鹿目まどかの「決断」に関する否定的意見

まどマギ本編終盤におけるまどかの契約についての、私の考えです。
16

はじめに

ニルコア Neil Core @neil_core

鹿目まどかとまど神様、まどマギ本編(TV版)の結末に関する私の考えを久々に書いてみようかと思います。私はまどマギファンの中でも比較的強めの結末反対派、まど神様アンチだと思います。

2014-12-14 04:23:30
ニルコア Neil Core @neil_core

私の考えの根っこの部分にあるのは、「家族や友達に愛されて幸せに生きてきた14歳の女の子が、全ての魔法少女達のために死よりもおぞましい永遠に身を投じないといけないのか」という問いです。私の答えは断じてNOです。

2014-12-14 04:24:26
ニルコア Neil Core @neil_core

理由…まどかはまだ遊んでいていい子供であり、私自身もできることなら遊んでいたい人間だからですね。私が失った幸せをまどかが自分から手放すことが許せない、というエゴイスティックな自己投影です。『リトルバスターズ』で謙吾が理樹や鈴を見る視線に近いものがあると思います。

2014-12-14 04:25:57
ニルコア Neil Core @neil_core

この問いに関して、 (1)何故まどかだけなのか?(=さやかやほむらの悲劇は許容できるのか) (2)まどかの意思を尊重すべきではないか? という問題があるので、それに答えていきます。

2014-12-14 04:26:48

論点1

ニルコア Neil Core @neil_core

(1)何故まどかだけなのか? 辛い目に合ってほしくないのはまどかだけです。それは彼女の作中での基本的な立場が魔法少女ではなく普通の少女であったことに因ります。序盤から過酷な物語を期待されており、また家族の描写もない、さやかやほむらとは違います。

2014-12-14 04:28:24
ニルコア Neil Core @neil_core

何故『まどか☆マギカ』という作品があれ程注目を集めたか。それは、明るく楽しい魔法少女モノと想像されていた「にも拘わらず」、マミさんが無残な最期を遂げたからです。まどかも普通の少女だった「にも拘わらず」、永遠に身を捧げました。だから悲劇性が増す訳です。

2014-12-14 04:29:09
ニルコア Neil Core @neil_core

魔女になった魔法少女達なんて知ったことではありません。彼女達はソウルジェムが濁り切った時点で(少なくとも人間としては)死んでいます。死者のためにまどかが犠牲になる必要なんてありません。(まどかの契約による成果や、まど神様の「救済」の意味については今回は論じません)

2014-12-14 04:30:57

論点2

ニルコア Neil Core @neil_core

(2)まどかの意思を尊重すべきではないか? よくある意見ですが、二つの観点から私はこれを否定します。第一にまどかは14歳の未熟な子供であるということ。彼女の人生に関わる選択を、彼女だけに任せるのは無責任です。

2014-12-14 04:32:18
ニルコア Neil Core @neil_core

以前11話のまどかに関して、「子供の一人立ちは後押しするべきですが、家出した子供は連れて帰るべきです」というツイートがありましたが、本当にその通りだと思います。意思の強さは行動の正しさを担保しません。詢子さんがまどかのやりたいことを知っていたら、彼女を送り出したでしょうか?

2014-12-14 04:34:19
ニルコア Neil Core @neil_core

第二の観点として、「11話以降のまどかは本当にまどかか」という疑問があります。世界のために死よりも酷い境遇に身を捧げるなんてことが、正常な思考能力の持ち主にできる訳がありません。過酷な出来事の連続と劣等感のアンダーフローで発狂したまどかだからこそできた選択です。

2014-12-14 04:35:50
ニルコア Neil Core @neil_core

当たり前の話ですが、魔女になっていないということは絶望していないことを意味しません。家族を失った後の杏子の変化や、9話までのまどかの内面を想像すれば分かるでしょう。もしまどかがソウルジェムを持っていたら、何度魔女になっていたことでしょうか。

2014-12-14 04:37:22
ニルコア Neil Core @neil_core

まどか発狂の根拠となるのが、まど神様の「もう絶望する必要なんてない!」という台詞。死ぬこともできない永遠の時の中を生き続けて絶望しない。そんな意識の持ち主は人間なんて呼べません。カーズ様の方が余程人間らしいです。「まど神様は絶望できるのか?」という問いは真剣に考えられるべきです。

2014-12-14 04:38:54
ニルコア Neil Core @neil_core

叛逆の話になりますが、まど神様の異常性が端的に表れているのが彼女がほむらをお迎えする場面です。あの時、ほむらの周りに家族やマミさん、杏子がいたにも拘わらず、まど神様は家族達に一切の反応を示していません。寂しさという負の感情が欠落しているからでしょう。負の感情がないから絶望しない。

2014-12-14 04:40:43
ニルコア Neil Core @neil_core

まどかは元々結果を考えずに行動する子であり、契約時にも自分の運命に無頓着で、狂ったのは神様になってからという解釈もあります。しかし、私はさやかの死や救出失敗を踏まえた上で、QBに見せられた過去の少女達の犠牲の映像がトリガーになったと踏んでいます。「あの子達のように私も」って。

2014-12-14 04:42:27
ニルコア Neil Core @neil_core

以上二点の観点から、ラストの「まどかの意思」というものは、子供の我儘、又は狂人の戯言であり、尊重するに値しないと私は捉えています。未熟でも狂っていてもまどかはまどかなんだという意識を捨てられなかったのが、ほむらなんですけどね。

2014-12-14 04:43:31

愛する者と幸せを共有できない寂しさ

ニルコア Neil Core @neil_core

「読者は物語の最後で提示された答えをよく考えずに正しいと信じ込む」という現象は、バークリーの『毒入りチョコレート事件』が指摘する通りです。発狂という言葉は若干過激だったかもしれませんが、戦いの果てに主人公の少年が発狂する結末を迎えるアニメは有名ですよね。

2014-12-14 04:45:40
ニルコア Neil Core @neil_core

物語の始まりからのスーパーヒーローなら永遠に戦い続けるのも良いでしょう。しかし、普通の中学生であったまどかがそんな過酷な運命に囚われて、かつ、「笑っていること」。そこに得も言えぬ恐ろしさと寂しさを覚える訳です。 まど神様が泣いていたら、私はどんなに楽だったでしょうか。

2014-12-14 04:46:35
ニルコア Neil Core @neil_core

小説版まどマギの4話ラストを覚えているでしょうか。まどかは親友のさやかが自分に一言も相談せずに魔法少女になったこと、手の届かない存在になったことに、計り知れない寂しさを覚えます。あの感覚です。 私達が愛した鹿目まどかは、もう、いません。

2014-12-14 04:48:07
ニルコア Neil Core @neil_core

余談になりますが、『アイゼンフリューゲル』や『沙耶の唄』等、他の虚淵作品の結末でも、「愛する者と価値観を共有できない悲哀」は頻繁に描かれていますね。『沙耶の唄』で死んだ郁紀に寄り添う沙耶を見た耕司の絶望は忘れられません。 「耕司は、ついに自分が何も取り戻せなかったことを知った」

2014-12-14 04:57:11
ニルコア Neil Core @neil_core

私がまどさやにのめり込んだのは、「鹿目まどか」を取り戻すためでした。美樹さやかという個人・生前からの親友を愛するまど神様の姿に、人間としての鹿目まどかを見出したかった。そんな逃避ですね。実際さやかさえいれば、家族に会えなくてもいいなんて訳はありません。

2014-12-14 04:59:07

コンサートホールのさやかについて