けてるけれども。

2014-11-04 20:59:37