- quantumspin
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計算可能性理論においては、有名なチューリングマシンの停止問題が、ゲーデルの定理と関連し考察されている。計算可能性理論によると、あらゆるプログラムとデータが与えられたとき、このプログラムが有限時間で動作停止するかどうかを常に正しく解くプログラムは存在しない。
2014-12-27 15:56:54停止性問題の決定不能性定理を後期クイーン的問題の文脈で解釈すると、手掛かりと推論規則とからなるプログラムであり、全ての仮説入力に対し有限時間で真偽判断を行える探偵プログラムは存在しない、という事になる。ここでもやはり、プログラムの一部である、手掛かり自身の真偽は判断できないのだ。
2014-12-28 22:50:53この解釈を拡大すると、作品世界の全情報と、これを手掛かりとして真相を推理する神視点プログラムは、作品世界そのものの真偽判断を行えない、となり、やはりこれまでの議論と同じ結論に辿り着く。作品世界を隅々まで知り尽くす神視点人物であれど、作品世界そのものの真偽判断は行えないと思われる。
2014-12-28 22:58:14これら計算可能性の帰結とパラレルな関係にある不可能性と異なり、偽手掛かりに関する真偽判断の問題は、計算複雑性の範疇で処理されるべき問題とパラレルな関係にあると思われる。即ち、偽手掛かり問題とは、全手掛かりを総当たりで調べるには、時間がかかり過ぎて手間だ、という問題ではないだろうか
2014-12-28 23:10:31有限存在である探偵には、推理を組み立てるに必要十分な手掛かりを、効率的に収集する能力が求められる。探偵小説の登場人物たる探偵に許されているのは、精々400ページに収まる程度の捜査であり、しかもそのすべてを、読者にフェアに開示する、フェア・プレイが求められているのである。
2014-12-29 09:53:02あらゆる捜査を総当たりする時間は、探偵には与えられないばかりか、熱心な読者からは、そのような現場百辺的捜査は、探偵の仕事ではないと期待され、結果、探偵のしらみ潰し行為は心理的、制度的に封じられる。探偵の捜査行為にかかるこれら制約こそが、実は偽手掛かり問題の根底にあるのではないか。
2014-12-29 10:04:48だからクイーン始め多くの探偵小説作家が、偽手掛かり問題に頭を悩ませるのは自然な事であろう。しかしそれは、法月の言うような、探偵小説作家がゲーデル的問題に直面した、という類の話では恐らくない。探偵小説作家が偽手掛かり問題に頭を悩ませるのは、スマートな探偵小説と両立させる悩みなのだ。
2014-12-29 10:19:51斯様にフェア・プレイの理想は、リーダビリティ、あるいはエンターテイメント性とのトレードオフの関係にあると言えるのではないか。そして後期クイーン的問題を正面突破するとは、しらみ潰し的な捜査をフェアかつ簡潔に読者に開示し、尚且つ娯楽作品としての(以下略
2014-12-29 11:18:14