テロ・デモでゆれるフランス、フランス思想専門家の内田樹さんのここ数カ月のツイート

興味深いのでフランスの記述の度続けます。
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2014-12-01

内田樹 @levinassien

上の指令なしでも戦争ができるのは、「公務」が何であるかが上位者からの指令によってではなく、個人のなかにすでに内面化しているからです。T・E・ロレンスもそうでした。シャルル・ド・ゴールもそうでした。ヨーロッパにはそういうエリートを育成する伝統があったということです。

2014-12-01 10:32:42

シャルル・ド・ゴール
Wikipediaシャルル・ド・ゴール(まとめ人追加)

2014-12-11

内田樹 @levinassien

戦後フランスで基幹産業が次々国有化されたのは「多くの経済エリートが戦中にドイツの占領者たちと協働して、不品行にも私腹を肥やした疑いをもたれたからだ」そうです。「ルノーの工場は、事業主ルイ・ルノーが1944年9月に利敵強力の疑いで逮捕された後、懲罰的に接収された。」(144頁)

2014-12-11 13:13:23
内田樹 @levinassien

戦後フランスでは官僚層はほぼ手つかずでヴィシーから第四共和制にスライドしました。戦中の指導層の中にも処罰を免れたものが多数いたはずです。おそらくあまりに徹底的に処罰したら、「そうか、フランスは枢軸国だったんだ」と国際的に露見してしまうので、抑制したのでしょう。

2014-12-11 13:18:50

フランスは枢軸国側でもあった
Wikipedia第二次大戦(まとめ人追加:上部右側の連合国・枢軸国(非宣戦国家の中)の分類、フランスは両方に書かれている)

2015-01-02 

お正月のコメントのみ

内田樹 @levinassien

お正月は東京の空も澄んでいて、丹沢まで見えます。 pic.twitter.com/i6tU0jkoiO

2015-01-02 10:28:40
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2015-01-14

内田樹 @levinassien

病院、薬局巡りを終えて隣町珈琲へ。まずはラジオの収録。フランスの370万人デモに二人が感じたことについて。こういう時は急いで判断を下さず、近代フランス史150年くらいのスパンで考えることにしています。これと似た風景が前にもありました。それらとどこが同じで、どこが違うか。

2015-01-14 14:47:23
内田樹 @levinassien

今回はシャンゼリゼを埋め尽くしたパリ五月革命のデモをベランダから黙って見下ろしていたレイモン・アロンの範例に学ぶことにします。アロンはなんによらず「常識はずれ」のことのついては常に懐疑的でした。

2015-01-14 14:52:29

レイモン・アロン
Wikipediaレイモン・アロン(まとめ人追加)

内田樹 @levinassien

@hirakawamaru 「Nous sommes tous des juifs allemands」(われわれはみなドイツのユダヤ人である)というのは1968年五月革命のときに流布したスローガンです。

2015-01-14 19:10:54

五月革命 (フランス)
 Wikipedid五月革命 (フランス)(まとめ人追加)

内田樹 @levinassien

@hirakawamaru フランス共産党書記長だったジョルジュ・マルシェがナンテールでの運動の指導者ダニエル・コーン=バンディットを指して「ドイツのアナーキスト」と呼んでその排除を呼びかけたときに、その含意を「ドイツのユダヤ人」であることを見抜いた学生たちが叫んだ言葉です。

2015-01-14 19:12:42
内田樹 @levinassien

@hirakawamaru コーン=バンディットの両親はドイツ人で、ナチスを逃れてフランスに亡命してきて、ダニエル自身は45年にフランスで生まれました。それをマルシェはあえて「ドイツのアナーキスト」と呼びました。ですから、発生的には被差別者への連帯の意思表示であったのです。

2015-01-14 19:14:49
内田樹 @levinassien

@hirakawamaru Je suis Charlie 「私はシャルリだ」の「本歌」はたぶんNous sommes tous des juifs allmands「私たちはみなドイツのユダヤ人だ」だと思います。でも、何かが違う。

2015-01-14 19:18:34
内田樹 @levinassien

@hirakawamaru ジョルジュ・マルシェはかつて独ソ不可侵条約を支持した筋金入りのスターリン主義者でした。スターリンが、そしてヴィシー政府のフランス人がユダヤ人に対して何をしたのか、68年の学生たちはみな知っていました。だから、この連帯の言葉は鋭い批判となったのでした。

2015-01-14 19:23:32

ヴィシー政権
Wikipediaヴィシー政権(まとめ人追加)

内田樹 @levinassien

@hirakawamaru 「私はドイツのユダヤ人だ」はかつてフランスの「正統な」政府が(フランスの左翼さえも)「見捨てた(ときに狩り立てた)人たち」への連帯をフランス人自身が語ったところに意味があるのだと思います。

2015-01-14 19:25:47

2015-01-18

内田樹 @levinassien

京都での講演ならびに打ち上げだん。敗戦を引き受ける主体の立ち上げのために敗戦国はどういう「物語」を擬制したか、というおもーい話をしました。ドイツもイタリアもフランスも、どこも苦しみました。そして、「成功した」と言い切れる国はどこにもありません。

2015-01-18 19:34:40

2014-01-20

内田樹 @levinassien

AERAの原稿えくり。フランスで起きているのは「自由・平等・博愛」の原理とイスラーム原理の「文明の衝突」ではないというお話。フランスは75年前ヴィシー政府のとき、市民革命の原理を捨てて「労働・家族・祖国」原理を採用して、ユダヤ人虐殺に加担したことがあります。

2015-01-20 10:48:01