貨幣論

岩井克人『貨幣論』1998,筑摩書房,文庫版 1991春~1992冬まで季刊誌『批評空間』にて8回にわたって連載された論文「貨幣論」の改訂版。 読んで気になった個所の引用と感想と疑問
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マルクス『共産党宣言』より ブルジョア階級は恐慌を、なにによって克服するか?一方では、一定量の生産諸力をむりに破壊することによって、他方では、あたらしい市場の獲得と古い市場のさらに徹底的な搾取によって。つまりどういうことか?つまりかれらは、もっと全面的な、もっと強大な恐慌を(続)

2014-10-19 17:17:33
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(続)準備するのであり、そしてまた、恐慌を予防する手段をいっそう少なくするのである。

2014-10-19 17:18:33
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マルクス『資本論』「価値形態または交換価値」より 諸商品は、それらの使用価値の雑多な現物形態とは著しい対照をなしている一つの共通な価値形態ーー貨幣形態をもっているということだけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。しかし、いまここで(続)

2014-10-19 17:51:08
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(続)なされなければならないことは、ブルジョア経済学によってただ試みられたことさえないこと、すなわち、この貨幣形態の生成を示すことであり、したがって、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展をその最も単純な最も目立たない姿から光まばゆい貨幣形態に至るまで追跡すること(続)

2014-10-19 17:54:29
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(続)である。これによって同時に貨幣の謎も消え去るのである。

2014-10-19 17:55:01
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(承前)岩井克人による解説 ここでマルクスの言う「商品の貨幣形態」とは、どのような商品も貨幣と直接に交換されなければ価値として実現しえないという事実のマルクス的ないいまわしである。これは資本主義社会に生きている人間にとってはあたりまえすぎるほどにあたりまえのことである。(続)

2014-10-19 18:00:59
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(続)そして、マルクスによれば、彼以前のブルジョア経済学はそれをあまりにもあたりまえのこととして、わざわざ説明する必要を認めなかったというのである。だが、まさにこのあたりまえの事実があたりまえでない説明を必要とするのだとマルクスは主張する。なぜ商品は貨幣と交換されることに(続)

2014-10-19 18:03:37
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(続)よってしか価値を実現できないのかという問をみずからに発し、それにたいして、商品の価値形態の発展という弁証法的な形式のもとで答えを与える試みーーそれが、マルクスのいわゆる「価値形態論」である。マルクスは、それによって「貨幣の謎」を解消すると宣言している。(終)

2014-10-19 18:06:06
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わからない。 しいていうなら、 「商品の価値形態はナゼ貨幣形態なの?」という問いに対し、商品の価値形態の発展のもとで答えを出そうとする試み が、弁証法的であるということには納得できる。ま、それにしたって価値形態の発展ってなにって話ですよ………( ´Д`)y━•~

2014-10-19 18:12:26
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岩井克人『貨幣論』より 『資本論』を一度も読んだことのない人でも、それが次のような文章から始まることだけは知っている。 資本主義的生産様式が支配的に行われている諸社会の富は、ひとつの「巨大な商品の集まり」としてあらわれ、ひとつひとつの商品は、その富の基本形態としてあらわれる。

2014-10-26 13:26:28
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岩井 ここでマルクスのいう「商品の集まり」、いや「商品の世界」とは、人間の欲望の対象としての使用価値の雑多な集まり、すなわちたんなる「モノの寄せ集め」を意味しているのではない。モノは孤独に転がっていてもモノであるが、商品は孤独のままでは商品ではない。

2014-10-26 13:37:41
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マルクス 商品の価値対象性は、どうにもつかまえようのないしろものだということによって、マダム・クィックリーとは違っている。商品体の感覚的に粗雑な対象性ちは正反対に、商品の価値対象性には一分子も自然素材は入っていない。それゆえ、あるひとつの商品をどんなにいじりまわしてみても、

2014-10-26 13:53:56
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(続)価値物としてはあいかわらずつかまえようがないのである。とはいえ、諸商品は、ただそれらが人間労働という同じ社会的な単位の諸表現であるかぎりでのみ価値対象性をもっているのだということ、したがって商品の価値対象性は純粋に社会的であるということを思い出すならば、価値対象性は

2014-10-26 13:58:07
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(続)商品と商品との社会的な関係のうちにしかあらわれえないということもまたおのずから明らかである。 (引用終)

2014-10-26 13:59:34
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商品が他の商品と社会的な関係を持っており 「使用対象〔モノ〕の価値としての規定は 言 語 と 同 じ よ う に 人間の社会的な産物」にほかならないというマルクス。 この「言語と同じように」がわからん、どのへんがどのように言語と同じように、と言っているのか、私はさっぱりわからん…

2014-10-26 14:02:22
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岩井 古典派経済学はただ無邪気に貨幣に対して商品世界の単なる「表象」という役割をあてたわけではない。その背後には、この世界からすべての幻想をはぎとろうとする18世紀的な啓蒙主義の情熱がひかえている。そして、その情熱による攻撃の最大の標的となったのが(中略)重商主義者たちである。

2014-10-26 15:11:08
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(続) なぜならば、古典派経済学者たちにとっては、貿易差額がもたらす金銀の流入によって一国の富の蓄積をはかろうとする重商主義とは重金主義の一変種にすぎず、重金主義とは(中略)金銀そのものを唯一の富としてあがめたてるたんなる呪物崇拝にすぎないと考えられていたからである。

2014-10-26 15:14:48
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岩井 ところでマルクスは、全体的な価値形態Bから一般的な価値形態Cへの「移行」を無事すませたあとは、ただちに戴冠式をとりしきることになる。(中略)最終的に「金銀は生来貨幣なのではないが貨幣は生来金銀である」というおごそかな宣言とともに戴冠式は終了する。 なんかマルクスかわいい

2014-10-29 19:24:31
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無限に循環する貨幣形態(という価値形態)において、社会化する主体(全体化された相対的価値形態)と社会化される客体(一般化された等価形態)という役割を同時に果たしている存在が、貨幣なのである

2014-11-10 20:49:30
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貨幣の流動性に対する人々の欲望により、あわれ崩れ去ったセーの法則 世の中、買いがあれば売りがあるというのは誤り。風が吹いても桶屋は儲からないってばよ

2014-11-18 00:04:19
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「モノの次元の不等価交換を、価値の次元の等価交換の装いのもとで、そっくりそのまま未来に向けて先送りしてしまおうと思っている」からこそ貨幣による交換は可能となる

2014-11-18 13:08:25
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貨幣は時間である、と結論づける岩井克人の論理展開には、いささか許容限度を超える飛躍がある気がするが、結論自体のキャッチーさに抵抗できない

2014-11-18 19:24:23
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下方への不均衡累積過程(≒デフレスパイラル)に対しては、労働者の貨幣賃金引き下げへの抵抗という粘着性があるが、上方への不均衡累積過程(インフレ的熱狂、ハイパーインフレ)に対しては歯止めをかけるものがなにもない

2014-11-18 19:40:16
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まだ読んでいる『貨幣論』岩井克人 商品交換の場としての市場においては、人類は「余剰価値」の創出という原罪をいまだに知らず、貨幣は無限に拡大していく価値の運動体としての「資本」へと転化することができないとマルクスはいうのである。

2014-12-01 18:06:09
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(続)貨幣が資本へと転化するためには、それゆえ、「われわれの貨幣所有者は、価値の源泉であるという特別な性質をその使用価値そのものがもっているような一商品を、つまりその現実の消費そのものが労働の対象化であり、したがって価値創造的であるような一商品を、運よく流通の場で、市場で、(続)

2014-12-01 18:10:28