「中世に対する3つの誤解」

http://togetter.com/li/77032 こちらのリストを見た大将が かつて誤解していた3つのことについて語ってくれました。
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岡島正晃 @ADLAHIR

そして勢いで、夕食まえに拝読した「ファンタジー作品と中世」(だっけ?)のまとめに関連して。議論そのものに俺から付け加えるコトはないんで、かつての俺が「へぇー!」と思った「中世に対する3つの誤解」を晒してみようかと思います。

2010-12-09 22:32:55
岡島正晃 @ADLAHIR

誤解その1「中世の騎士はプレート・アーマーなんか着てない」(笑)=さすがにコレは、最近じゃ誰もが知ってるでしょう。胸当てまで板金の鎧が登場するのは14c末で、すでにルネサンスの片足突っ込んでからであり、中世はチェイン・メイル全盛です。

2010-12-09 22:35:11
岡島正晃 @ADLAHIR

手足だけならもっと早くからあるし、胴体もサーコートの裏側に鉄板仕込んだモノならあったんですけどね。いずれにせよ、コレは日本人の「中世ヨーロッパ」のイメージが、時代的にあまりにも広いのが原因。

2010-12-09 22:36:25
岡島正晃 @ADLAHIR

誤解その2「中世とは“暗黒時代”ではない」=もともと「暗黒時代」という言い方は、近世の歴史学者が啓蒙主義に基づいてデッチ上げたモノ。現代の歴史研究家で、中世を「暗黒の時代」と考えている者は、恐らく皆無のはずです。

2010-12-09 22:38:14
岡島正晃 @ADLAHIR

実際中世のヨーロッパでは、とくに11c以降、水車と風車の本格的な導入、ゴチックをはじめとする建造技術の発展、運河の建造と治水など、多くの技術が花開いています。ことに13cは技術革新が目覚しく、「中世のルネサンス」と称されるコトすらあるのです。

2010-12-09 22:41:40
岡島正晃 @ADLAHIR

また機械工学のみならず、農業分野でも三こう農法がはじまり、畜力農耕にも大きな進歩が見られるなど、古代とは比べ物にならない進歩を遂げています。依然不安定要素は大きいものの、豊作だった年にはペストすら大した被害をもたらしていないコトからも、想像以上の栄養状態だったことが伺えます。

2010-12-09 22:46:01
岡島正晃 @ADLAHIR

誤解その3「中世ヨーロッパはキリスト教徒の世界」=確かにこの時代、ヨーロッパはキリスト教の支配下にあったのですが、それはあくまで名目上のこと。実際には、キリスト教とそれ以前の土着信仰が微妙に混じり合った、独自の宗教観で人々は生きていたようです。

2010-12-09 22:48:00
岡島正晃 @ADLAHIR

神を湛える大聖堂に、なぜ古代の森のモチーフや、異教の神のガーゴイルがあるのか? 煙突掃除人や皮はぎなどの被差別民が、それでもどこかで畏れられていたのは何故か? こういった問いからは、けっして「一面的ではない」中世世界人のメンタリティが垣間見えて、すこぶる興味深いものがあります。

2010-12-09 22:49:53
岡島正晃 @ADLAHIR

番外としてついでに言うなら、ペストの流行以前は地方によって入浴の習慣もあたし、都市も近世ほど不潔じゃなかったって説もありますね。要するに、我々が思うほど原始的ではなく、でも世界認識は混沌としていて、いろんなコトがビビッドだった時代、というのが、いまの俺の「中世観」なのです。

2010-12-09 22:52:40
ルピカ @lupicat

「煙突掃除人と握手をすると幸運が訪れる」という伝説は… 実はいろいろと深い意味がありそうですねぇ。

2010-12-09 22:57:10
岡島正晃 @ADLAHIR

@lupicat 握手に限らず、いろんな形で「幸運をもたらす」と言われていますね。これは古代ゲルマン人やローマ人にとって、煙突の下にある「かまど」が、大地の女神の秘所として神聖視されていたこと、また煤だらけの顔が冥界の霊を連想させることに由来すると言われています。

2010-12-09 23:02:00
岡島正晃 @ADLAHIR

@lupicat もちろんそうした、キリスト教以前の土着信仰に基づく認識は、思いっきり「異端」なんですが、すくなくとも庶民の暮らしのレベルでは、敬虔なキリスト者もそういう言い伝えを信じていた、と。なんか、クリスマスと正月をまとめて祝う現代日本人みたいよね(^^)。

2010-12-09 23:04:10
ルピカ @lupicat

@ADLAHIR 近所に教会が建てられて、ありがたい聖書のお話を聴きに行くようになっても、おばあちゃんのおばあちゃんが云っていたコトは実生活の中にしっかり根を下ろしている…というか「そういうもの」として受け継がれている。 という解釈をしましたっ

2010-12-09 23:08:51
岡島正晃 @ADLAHIR

@lupicat うん、それで正しいです(^^)。因みに、中世ヨーロッパの都市部では、すでに中世から現代でいう「号外」のようなモノが出されていたんですが、異常に多いのが「どこそこの村に狼憑きが出た」ってニュース。いやそれ、キリスト教的にはナシだからっ!(^^)

2010-12-09 23:11:39
岡島正晃 @ADLAHIR

興が乗ったのでもうひとつだけ。よく「無知蒙昧で残虐な中世人」の例に挙げられるのが、「都市での絞首刑を街中のひとが見物に来て、そこでドンチャン騒ぎをやらかしていた」という事実ですが、コレにも現代人の感覚では決して推し量れない、相応の理由があります。

2010-12-09 23:16:47
岡島正晃 @ADLAHIR

もともと、城壁に囲まれた中世の都市というのは、当時の人にとって「いつ命を失くすかわからない、森などの自然環境」と分断された、はじめての居住地でした。ゆえに人々は、そこで安寧のうちに暮すことができたのですが、一方で「なにか」が失われていったのです。

2010-12-09 23:18:51
岡島正晃 @ADLAHIR

かつて祖先が、気まぐれな自然に命そのものを晒しながら感じた、生と死への畏れ。人智を超えた殺生与奪は正しく恐怖の対象であると同時に、一種荘厳な畏怖の念をも抱かせるものだったのでしょう。でも、自然環境から切り離された都市には、その荘厳がなかったのです。

2010-12-09 23:20:59
岡島正晃 @ADLAHIR

元来、多くの宗教に残る「生贄の儀式」というのは、単に供物を捧げて神に何かを希うだけのモノではなかっとも言われています。集った信徒たちが、そこで「生と死の荘厳」を目撃し、(でも自分が死ぬのはヤだから)疑似体験する、そうした場としても機能していた、と。

2010-12-09 23:22:56
岡島正晃 @ADLAHIR

つまり、絞首刑をこぞって見物し、そこで「己が命あるを寿いでドンチャン騒ぎをする」というのは、遺伝子のレベルで受け継がれた人と自然との付き合い方を示すモノであって、単なる悪趣味のゆえではないのですね。

2010-12-09 23:25:46
岡島正晃 @ADLAHIR

この「生と死の荘厳に対する畏怖」を、宗教の学問では「左極の聖性」と言い、一部のキリスト教建築に身の毛もよだつ地獄の風景が描かれているのも、これに由来すると考えられているそうです。

2010-12-09 23:27:24
岡島正晃 @ADLAHIR

ちなみに俺自身は、この絞首刑見物のメンタリティを理解できた瞬間、中世の人々が見ていた景色が、ぱっと目の前に拓けたように思ったモノでした。同時にほんの一瞬、「そんな世界に住んでみたい」とも思ったのだけど、理性の時代の徒にはムリな話。だからこそ俺は、中世に惹かれるのかもしれません。

2010-12-09 23:31:10