小説『ぼくと盤上の宇宙人』
- akane_soda
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「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 12 そして無数の定石を組み合わせ、大局的な構想を盤上に描く、それが布石だ。 その長い歴史が布石は隅から打つのが常識だと教えている。 その常識を無視した中央への四連打は、打たれた相手からすれば見くびられていると捉えられてもおかしくない。
2015-01-03 22:43:22「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 13 だけど、ぼくは直感していた。 ひろふみは本気だ。 おそらくこの布石は、研究会や練習対局で打ってもまともに相手をしてもらえないだろう。 この常識外れの布石の可能性を試すためには、ひろふみが本気であることを相手にわからせる必要がある。
2015-01-03 22:44:29「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 14 だからこそ、自分の命がかかったこの実戦で打ったんじゃないのか。 ひろふみが中央に四連打するいっぽう、宇宙本因坊は四隅を押さえた。
2015-01-03 22:45:00「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 15 対局はまだ始まったばかりだ。 右下隅にシマった白が中央に逃げ出そうとした矢先、再び場に衝撃が走った。黒番15手目だ。 「ツケ!? 」 思わず声が出てしまった。 なんという強情な手だろう。
2015-01-03 22:45:15「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 16 「ポン抜き三十目」 サト子が呆れたように漏らした。 序盤でのポン抜きは三十目の価値がある、という囲碁の格言だ。 全員の頭にその格言が浮かんでいただろう。 15手目のツケから、黒は白に1子ポン抜かせた。相手に三十目分与えたかのような格好だ。
2015-01-03 22:45:40「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 17 布石と今の状況だけ見るとまるで初心者の碁のようだ。到底有段者が打ったようには見えない。 ひろふみは何をしようとしているんだろう?
2015-01-03 22:45:58「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 18 「こんなんで勝負になるの? 」そう言ったサト子に、カネガエが「これは白が楽に勝てるんじゃないか」と返す。 宇宙本因坊は胡座をかいた足に片方の肘を突き、どこから取り出したのか手元の扇子を弄んでいる。
2015-01-03 22:46:19「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 19 余裕の表情で、口許には面白がるような笑みさえ浮かべていた。 白は隅を固める。黒は隅の地を荒らす。 50手まで進んだところで、ひろふみが石を打つ手を止めた。
2015-01-03 22:46:38「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 20 特殊な布石の影響もあるのだろう、現状は黒がやや悪い感じがする。 このままだとずるずると黒が負けてしまいそうだ。 ひろふみが髪の毛をいじり出す。謎の唸り声も始まった。 盤に顔を寄せ、読み耽っている。
2015-01-03 22:46:57「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 21 ひろふみの唸り声が上がいっそう高まった。頭をかきむしる。 ひろふみがいつもより長めの息を吐いた。 長考を終えたのか、呼吸が落ち着いたようだ。 碁笥に手を伸ばす。 石の澄んだ音が響いた。
2015-01-03 22:47:14「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 22 ツケコシ。 咄嗟に疑問が浮かんだ。 こんな手が成立するのだろうか? 長考して絞り出した苦心の一手だ。ギリギリのところではあるが、これ以外の手では負けるとの判断があったはずだ。
2015-01-03 22:47:43「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 23 だが。 改めて盤面を見渡す。 すると、最初の布石、カネガエがブラックホールと呼んだあの7の7四子が援軍となって働いているじゃないか。 ぼくは、ひろふみが未知の領域を踏破しようとしていることだけはわかった。
2015-01-03 22:47:58「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 24 ここからは戦いが始まる。 真剣で斬り合うような、接近戦だ。 宇宙本因坊はボリュームのある白髪混じりの癖毛に手を絡ませながら、目には昏い光をたたえていた。
2015-01-03 22:48:18「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 25 戦いはずっと黒がどこか破綻しそうだった。 一手ごとに危うい緊張感がつきまとう。 対する宇宙本因坊もどこか乱れた様子が窺えた。序盤の余裕ある態度は消えている。 読みの鋭さに精彩が欠けているように思えるのは、ぼくの気のせいだろうか。
2015-01-05 23:02:31「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 26 「宇宙本因坊様……」 サト子のか細い声が聞こえた。 ぼくが視線を向けると、サト子は唇をかみ、顔を落とした。 しばらく逡巡したのち、たまりかねたように小さくこぼした。 「宇宙本因坊様は、もうずっとエネルギーを取っていないの」 「えっ」
2015-01-05 23:02:48「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 27 サト子が何か重大な話を始めようとしている。 ぼくの喉がごくりと鳴った。 「なんでそんな」ぼくは先を促した。 サト子が抑えた声で語りだした。 「昔ね、宇宙本因坊様は地球人の子供を見いだして弟子として育てていたそうなの」 「さらったの? 」
2015-01-05 23:03:12「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 28 「親に捨てられた孤児だったと聞いてる。ずいぶん目をかけてたらしいよ。まるで我が子のごとくね。その弟子も最初こそ地球に帰りたがったものの、宇宙本因坊様を敬愛し、囲碁の腕を磨いていた」 サト子は少し息を継いで、後を続けた。
2015-01-05 23:03:28「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 29 「だけどある時、彼は宇宙本因坊様を裏切った。なぜだか理由は未だにわからないまま。で、無理矢理対局を挑んだのね。宇宙本因坊様は受けて立った。もちろん手を弛めたりはしない。本気で戦った結果……」 「まさか」
2015-01-05 23:03:56「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 30 「うん。その地球人の命を奪ってしまった」 「それ以来エネルギーを取るのを止めた? 」 「そう、らしい。信じられないほどのエネルギーの貯金が、今では殆ど無いんだよ。このままじゃ、宇宙本因坊様は……」 サト子の目に涙が浮かんだ。
2015-01-05 23:04:11「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 31 ぼくは対局中の二人に意識を戻した。 100手を過ぎただろうか。 中央はどちらの地でもないダメ場になりそうだ。
2015-01-05 23:04:35「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 32 ひろふみは最初の一手から始まり、その後も無理な手を打ち続けていた。 だが今、徐々にではあるがひろふみの無理が通ろうとしている。 ぼくは驚きを禁じ得なかった。
2015-01-05 23:04:49「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 33 それでも相変わらず薄氷を踏むような戦いであることには違いない。 どちらかが大きなミスを犯した途端、すべてが崩壊してしまうだろう。 ぼくの手はじっとりと汗ばんでいた。口の中がねばついて気持ちが悪い。
2015-01-05 23:05:24「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 34 目を離した瞬間に、ひろふみが細い糸を踏み外してしまうような気がして、視線をそらすことができなくなった。 ひろふみは細い道、細い道を進んでゆく。 二人が交互に石を打つ姿を、ぼくとカネガエ、サト子の三人は固唾を飲んで見守っていた。
2015-01-05 23:05:38「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 35 「カハッ」 突然、沈黙を破るように、宇宙本因坊が体を折り曲げた。激しく咳き込んでいる。 畳に鮮血が飛び散った。
2015-01-05 23:05:52「ぼくと盤上の宇宙人」第八章 36 「宇宙本因坊様っ! 」サト子が飛び上がるように駆け寄った。上体を抱き起こす。 「俺の……負け……だ」 宇宙本因坊が苦しげにうめいた。 カネガエが盤面を確認し告げた。 「175手、黒の中押し勝ち」
2015-01-05 23:06:13