仏教・神道の流れを俯瞰的にちょっと考えてみる
@Abraxas_Aeon 琉球は日本本土よりは朝鮮中国と関係は密だったでしょうね、台湾とも近いし。言語体系も本土の日本語とは違う。上野の東照宮なんて中国式ですね。日本にも中国式五重塔等は各所にありますね。日本仏教も由来は全部個々違いますね。最近行った天橋立の寺院も中国式でした。
2010-03-01 14:46:38@kassy_jpnつまり人間の思考様式はそう民族毎に変わりないということでもあるんですよ。図示もそうだし、死生観も違いより類似性の方が多いと私は常々感じますがね。
2010-03-01 14:49:12@olivlove 言語体系は全然違いますよね。沖縄本島だけじゃなく、沖縄諸島のどこだったか忘れてしまいましたが、言語文化について習ったときに、現地の方言を録音したものを聞いたことがありますが、何を言っているのか全然解らなかったという記憶があります。
2010-03-01 14:51:16那由他に同意。私は普遍意識を信じますよ RT @olivlove: つまり人間の思考様式はそう民族毎に変わりないということでもあるんですよ。図示もそうだし、死生観も違いより類似性の方が多いと私は常々感じますがね。 http://ow.ly/1cD2w @Abraxas_Aeon
2010-03-01 14:54:31@kassy_jpn @olivlove 一応、ユダヤ神秘主義とかグノーシス主義とかが表れてくる時期(原始キリスト教もほぼ前後していたかと思いますが)に、エジプトとインドの交易が認められていたということもあるんですが。仏教の禅とかは一神教でいうところの神はありませんけど。
2010-03-01 15:00:07@Abraxas_Aeon @olivlove セフィロトの樹、曼荼羅といった概念体系図の相似について言えば、エジプトとインドでの交易で相互影響があった可能性も捨てきれないんですね。
2010-03-01 15:04:09@Abraxas_Aeon そうですね、アラブ世界とインドの関わりも今かなり注目を集めてますね。それとインドとアフリカの関わりもかなり密だったでしょうね。例えばマダガスカル経由とか、色々あってでしょうね。あまり世界史では扱われない(欧米中心主義故に)ですがね。
2010-03-01 15:04:35大事な所で…欧米か!! RT @olivlove: @Abraxas_Aeon そうですね、アラブ世界とインドの関わりも今かなり注目を集めてますね。それとインドとアフリカの関わりもかなり密だったでしょうね。あまり世界史では扱われない(欧米中心主義故に)ですがね。
2010-03-01 15:06:02@kassy_jpn いやいや、そういうことではなくてw。たとえばユングのエピソードにマンダラの話がありますが、まるで意識していなかったのに実は自分の書いた絵がチベットだったかのマンダラとそっくりだったという話があります。仰るとおり我々が意識してしまった段階では意識になりますが。
2010-03-01 15:10:41@olivlove 仏教などの絵画的要素、読経音楽的要素、建築的要素、彫刻的要素は伝達時に、どこをどの程度持ってくるかは様々な理由が関わってそうですね。
2010-03-01 15:14:25@Abraxas_Aeonユング的な集合的無意識は普遍意識とは少し違うように私は思いますが。集合的無意識は群集心理なんかも含むけど、普遍意識はもっとグローバルな共通性があるんじゃないか。それは欧米の記号論と日本の江戸期の数学の共通性とかに見られるような。
2010-03-01 15:15:18@Abraxas_Aeonユングの集合的無意識はカナダのゴフマンの儀礼的無関心にちょっと近い感じも私はするんだけれど。
2010-03-01 15:16:55生・死という共通、遺伝子的共通を持ち、一生を通しての社会生活を営む中で、様々な理由付けから生まれた科学的説明可能な相似もあるかもしれません。科学的説明のつかないような相似に、「普遍的心象」を感じますが、完全な抽出は難しそう。 RT @olivlove: @Abraxas_Aeon
2010-03-01 15:20:45@olivlove すみません、たぶん「普遍意識」の定義自体がどのようになっているのかを聞いてなかったので、いささかウロボロスのように「思考形式」に元型的なものが見られるんじゃないかという見方に固執していたかもしれないです。ノイマンを読んでいるところでもあったので。
2010-03-01 15:22:02@kassy_jpn 永井均が言う根源的な社会契約(多分にヘーゲル的なものを私は感じるけど)、世界把握とロゴスということで言えば普遍的表象があるかも知れないですね。生死も儀礼性も社会一般通念とかもね。
2010-03-01 15:23:42@kassy_jpn 今日はこれから入不二さんの朝カルでの永井均テクスト読解の読書会がありますので、そろそろ議論を中断して支度をしたいと思います。とても楽しかったですよ。色々と疑問が沸いて来て面白いですね。
2010-03-01 15:25:24@olivlove ゴフマンの儀礼的無関心との関連はたとえば具体的にはどういう感じでしょう?ちょっと考えたことが無かったもので。
2010-03-01 15:28:13@Abraxas_Aeon 私は普遍意識は把握や把捉と関係あると思います。要するに無限とか世界とか宇宙とかの起源的イメージ像というか。ハイデガーの存在の配慮もそれに近いかも。今日はこれから新宿の朝カルに行きますので、又後日論議致しましょう。楽しかったですよ。
2010-03-01 15:28:34@Abraxas_Aeon 要するに個人が集団(マス)に関わる時、内的世界を一旦中断させて、他者存在一般に身を委ねるという事ですよ。「構え」るという事です。サルトルは「合わせる」と言ってます。サルトルは無意識否定論者でしたからユングに対する批判もあったでしょうけど。
2010-03-01 15:31:04@olivlove なるほど、それに関しては私も思うところがあるので、ちょっと考えてみたいと思います。ではまた。ありがとうございました。
2010-03-01 15:33:45